「では大体のスケジュールはこれでよろしいでしょうか。これからよろしくお願いします」

「…あぁ」

アルミンの事務所にて、気を取り直したナマエは今後のスケジュールと依頼内容を確認していた。頭を仕事モードに切り替えれば、目の前にいるのが元恋人で、更に実はまだ未練がある相手なのだと気にしなくて済んでいた。

「一週間後に事務所にお伺いしますね。じゃあ私はこれで…」

「ナマエ」

クルクルと図面を丸めたナマエは一切リヴァイの方を見ずに立ち上がる。その途端、リヴァイの低い声が何かの感情を込めてナマエの名を呼んだ。

「なんでしょう」

「お前が手掛けた建物、いくつか見た」

「そうですか」

「…悪くなかった。俺は所詮パースデザインで終わることが多いが…ナマエのものはそこに置かれた家具一つにまで意味を持たせていたな。…俺には真似出来ない」

「リ……アッカーマンさん」

「その呼び方はやめろ」

嫌味のないシンプルな褒め言葉に思わず顔を上げてしまう。慌てて距離を取った呼び方をしても、心底不快だというようにピシャリと跳ね除けられた。

「お前が俺のことを恨んでいるのは分かってる。だが…俺はこの仕事をどうしても成功させたい。それにはナマエの力が必要なんだ。頼む、力を貸してくれないか」

「リヴァイ…」

目を逸らさず、飾り気のない真剣な思いがナマエの心に沁み渡った。ゆっくりと大きく頷いたナマエにホッと安堵の息を吐いたリヴァイが、右手を上げる。

「よろしく、ナマエ」

「よろしくね、リヴァイ」

三年間振りに触れ合った温かさは覚えているものと何も変わらない。
交わした握手から互いの熱が混ざり合って、ナマエはこみ上げそうになるツンとした痛みを必死に堪えていた。



エルヴィンの事務所と契約を交わし、リヴァイと仕事を始めてから数ヶ月。着工が始まった頃には一旦バタつきが収まり、後は建物が完成するのを待つばかりとなっていた。

「で、今のところ全敗ということか、リヴァイ」

「…放っておけ」

エルヴィンが思っていたよりもさらに、ナマエは強靭な心を持った女性だったらしい。リヴァイとの過去の関係はおくびにも出さず、ただ熱心に議論を重ね、より良いものを建てようと邁進し、必要とあればエルヴィンに物申すことも厭わなかった。
エルヴィンとリヴァイの事務所に来ることも多かったが、物怖じしない朗らかな態度は誰の懐にもスルリと入っていくようだった。そして肝心の仕事の話になればその雰囲気は一変し、リヴァイとやり合うことも少なくなかった。

「でもリヴァイ、このデザインならこっちの色の方が太陽に映えると思う」

「だが花嫁のカラードレスには色んな色があるんだろう?この色だとブルー系は霞んじまうんじゃねぇか」

「そうか…。だったらこれはどう?」

「…悪くねぇな。しかし問題は天気だ。毎日が晴れなわけじゃねぇ」

「それならここ、この天井のデザインをもっと狭くするのは?それなら曇りでも雨でも変わらない色合いを出せるんじゃないかな」

「なるほどな。だがこのデザインを変えるとなると、天井自体を見直す必要があるな」

「そっちはリヴァイに頼んだよ。私、もう一度内装屋さんと話してくる」

「チッ…簡単に言ってんじゃねぇよ」

「リヴァイなら出来るでしょ?じゃあまた明後日、ここに来るね」

「オイ、待て。明日の夜、時間があるなら…」

「悪いけどアルミンのところに顔出さなきゃいけないの。またね」

が、その一方でリヴァイからのさりげない誘いは一切断っているらしい。悲哀に満ちたリヴァイを見兼ねたエルヴィンがナマエに声を掛け、ようやく漕ぎ着けたのはエルヴィンとアルミンも含めた四人での飲み会だった。その時のリヴァイの複雑そうな顔は見ものだったと言っていいだろう。

