手嶋純太5
直線距離で2メートル。
薄暗い廊下の突き当たり。文化祭準備中という一年で一番学校が騒がしくなる期間では人気がない場所を探すのは至難の業で、結局旧校舎の最上階に呼び出してしまった。
直線距離で2メートル。
彼……手嶋純太、との、距離。
「えっ、と……」
発した声には緊張が隠しきれてなくて、慌てて口を結んでごくんと唾を飲み下した。
俯いた視界に、思わずそわりと身じろぎしてしまう私の下半身が映る。
こんな乙女仕草、私のキャラじゃない。そしてそれは手嶋もそう思ってるはずで。察しがいい彼じゃなくたって、きっと今から起こるイベントが何だか分かるだろう。
「手嶋……私、わたしっ、手嶋のことが、」
ガバッと顔を上げる。
目を合わす勇気はなかったけど、ちゃんと前を向いて、私は振り絞るように叫んだ。
「──好き……! い、1年の時から、ずっと……! 好きです……大好きですっ!」
その二文字を発声した瞬間、心の中にずっと押しとどめてきた彼への想いがぶわりと流れだして、感情の奔流に舐めつけられるように全身が熱くなった。
1年、2年と同じクラスで。きっと手嶋は、仲がいい女友達ぐらいの認識しかなかっただろうけど。ガサツで女らしくないキャラを隠れ蓑にして、ずっと隠してきた恋心。でも、隠れ蓑の裏で、どんどん成長し続けるそれに、歯止めがかけられなかった。
手嶋との色んな思い出がぶり返して、目の奥がつんと痛む。
「ごめん、ほんとは言うつもりじゃなかったんだ、手嶋、部長頑張ってて、それどころじゃないって分かってたし、」
視界が揺れて、手嶋に焦点が合わない。
6月にしてはいい天気で、窓から差し込む午後一の眩しい光がぼやけた視界で乱反射して、ピカピカ光る。
「だから、だからっ……彼女になりたいとか、そういうのじゃないの! でも、このまま伝えずに3年間終わるのが嫌で、友達のまま終わるのが嫌で、だから」
もつれる舌で、しどろもどろに言葉を紡ぐ。
「絶対迷惑にならないからっ、手嶋の──手嶋の、『特別』になりたい……っ!!」
言った。
言い切った……!
ふうぅ、と震える息を吐き出して、私は恐る恐る手嶋の顔にピントを合わせた
「…………」
──あ、
あ。振られた。
ちらりと見えた手嶋の眉宇に、一番はっきり浮かんでいた色は『困惑』だった。
「オレも」
「ごめん手嶋今の撤回!! ごめん忘れて!!」
叫ぶなり、私は脱兎のごとくその場から逃げ出していた。がむしゃらに腕を振って、誰もいない廊下を走る。後方から「あっオイ!」と手嶋の引きとめる声が耳に届いたが、聞こえなかったことにした。
ばかだ、ばかなことをした。
勢い良く階段を下りながら、雪崩のような後悔が襲う。
絶対迷惑にならないから手嶋の特別になりたい? ばかげてる。好きでもない相手に、身勝手に気持ちを押し付けることそのものがもう迷惑じゃないか。玉砕覚悟の告白なんて、相手への負担にしかならない。そんなことに今気がつくなんて、私って本当に、どうしようもない間抜け。振られた辛さより、手嶋への申し訳無さで、悔やんでも悔やみきれない想いに強く唇を噛む。
その時、背後からパタパタというかすかな物音が響いてきた。
「待て!!」
「!?」
お、追いかけてきた!?
