あおぞらラプソディ(本文) | ナノ
燃ゆる晩景



なまえが医務室に運ばれてから六日目、その間薄らと目を開けることはあったらしいが、リヴァイもハンジもそのタイミングに合うことはなかった。
とにかく眠りにつくことで失った体力を回復しているのだという医者の言葉を信じ、リヴァイは時間を見つけては相変わらずなまえの元で書類の処理を行なっていた。


「リーヴァイ、なまえ目覚ました?」

「毎日毎日飽きねぇのかてめぇは。目ぇ覚ましたら知らせを寄越すっつっただろうが」

「リヴァイこそ毎日毎日飽きないねぇ。いや、これはもはや愛?」

「削ぐぞクソメガネ」


揶揄うハンジの言葉に、書類から顔も上げずに一刀両断するリヴァイの雰囲気はその言葉とは裏腹に穏やかなものだ。
なまえが運び込まれた頃はピリピリしていて、書類を届けるエルドすら気を遣う体だったがそれもやっと落ち着いてきたらしい。


「ねーねー前から聞きたかったんだけどさ、リヴァイってなまえのこといつから好きなの?」

「誰もそんなこと言ってねぇだろうが。黙れ」

「この後に及んで違うなんて言わないよね!?ねー教えてよー!」

「例えそうだとしても、なんでてめぇにそんな話をしなきゃならねぇんだよ」

「だってさ、気になるじゃん。なまえ、新兵の頃はそんなに目立つ子じゃなかったよね?リヴァイが気にかけるようになったのっていつなのさ?」

「…」


ハンジに答える気は無かったが、それに引きずられるように否応無しになまえとの出会いを思い出す。
なまえの存在を認識したのは立体機動の訓練の際、随分と高く飛ぶ奴がいるなと感想を抱いた時だ。
荒削りでスピードも斬撃の勢いもまだまだだったが、迷うことなく空を目指すその姿はリヴァイの興味を誘った。


「オイ、エルヴィン。あいつ…名前はなんだ」

「ん?…ああ、なまえか。最近力をつけてきたな」

「…悪くねぇな」

「そうだな。というよりリヴァイ…彼女のことは知っているはずだが」

「あ?名前を聞いたことはある気がするが、関わりはねぇぞ」

「いや、関わっているぞ。2か月前の壁外調査で、彼女の班はなまえ以外全滅した」

「…まさか、あいつか?」


リヴァイの脳裏に、あの時の女兵士の姿が蘇る。
座り込んで全てを諦めた瞳を巨人に向けていたあの時の女が、今あんなにのびのびと空を舞っている彼女だというのか。


「あの時の姿からじゃ想像もつかねぇな」

「私も正直驚いている。新兵の頃から知っているが…筋は悪くないが、あまり積極的には見えなかったからな」


どんな心境の変化かな、と笑うエルヴィンから視線を外し、なまえへ戻す。
あの壁外調査で倒れ伏す巨人の前で座り込み、大きな瞳でリヴァイを見上げるなまえの姿はよく思い出せる。
恐らく一旦は生きることを諦めたのだろう。それなのに最後までブレードを握り締め離さなかった矛盾と、ただぽかんと自分を見上げるその間抜け面に何故かおかしくなった。


「最後の最後まで諦めんじゃねぇぞ」


だから声を掛けた。
自分の声が彼女に届いているかも分からない。
顔は見たことはあるが、リヴァイの班とあまり関わりがない班にいるからか、正直名前も思い出せない。
だがそれでも、空虚だった瞳に何かが宿るのをリヴァイは確かに見た。


「…悪くねぇな」


もう一度そう呟いて、風になびく青と緑のコントラストに目を細めた。







昔の夢を見ていた気がする。
初めての壁外調査で見た蒼穹、巨人、仲間の遺体、頬を撫でる風、リヴァイから向けられた言葉、そして鳥のように飛ぶ姿。何よりも自由に舞う翼そのもの。
ふわふわといったりきたりする意識の中、なまえは遠くから聞き覚えのある声を捉えた気がして、ゆっくりと目を開けた。
暫くぼんやりと天井を見つめていると、カーテンで仕切られているベッドの横の机の上に、何枚かの書類が置かれているのが見えた。