「お前がそこまで必死になるとはな。確かに素敵な女性だが…」

「お前にあいつの良さが分かってたまるか」

憮然と吐き捨てられた言葉には焦りが滲んでいた。着工が終わり、会場が出来ればそこからがナマエの最後の力量が発揮される。そしてそれが終わればチームは解散だ。

「勝ち目はあるのか」

「馬鹿言え。勝ち負けの話じゃねぇが…それを言うなら俺は最初から負けてんだよ」

「ほう…」

「ナマエの寂しさにも苦悩にも気がつかず、呑気に図面ばっかり見てたのがこの結果だ。そこから巻き返すためにはなりふり構っていられねぇだろうが」

「そういえばお前が前に話していたな。お前が考える作品の全ての根本にナマエさんがいるんだと」

「…そんなこっ恥ずかしい話、今すぐ忘れろ」

「忘れるものか。興味深い話だ」

その時は珍しく酔っぱらったリヴァイがつらつらと述べる話を聞いていたが、その話は強く記憶に残っていた。

「教えてくれてもいいだろう。どういう意味なんだ」

「…絶対にナマエには言うなよ」

胡乱な視線をエルヴィンに向け、渋々切り出したリヴァイの訥々と話す事実に、さすがのエルヴィンも目を丸くしてしばらく絶句してしまっていた。

「…リヴァイ。それはなんというか…」

「…なんだよ」

「お前の造ってきたもの全てが、ナマエさんへの愛の告白みたいなものじゃないか」

「お前…よくそんなクソ恥ずかしい台詞が吐けるな」

呆れたようなリヴァイに乾いた笑みを向ける。この男の愛は、思ったよりも重いらしい。
なんとか彼女の愛を取り戻そうと足掻く不器用な男の背を、エルヴィンは見守り続けたのだった。



完成したウェディングチャペルを見上げてナマエは目を細めた。抜けるような晴天の下、まっしろな外装と一面のガラスに陽光が反射している。

「ここからはナマエに任せたい」

「リヴァイ」

後ろから声を掛けられ、ゆっくりと振り向く。同じようにガラス張りチャペルを見上げて目を細めていたリヴァイが、ナマエへと視線を戻した。

「プレオープンまでに外も中も完成させたい。…頼めるか」

「当たり前でしょ。それを含めての仕事依頼なんだから」

ウェディング会場やチャペルを手掛けるのは、リヴァイもナマエも初めての経験だった。寝る間も惜しんで文献を読み漁り、国内外の同じような建物資料を読み込んだのはナマエだけではなかったはずだ。リヴァイが今まで手掛けてきたのは、どちらかというとシンプルで無駄のないデザインが多かったらしい。だがウェディング会場という特色上、リヴァイのデザインの特徴を生かしつつ、ナマエが得意とするカラーデザインや空間デザインをうまく取り入れて、まさに二人の共同建築が出来上がった。

「エルヴィンが褒めていた。素晴らしい出来だとな」

「まだ依頼は終わってないからね。最後まで幻滅されないように頑張らなきゃ」

肩を竦めたナマエの横顔に柔らかい光が降り注ぐ。太陽の光を存分に取り入れたチャペル、真っ白な中にも複雑な色合いを反射させるウェディング会場、そして挙式を終えた新郎新婦が降りてくる外階段にはところどころ人工ダイヤモンドを埋め込み、光を受けてどこまでも輝く道をイメージした。
リヴァイだけでは決して成し遂げられなかっただろうこの作品を目にして、リヴァイは決意を新たにする。

「ナマエ、ちょっといいか」

「なぁに?そういえば今日はリヴァイだけなのね。エルヴィンさんは…」

「あいつは後から来る。他の業者もな」

ナマエとどうしても話がしたくて無理やりもぎ取った二人きりの時間は、あと僅かしかない。リヴァイが鞄からゆっくりと取り出したものを見たナマエの目が、みるみるうちに見開かれていく。

「リヴァイ…それ…」

「…覚えているか」

静かなリヴァイの問いかけに答えることが出来ない。だが、忘れるはずがなかった。
狭いアパートで寄り添いながらリヴァイが鉛筆を走らせ、ナマエが色をつけていく。
海沿いに建つ家、裏路裏のひっそりとしたカフェ、様々な国籍の人が集まるショッピングモール、色とりどりの花に囲まれる公園。ナマエとリヴァイが好き勝手に想像し、創造したたくさんの建物がそのスケッチブックには描かれているはずだ。

「…まだ持ってたんだ」

「当たり前だ。他のスケッチブックも残ってる」

「そう…懐かしいね」

震えそうになる手を握り締め、口元には笑みを作る。今さらこんな夢物語を突きつけるなんてなんの冗談だと罵りたいのに、どうしてもそれが出来なかった。

「本当懐かしい…けど恥ずかしいね。あの頃は知識も浅くて出来ることと出来ないことも曖昧だったし、ふふっ、絶対造れもしない建物ばっかり想像して…」

「そんなことねぇよ」

懐かしさと恥ずかしさと哀しみと、たくさんの感情がワッと込み上げてきて、思うがまま紡いでいた言葉をリヴァイが遮った。
スケッチブックを手にしたまま一歩、また一歩近づいてくるリヴァイから目を離すことが出来ない。