降り注いできた声に立ち止まってしまうと、真上の階段に手嶋の姿を捉える。
ギョッとしている暇はなかった。私は再び足を動かす。手嶋の「待てっつってんだろ!」という声に、「もう手嶋と話すことないから!」と前を向きながら叫んだ。
「お前が無くてもオレがあんだよ!」
「だからっ、さっきのことは全部忘れてって言ったじゃん!」
脇目も振らず、階段を下る、下る、下る。
1階にたどり着くと、新校舎への渡り廊下へ続く、両開きの扉を開けようとした。
「!?」
アルミサッシの引き戸から両手に伝わる、重い感触。
でしょ、閉まってる。
「──つかまえた」
方眼状の網入りガラスにペタリと手がつかれた。
ふう、と肩越しに伝わる吐息は、乱れているという感じではなく、むしろホッとしているようで、息が上がってる私とは対照的で、いやそんなことどうでもよくて。
恐る恐る後ろを向けば、至近距離に呆れたような手嶋の顔があった。
身体を翻して、手がつかれていない方から逃げようとしたら、それを察した手嶋がもう片方の手を、俊敏に窓ガラスについて、行動を制される。
結局、真正面で手嶋と向き合うことになってしまい、私はその近さと閉じ込められてしまった状況に身じろぎをする。
「全くなぁ。人の話は最後まで聞けって、学校で教わらなかったのか? お前は」
「……教わってない……」
「そうか。なら今日身を持って覚えるんだな。人の話を最後まで聞かないやつは、ネズミ捕りにひっかかったネズミみたいに捕まえられるんだよ」
こんなふうにな、と手嶋は余裕すら感じさせるような口ぶりで言う。
相変わらずよく口が回るやつだ、なんて頭の隅で思いながら、私は必死に視線を斜め下に逸らして、「どうせ……」と振り絞るように声を出した。
「どうせ、振られるぐらいなら。告ったこと自体無くして、友達でいたいんだよ……」
「…………」
「……すごく勝手なこと言ってるって、わかってるけど……」
「…………」
長い沈黙の後、手嶋は「そうか」とポツリと呟いた。
「わかった。無かったことにしてやるよ」
「! ……ありがと」
う、と続くはずだった言葉は、喉の奥に飲み込まれた。
ふに、と唇に柔らかいものが押し付けられて、それが何かやっと理解するころには、ゆっくりと離れていく彼の顔がそこにあって。
その頬は、内から色づくようにほんのり紅く染まっていた。
パチパチと、瞬きを繰り返す。
「──お前はもう、とっくにオレの特別なんだよ」
手嶋の、熱のこもった視線が、私の体から肺まで、がんじがらめに締め付けて、息が苦しい。
次の一言は、まるでストロボのように、鼓膜と脳に焼き付いた。
「好きだ」
【リクエスト:手嶋純太で「つかまえた」】
薄暗い廊下の突き当たり。文化祭準備中という一年で一番学校が騒がしくなる期間では人気がない場所を探すのは至難の業で、結局旧校舎の最上階に呼び出してしまった。
直線距離で2メートル。
彼……手嶋純太、との、距離。
「えっ、と……」
発した声には緊張が隠しきれてなくて、慌てて口を結んでごくんと唾を飲み下した。
俯いた視界に、思わずそわりと身じろぎしてしまう私の下半身が映る。
こんな乙女仕草、私のキャラじゃない。そしてそれは手嶋もそう思ってるはずで。察しがいい彼じゃなくたって、きっと今から起こるイベントが何だか分かるだろう。
「手嶋……私、わたしっ、手嶋のことが、」
ガバッと顔を上げる。
目を合わす勇気はなかったけど、ちゃんと前を向いて、私は振り絞るように叫んだ。
「──好き……! い、1年の時から、ずっと……! 好きです……大好きですっ!」
その二文字を発声した瞬間、心の中にずっと押しとどめてきた彼への想いがぶわりと流れだして、感情の奔流に舐めつけられるように全身が熱くなった。
1年、2年と同じクラスで。きっと手嶋は、仲がいい女友達ぐらいの認識しかなかっただろうけど。ガサツで女らしくないキャラを隠れ蓑にして、ずっと隠してきた恋心。でも、隠れ蓑の裏で、どんどん成長し続けるそれに、歯止めがかけられなかった。
手嶋との色んな思い出がぶり返して、目の奥がつんと痛む。
「ごめん、ほんとは言うつもりじゃなかったんだ、手嶋、部長頑張ってて、それどころじゃないって分かってたし、」
視界が揺れて、手嶋に焦点が合わない。
6月にしてはいい天気で、窓から差し込む午後一の眩しい光がぼやけた視界で乱反射して、ピカピカ光る。
「だから、だからっ……彼女になりたいとか、そういうのじゃないの! でも、このまま伝えずに3年間終わるのが嫌で、友達のまま終わるのが嫌で、だから」
もつれる舌で、しどろもどろに言葉を紡ぐ。
「絶対迷惑にならないからっ、手嶋の──手嶋の、『特別』になりたい……っ!!」
言った。
言い切った……!
