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荒北くんに庇われる


ケータイの着信音が鳴った。


鍵盤楽器の単調なメロディが、授業中でしんと静まり返った教室に響いて、一瞬で空気が凍りつく。その着信音は一般的なスマホのデフォルト時のもので、割と普段からよく耳にするためか、それが自分のものから発信されていることに気がつくまで数秒時間を要した。

はっとして制服のポケットを押さえつけると、小さく振動が伝わってきて全身の血の気が引いた。

(そんな、嘘でしょう…………!?)

慌てて手を突っ込んで手探りでサイレントモードに切り替えるけど、もう何もかもが遅すぎた。


「おい、今のは誰だ!!!!」


静かな教室に怒声が轟く。教科担任は怒ると怖いことで有名な人だった。現に、これまで小さなことで散々に怒鳴り散らされているクラスメイトを何度も見てきている。ただ、席が奥のほうだったからか、今のが私だと特定されてないらしい。どうしよう……!! 背筋を冷たいものが滑り落ちる。これなら気づかれてしまったほうがよかった、自己申告をするのなんて怖くてたまらないじゃないか。


「誰だっつってんだろ!!! オイ!!!」


教科担任は持っていた教科書を床に叩きつけた。大きな音がしてびくっと肩が震える。多分周囲の人は気づいている。迷惑をかけてしまう前に、言わなくては。手を上げなきゃ。私だって言わなくちゃ。覚悟を決めて、私は口を開いた。

「あ、あの、」
「アーーーーー、スイマセン、今のオレです」


―――えっ??


私の震える声を打ち消すように、突然隣から聞こえてきた声。びっくりしてそちらを向くと、なんでもないような顔をした荒北くんが手をあげていた。

「荒北……!!! お前かァ!!!!」

「ハイ」

「自転車競技部でちょっとちやほやされて調子乗ってんじゃねえのか!! あぁ!? 舐めた態度取りやがってよ!!!」

教科担任は全く関係ないことを持ち出して、荒北くんのことを憎々しげに睨みながら怒鳴り散らす。私は驚愕して彼の横顔を見つめることしかできない。なんで……なんで荒北くんが。私のケータイが鳴ったことに気づいてないなんてことはありえないはず。

もしかして……庇ってくれてるの?

なんで……!?!?

彼が何で私のことを庇ってくれてるのか、理由は全然わからなかったけど、とにかくこのまま黙っていちゃダメだと思った。今や担任の荒北くんに対する発言はただの中傷になっていた。彼の過去のことを持ち出して、散々叩きまくっている。違う、荒北くんは何にもしてないのに!!

私がまた口を開こうとすると、強い視線を感じた。隣を見ると、荒北くんが私を横目で睨みつけて、小さく顔を横に振った。

(黙ってろ!)

彼の口がそう動く。

「―――ちっ、時間取らせやがってよ……!! 他のヤツもうんざりしてんだろうからこれでいいにしてやる。けど今度こんなことあったら今度こそは教室から出すからな、荒北ァ!!! あー授業戻るぞー」

教科担任は最後に荒北くんを鋭く睨みつけると、叩きつけた教科書を拾って再び授業に戻り始めた。緊張で張り詰めていた空気が一気に緩和されて、教室は通常モードに移行する。

ただ、私は頭を切り替えることなんてできなかった。

結局、自分のケータイが鳴ったんだと、言えなかった。

荒北くんに、擦り付けてしまった…………。

あまりにも情けなくて、悔しくて、スカートの上でぎゅっと掌を握り締める。

恐る恐る荒北くんの方を見た。彼はいつもと変わらず、頬杖をついてその細い目で黒板を見つめている。私の視線に気づいているのか、気づいていないのか、相変わらず彼の顔からは何ひとつ読み取れなくて。


私はその時間、ずっと俯いたまま自分を責めることしかできなかった。





授業が終わると、私はすぐさま立ち上がって隣の席の荒北くんに頭を下げた。

「荒北くん、ごめんなさい、本当にごめんなさい!!」

彼がちらりとこちらを見て、ちっと舌打ちをするのが前髪の隙間から見える。

「っぜ、謝んな。顔上げろよ」
「でも……!!」
「いーから顔上げろって」

その言葉に、唇を噛み締めて顔を上げる。彼の取り澄ました顔を見て、また心の中がぐちゃぐちゃになる。

「荒北くん、どうして………どうして、」

あんなことしたの?

そう言いたくなるのを、私はすんでのところで堪えた。この言い方じゃ、まるで彼のことを非難してるみたいだ。でも、彼はやってもない罪で教科担任からぼろくそに叩かれてて、そしてそれは私のことをかばったりしなければ起きなかった出来事で。彼の不可解な行動と、それに結局乗っかってしまった自分に、やりきれない怒りが湧いてくる。

でも、彼のことは責められない、責められるわけがない、そんなことできる権利は私にはない。

「……ンだよ、言いてェことあんなら言えよ」
「……ごめん荒北くん、ほんとに……私のせいであんな、あんなひどいことたくさん言われて……荒北くんは悪くないのに…!!」
「別にあんなの全然堪えてねェし、大体オメーが謝ることじゃねーよ。オレが勝手にやった話だしなァ」
「……………っ、」

そんなので納得できないよ。
私の代わりに何もやってない彼が怒られて……悔しくてたまらない。

何も言えずに俯いて足元を睨み付けていると、荒北くんが不意にガタッと立ち上がった。はっとして顔を上げると、「あーーーもうっ、ンな顔してんじゃねェっつの!!」という言葉と共に頭を乱暴にわしゃわしゃとかき乱されて、私は思わず小さく声を上げて目をぎゅっと瞑ってしまう。

「授業中にケータイ鳴ったぐらいでこの世の終わりみてェなツラしやがって。っとに、ビビりすぎだろ」

「う………」

「………それ見てたらむしょーに腹が立って、勝手に手ェ挙げてた」

そっぽを向いて、ぼそりと彼はそう呟いた。「あんな、クソ先公によ……」と言葉が続く。よく意味がわからなくてぽかんとしていたら、彼はこちらに向き直って、怒ってるみたいに私を睨み付けた。


「あんなクソみてェなヤツに、苗字チャンがンな顔させられてんのが気に食わなかったんだヨ!!」


「………!」


そう、まるであてつけるように声を荒げた荒北くんの頬は、ほんのり朱色に染まっていた。私がその言葉に呆気にとられていると、彼はまた私から顔を逸らして、苛立たしげに舌打ちをした。そして乱暴に椅子を閉まうと、そのまま私の横をすり抜けていく。

「え、荒北くんどこ行っちゃうの!?」
「便所!!!」

吐き捨てるように言われて、私は閉口してしまう。彼が教室から出ていくのを茫然と見届けていると、そばにいたクラスメイトが私のことを肘でつついてきた。

「ヒュウヒュウ、愛されてんねー」
「ちょ、なに、やめてよ」
「荒北くんが名前のこと好きって噂、本当だったんだなぁ〜〜」
「え!?!? そんな噂あるの……!?」
「ふふふ。かっこよかったねぇーー荒北くんっ。ヒーローみたいだったね!」

ニヤニヤと言われて、初めて知った事実と、そして彼の先程の言葉に顔が火照ってくるのを感じる。

『ヒーローみたいだったね』 、…………。

ドクン、ドクン、と心臓が鳴り始めた。眉を下げてその子に「どうしよう……」と問うたら、「お、これは脈ありだな!!」と言われて、私はますます顔を赤くするしかなかった。

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