「確かに俺らが紡いだのは理論も設計もめちゃくちゃなただの絵空事だ。だが…叶えられねぇ夢じゃねぇ」

「どういう…こと…?」

呆然と立ち竦むナマエの元に辿り着いたリヴァイが、もう一冊、冊子のような束を差し出した。恐る恐る受け取ったナマエは、パラパラとそれを捲って大きく息を呑む。

「っ、これ…」

「俺が今まで手掛けた作品(モノ)だ」

そこに描かれていたのは、ナマエと一緒に戯れで描いたものよりも精巧で緻密なデザインだった。だが、どれも見覚えのあるデザインで、ナマエはその中の一つを震える指先でそっとなぞる。

「これ…私とリヴァイが初めて一緒に描いたやつ…」

「そうだ。これはある老夫婦の老後を海沿いで過ごしたいという要望のもと、造ったものだ」

大学時代、リヴァイと付き合い初めてすぐに始まった小さな戯れの結晶がそこにはあった。
「海沿いの家なんて素敵だよね」とナマエが言ったのをきっかけに、リヴァイが図面を起こしたのが始まりだった。

「…こんなところか?」

「わ、素敵…!でもこの屋根のひさしはもっとこうして…あ、玄関も」

「分かった分かった。色はお前がつけろよ」

サラサラとスケッチブックに鉛筆を走らせるリヴァイの横で、ナマエが次々と想像を膨らませる。そして色をつけ、それに合ったインテリアを描き、二人だけの作品をたくさん創り上げていった。

「まさか…実際にこの家、あるの…?」

「あぁ。海沿いにな」

「じゃ、じゃあ他にも…?」

「あぁ。さすがに全部は無理だから数は多くないが。ナマエと別れたあと…依頼を受けるたびこのスケッチブックを引っ張り出して、ここからヒントを得て造ってきたんだ。だが…色付けはどうにも苦手でな。結局そこには手を出さなかった」

「あ、だから…」

リヴァイの造った建物を見たことはない。いや、敢えて目に入れないようにしていたという方が正しいが、それでも一緒に働いているうちに彼の作品が「余計なモノを一切削ぎ落とした究極なシンプル」と評されていることを知ったのだ。それは、ナマエとの思い出だけを追求して原点に立ち返った結果だったのかもしれない。

「…女々しいと思ってくれて構わない。あの時ナマエの辛さにも寂しさにも気づかねぇで、俺は段々増えてきた仕事に夢中だった。あの頃はエルヴィンが独立できるかどうかの瀬戸際でな。伝手を作るためにも実績を作るためにも、とにかく数をこなす必要があったんだ」

「そうだったの…」

「結果うまくいってエルヴィンは独立し、俺もそこに引き抜かれた。でも…その時にはもうナマエは海の向こうだったな」

寂しそうに微かに笑うリヴァイにつきん、と胸が痛んだ気がした。もう一度リヴァイがこれまで手掛けてきたデザインにじっくり目を通す。
リヴァイの言う通り数はそこまで多くないが、こんなところにデートに行きたいと話したナマエの理想通りのカフェも描かれていた。これはどこにあるのだろう、とぼんやり霞がかった頭で考える。

「ナマエ」

リヴァイのよく通る声がナマエを現実に引き戻した。数分前までこんな驚きが待っているなんて考えてもいなかった自分が、今どんな顔をしているのか分からない。

「リヴァイ…?」

「あの時、お前の苦しそうな顔を見て…そんな顔をさせるくらいなら別れを受け入れようと思った。だが…俺はナマエじゃないと駄目だ」

「え、…」

「何度も何度も海の向こうまで追いかけようと思った。追いかけて謝って、また二人でたくさんのデザインを描きてぇと思った。でもナマエは自分の夢を追ってがむしゃらに頑張ってる。だったら…俺ももっと頑張って、ナマエが戻ってきた時に一緒に仕事が出来るくらいの男になると誓った」