ふうぅ、と震える息を吐き出して、私は恐る恐る手嶋の顔にピントを合わせた
「…………」
──あ、
あ。振られた。
ちらりと見えた手嶋の眉宇に、一番はっきり浮かんでいた色は『困惑』だった。
「オレも」
「ごめん手嶋今の撤回!! ごめん忘れて!!」
叫ぶなり、私は脱兎のごとくその場から逃げ出していた。がむしゃらに腕を振って、誰もいない廊下を走る。後方から「あっオイ!」と手嶋の引きとめる声が耳に届いたが、聞こえなかったことにした。
ばかだ、ばかなことをした。
勢い良く階段を下りながら、雪崩のような後悔が襲う。
絶対迷惑にならないから手嶋の特別になりたい? ばかげてる。好きでもない相手に、身勝手に気持ちを押し付けることそのものがもう迷惑じゃないか。玉砕覚悟の告白なんて、相手への負担にしかならない。そんなことに今気がつくなんて、私って本当に、どうしようもない間抜け。振られた辛さより、手嶋への申し訳無さで、悔やんでも悔やみきれない想いに強く唇を噛む。
その時、背後からパタパタというかすかな物音が響いてきた。
「待て!!」
「!?」
お、追いかけてきた!?
降り注いできた声に立ち止まってしまうと、真上の階段に手嶋の姿を捉える。
ギョッとしている暇はなかった。私は再び足を動かす。手嶋の「待てっつってんだろ!」という声に、「もう手嶋と話すことないから!」と前を向きながら叫んだ。
「お前が無くてもオレがあんだよ!」
「だからっ、さっきのことは全部忘れてって言ったじゃん!」
脇目も振らず、階段を下る、下る、下る。
1階にたどり着くと、新校舎への渡り廊下へ続く、両開きの扉を開けようとした。
「!?」
アルミサッシの引き戸から両手に伝わる、重い感触。
でしょ、閉まってる。
「──つかまえた」
方眼状の網入りガラスにペタリと手がつかれた。
ふう、と肩越しに伝わる吐息は、乱れているという感じではなく、むしろホッとしているようで、息が上がってる私とは対照的で、いやそんなことどうでもよくて。
恐る恐る後ろを向けば、至近距離に呆れたような手嶋の顔があった。
身体を翻して、手がつかれていない方から逃げようとしたら、それを察した手嶋がもう片方の手を、俊敏に窓ガラスについて、行動を制される。
結局、真正面で手嶋と向き合うことになってしまい、私はその近さと閉じ込められてしまった状況に身じろぎをする。
「全くなぁ。人の話は最後まで聞けって、学校で教わらなかったのか? お前は」
「……教わってない……」
「そうか。なら今日身を持って覚えるんだな。人の話を最後まで聞かないやつは、ネズミ捕りにひっかかったネズミみたいに捕まえられるんだよ」
こんなふうにな、と手嶋は余裕すら感じさせるような口ぶりで言う。
相変わらずよく口が回るやつだ、なんて頭の隅で思いながら、私は必死に視線を斜め下に逸らして、「どうせ……」と振り絞るように声を出した。
「どうせ、振られるぐらいなら。告ったこと自体無くして、友達でいたいんだよ……」
「…………」
「……すごく勝手なこと言ってるって、わかってるけど……」
「…………」
長い沈黙の後、手嶋は「そうか」とポツリと呟いた。
「わかった。無かったことにしてやるよ」
「! ……ありがと」
う、と続くはずだった言葉は、喉の奥に飲み込まれた。
ふに、と唇に柔らかいものが押し付けられて、それが何かやっと理解するころには、ゆっくりと離れていく彼の顔がそこにあって。
その頬は、内から色づくようにほんのり紅く染まっていた。
パチパチと、瞬きを繰り返す。
「──お前はもう、とっくにオレの特別なんだよ」
手嶋の、熱のこもった視線が、私の体から肺まで、がんじがらめに締め付けて、息が苦しい。
次の一言は、まるでストロボのように、鼓膜と脳に焼き付いた。
「好きだ」
【リクエスト:手嶋純太で「つかまえた」】
2020/09/11