(生きてる…んだ…)


気を失う直前の記憶を思い出し、ゆっくりと身体を起こそうと両腕に力を込める。
またリヴァイに助けられた。あの時と同じように班員を守れず、巨人も取りこぼしてしまった。
悔しさと歯痒さと悲しみでごちゃごちゃになる心を押さえ込むように無理やり身体を起こそうと大きく息を吸った瞬間、大きくカーテンが開けられた。


「っ、なまえ…?」

「う、わ…!」


現れたリヴァイの姿に驚愕し、ガクっとバランスを崩してしまった。
ベッドから滑り落ちそうになる自分の身体に目を見開いた途端、温かい腕がなまえを抱え込んだ。


「危ねぇな…」

「す、すみません…」


どれくらい眠っていたのか、身体が思うように動かない。それに驚くと同時にリヴァイに抱き留められていることに頭が真っ白になってしまう。


「一週間眠り続けていたようなもんなんだ。いきなり動くやつがあるか」

「一週間…?」

「何度か目を覚ましてはいたらしいが…その分じゃ覚えてねぇだろ」

「は、はい…」

「とりあえずまだ横になっとけ。今医者を…」

「あ、あのっ、兵長!」

なまえをそっと横にならせたリヴァイが踵を返そうとするのを見て、咄嗟にその腕を掴んでしまった。
抱き留められている時はどうしたらいいか分からなかったのに、いざその温かさが離れてしまうと寂しく感じてしまう。


「どうした」

「あ、その…助けてくださって…ありがとうございます」


どうしてリヴァイがここにいるのか、あれからどうなったのか、自分はいつからまた訓練が出来るのか、色々と疑問はあるが、まずはまた助けて貰ったことへの礼が先だ。
意識を失う直前に見たあの光景は、なまえの瞳に焼き付いている。


「…通常種と奇行種を一体ずつ、単独で討伐したらしいな」

「あ、はい…でも一匹取りこぼして結局兵長の手を…」

「十分だ」

「…え?」

「あの極限の中、一人で深追いせずに増援を待ちつつ討伐の隙を狙う。最良の選択だった。何より…最後まで諦めずに戦い続けて生き残った。十分すぎるほどだ」


真っ直ぐになまえを見つめてそう告げるリヴァイに、どんどん視界がぼやけてくる。
リヴァイの言葉が最初に助けられた時の彼の姿と重なった。最後の最後まで諦めるなと、なまえの心の奥深くに染み渡った絶対の命令は、今でも生き続けている。
救えなかった班員の命、間に合わなかった刃、助けられた二度目の自身。色々な思いが込み上げて、流れる涙を止めることができない。


「オイ、なまえ…泣くな」

「す、すみませっ…すぐ…」


なまえの涙に狼狽たようなリヴァイの雰囲気が、涙で見えない視界からも伝わってくる。
ゴシゴシと目元を擦るも中々止まらないそれに、慌てたようになまえが顔を覆ってしまった。


「チッ…擦るな。腫れるだろ」


ガシッとなまえの手を止めて顔を覗き込むリヴァイの眉間には深い皺が刻まれているが、その距離の近さに涙を拭うのと忘れてぽかんと口を開けてしまう。


「ふ…アホ面」

「へっ、兵長…!ちか、近いですっ!」

「あ?お前が泣くからだろ」

「泣きやみます!泣き止みますから!」


わたわたと混乱したようななまえの様子にリヴァイは喉の奥で笑ってゆっくりと手を離した。
また一抹の寂しさを感じるが、おかげで涙は引っ込んでくれたらしい。
恥ずかしそうに乱れた髪を直すなまえに、リヴァイは目を細めながら口を開いた。


「今回は良くやった。これからも…どんな時でも最後まで諦めずに戦え。そうすれば必ず俺が助ける」


あの時とリンクする言葉。
折れかけた心も身体も全て掬い上げてくれるのは目の前の彼しかいない。
それでもあの時と違うのは、なまえにもほんの少しだが力がついたということだ。