「じゃあ…この依頼は…」

「俺がエルヴィンに頼み込んだものだ。だが誤解するな。あいつは自分でナマエの実績を見て、それを認めてこの仕事を依頼したんだ。俺はただのきっかけに過ぎねぇよ」

「そう、だったの…」

「…お前と二人で描いたものにウェディング会場やチャペルはなかったな。だから…再会して二人のはじまりとして、ここから始めたいと思った」

そう言ってナマエからスケッチブックを受け取り、鞄を置いたリヴァイがゆっくりと片膝を地面につく。驚きに目を見張るナマエの左手をそっと取って真っ直ぐに見上げた。

「別れてからの三年間、ナマエのことを想わない日はなかった。本当はこの仕事が終わったら、やり直して欲しいと伝えるつもりだったが…そんな生温い気持ちじゃねぇんだ」

「リ…ヴァイ…?」

「俺と結婚を前提にもう一度付き合って欲しい。もう二度と寂しい思いも苦しい思いもさせないと約束する。一緒に…また絵空事を描いてくれねぇか」

チャペルにキラキラと反射する陽光がナマエとリヴァイのことを包み込んでいた。ぽろり、とナマエの瞳から一筋溢れた涙さえ輝いているようで、リヴァイは目元を和らげた。

「誰よりも愛してる、ナマエ」

「わ、たし…私もっ…」

嗚咽まじりに大きく頷いたナマエの手が思い切り引かれ、立ち上がったリヴァイの胸に閉じ込められる。久しぶりに感じるその力強さと温かさに、身体中がすぐに呼応した。

「自分たちが造ったチャペルの前で告白なんて…どこでそんな気障なこと覚えたの、リヴァイ」

「フン…お前を取り戻すためなら、どれだけ恥ずかしいことでもやってやるよ」

クスクス笑うナマエの髪に顔を埋め、リヴァイもようやく戻ってきた温もりに身を委ねるのだった。



「よく考えたら、二人で考えたデザインを他の依頼に流用するなんて、リヴァイらしくないね」

「ナマエと別れてからどんなに頭を絞っても何もアイディアが出てこなくてな。その時藁にもすがる思いでこのスケッチブックを開いたのがきっかけだったんだ」

あの後、合流したエルヴィンの全て見透かしたような笑顔に居た堪れないような思いを抱きつつ、ナマエは着々と内装デザインやインテリアコーディネートを進めていった。エルヴィンが最初に話した「はじまり」の想いは、最後まで忘れることなく随所に散りばめたつもりだ。
そして全てが終わり、あとはプレオープンを待つだけになったある日、リヴァイとナマエは久しぶりの二人の休日を満喫していた。場所はもちろん、リヴァイがデザインしたというあの路地裏のカフェだった。

「まさかリヴァイがそこまで私のこと想ってくれてるなんて、あの時は思いもしなかったよ」

「…悪かったな」

「ううん、私こそ。リヴァイはどんどん先に進んでるのに、私はちっとも進めなくて…。リヴァイに嫉妬していたんだと思う。ごめんね」

「エルヴィンの独り立ちの為もあったが…本当はそれよりも早く一人前になってちゃんとやっていきてぇと、そっちの気持ちが大きかった」

「え…?だってリヴァイはたくさん仕事きてたし、そんなに焦らなくても時期がくれば…」

「…それじゃあナマエのことをすぐには支えてやれねぇだろ」

「え…?」

ポツリと呟かれたリヴァイの本音に瞑目する。目の前に置かれたカフェラテの氷が、カラリとなった。

「あの頃、ナマエも仕事とコーディネーターの勉強で疲れ切ってただろ。だから…俺がちゃんと稼いでお前のことを支えられれば、コーディネーターの方に専念できるんじゃねぇかと思ってたんだよ」

「え、え、私のため…?」

「チッ…そうだと言ってる。だがそれでお前が離れていったんじゃ元も子もなかったけどな」

気まずそうに視線を逸らしたリヴァイが、照れ隠しに紅茶を一気に飲み干した。唖然としてその様子を凝視していたナマエが、小さく笑い始める。

「ふっ…あははっ…」

「オイ、一世一代の告白を笑ってんじゃねぇ」

「ふふっ、あ、違うの、ごめんっ…。なんか…私たち思いっきりすれ違ってたんだなーって思って」

「…そうだな」

「私はリヴァイが遠くなっていくみたいで悲しくて、背中ばっかり見てるのが悔しくて…。でもあの時、勇気出して話せば良かったんだね」

「だがまぁ…その結果ナマエはこうして独り立ちして、自分の好きな道を歩めてるんだからな。…俺としては複雑だが」

「そうだね。海外に飛び出してたくさん辛い思いもしたけど…でもいつもリヴァイに恥じないような仕事がしたいって、それを支えに頑張れてたんだよ」

「…ならいい」

ぶっきらぼうにそっぽを向くその仕草も愛おしい。それが彼なりの照れ隠しだとちゃんと理解出来ていて、それを確かめられる今の距離が本当に嬉しくて仕方がない。

「ねぇリヴァイ」

「なんだ」

「またスケッチしようよ。今度は最初から実現可能な夢物語をさ」

「…悪くねぇな」

フッと笑ったリヴァイの視線の先に、嬉しそうに目尻を下げるナマエの姿がある。ようやく手に入れた幸せは、ここからはじまったばかりだった。


-fin

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