港に一人残され、鵺の名を持った男はぼんやりと海を見ていた。 『レイヴン。俺はそこまで馬鹿じゃない』 先ほどの青年の言葉がこみ上げては霧散する。彼はアレクセイを信用していないのだと言い切った。アレクセイの所業を知りながら、それでも何故か傍でその片棒を担いでいるレイヴンには到底言えない言葉だ。 青年の落胆したような、しかしどこか泣きそうな表情を思い出すたびレイヴンの中に言いようのない何かが沸き立つ。苛立ちにも似たそれは、彼と共にダングレストに行くようになった時から常にレイヴンの中にあったものだった。 「…何がしたいんだろうね、俺は」 青年の、ユーリの特異性にはレイヴンとてわかっていた。普通いくら優れていたとしても、まだ新人とも言える兵を下手をしたらギルドと騎士団の戦争にも繋がりかねない任務に就かせるなどありえないことだ。だがユーリはそれに対し何の不平も不満も言うことなく、疑問さえもレイヴンに問いかけたことはなかった。 不思議には思いながらも、それだけアレクセイを妄信する輩は多い。きっと彼もそうなのだろうとレイヴンは勝手に結論付けていた。 そう思うことで、違う可能性を否定していた。 「何がしたいんだろうな、ユーリは…」 彼は時折どこか遠くを見ていた。それはレイヴンの時もシュヴァーンの時も同じで、更にそれは酷くなったように思う。そしてそんな目で見られる度、ユーリは何もかもを知っているのではないかという気にさせられるのだ。 心臓のことも、アレクセイのことも、何もかもを。 そしてそう思うたび、レイヴンやシュヴァーンは彼に何もかもを吐露したくて仕方ない気持ちに駆られる。それがただの逃げなのだとはわかっていても。 「怖いのデスか?」 「…気配消して背後に立つの、やめてくんない?」 驚きは表情に出さず、後ろを振り返る。いつから居たのか、イエガーは肩をすくめレイヴンの隣に立った。その視線はレイヴンを見やることなく、暗い海を見つめていた。 「ユーリを苛めるのは許さないと言った筈デス」 「あらら、随分お熱なんじゃない?」 「イエス、彼は大事なファミリーですから」 「…そりゃまた」 「ユーも随分とユーリが気になるようデスね」 疑問ではなく、断定に近い響きで言われたその言葉に返す言葉にレイヴンは暫く黙り、素直に言葉を探している自分に驚く。いつものように誤魔化せばそれで済んだ筈の話題だった。視界の端でイエガーが笑ったのが見える。 「アレクセイとユーリ、どちらも選べないのに?」 「…それはあんたも同じだろうよ」 「イエス。バット、ミーは子どものような八つ当たりなどしません」 「………」 そう言われてはレイヴンは黙るしかない。痛いほど理解している。確かに昼間ユーリに言った言葉は何もできない自分への苛立ちを含めた、ただの八つ当たりだった。結局は流されるしかない、それは亡霊である自分への戒め。しかしどうすることもできない気持ちは燻ぶり続け、結局はあんな形で吐き出すことしかできなかった。 全くを持って言う通りな自分に腹が立ち、レイヴンは唇を噛む。 「『このまま明日が来なければいい』」 「な…、」 「と言う顔をしてマシタ」 レイヴンとイエガーの視線が交差する。驚きを隠せないレイヴンとは裏腹に、イエガーの瞳は視界の端に映る海のように穏やかだった。 それは間違いなく、押し込めていた本音だった。 観念したようにレイヴンは頭をかく。抑えを無くした感情は留まることを知らず、久しぶりに気付いた自分の本心にレイヴンは目を閉じた。 「いっそのこと船が朝までに全部沈んじまえば、と思っちまうね」 「しかし、それでは何の解決にもなりマセン」 「わかってるって。…そんなこと、わかってる」 ずっと居心地が良かったのだ。騎士団に居る時も、ギルドに居る時も。隊長としてのシュヴァーンではなく、同じ任務に就くレイヴンでもなく、ただありのままを見ているユーリの視線が、酷く心地良かった。 「その時だけ、救われた気がしたんだよ」 亡霊ではなく、人間として生きていていいのだと。 微かに笑うレイヴンを一瞥したイエガーは来た時と同様に肩をすくめて去っていく。用は済んだと言わんばかりのその様子に、暫くしてレイヴンは気付いた。 彼もまた、『同じ』だったのだと。 |