「私も…兵長が窮地に陥ったら、何を差し置いても真っ先に駆け付けますから」


リヴァイに恐らくそんな日は訪れないだろうが、それでもいつもその気持ちで訓練に励んでいる。
照れたように笑いながら、それでも凛とした瞳でそう言い切ったなまえにリヴァイは思わず息を呑む。
これだからコイツからは目を離せないのだと、半ば諦めたように己の気持ちを再認識した。


「お前に守られるほど弱かねぇが…心意気は悪くねぇな」


微かに微笑んでそう告げたリヴァイに、なまえも満面の笑みをむけた。





「なまえー!!」


翌日、医師の診察も終わりあとは退院を待つばかりになったなまえの元にハンジが飛び込んできた。いつもより身綺麗で心なしか石鹸の香りさえするようなハンジに思い切り抱きつかれ、なまえは苦笑した。


「ハンジさん、ご心配をおかけしました」

「うんうん!良かったよーほんと!」


なまえに抱きついたまま頬擦りをするハンジのされるがままなっていると、そのハンジの身体がいきなり後ろへ引っ張られて勢いよく離れていった。


「ぐえっ」

「てめぇクソメガネ…病み上がりの怪我人に何してやがる」

「リヴァイ兵長!」

「り、リヴァイ…ギブギブ…」


首元を引っ張られ息も絶え絶えのハンジに舌打ちをすると乱暴に放り、なまえにも若干剣呑な視線をむけた。


「お前も甘んじて受けてんじゃねぇよ。怪我人だろうが」


包帯を巻かれた左腕にチラリと目線をくれたリヴァイに苦笑する。
利き腕では無いし動かせないほどではないが、ヒビが入っているというその腕を使えるのはもう少し先になりそうだ。


「いってぇ…大体リヴァイが悪いんだろ!なまえが目覚ましたらすぐ教えてって言ったのに!」

「あ?昨日も今日も変わらねぇだろ」

「変わるよ!」

「あの…お二人とも…」

「そもそもてめぇ、風呂にも入ってなかったじゃねぇか。そんななりでここに来ようとしたのはどこのどいつだ」

「なまえはそんな心が狭くないよ!数日風呂に入ってないくらいで文句言うような小さい男、嫌われるよ!?」

「ふざけんなクソメガネ!んな汚ねぇ身体で仮にも怪我人のところ行こうとしてんじゃねぇよ!」

「ハンジさん、リヴァイ兵長、あの…」

「あーあ!自分ばっかりなまえについててさ!そりゃリヴァイは眠るなまえの側にずっといれたからいいかもしれないけど。ていうかずっとなまえを独り占めしてたくせに、なんで今も付いてきてるのさ!?」

「え、リヴァイ兵長が…?」

「てめぇ…クソが…」


二人の応酬を苦笑しながらもどこか懐かしい気持ちで眺めていたなまえだったが、ハンジの言葉に目を丸くする。
ベッドサイドの書類の束を見た時からまさかとは思っていたが、リヴァイに聞くのをすっかり失念していたのだ。まさか本当に目が覚めるまでいてくれたというのか。


「…なんだよ」

「い、いえ!兵長の手をそこまで煩わせていたなんて…」

「別に…好きでやったことだ。ここならうるせぇ奴も来ねぇしな。部屋より快適に仕事が出来たぞ」


申し訳なさそうに目を伏せるなまえにそうぶっきらぼうに告げるリヴァイと、そんな彼を面白そうに見るハンジ。
余計なことを言うなとリヴァイの鋭い視線がハンジを牽制するが、それに気づかぬフリをしたハンジが明るい声を上げる。


「そうそう!今日だってなまえのお見舞い行くって言ったらさ、まず風呂に入れって放り込まれたんだから」


大袈裟に嘆くハンジに、だから良い香りがしたのかとなまえは納得したように笑った。
リヴァイに迷惑を掛けたことは心苦しいが、こういう優しさが多くの人を惹きつけることをなまえもよく知っている。


「すみません、兵長。何から何までご迷惑をお掛けして…」

「…怪我人が変な気遣ってんじゃねぇよ」

「そ!リヴァイが好きでやったことだしね!しっかしなまえ…本当に良く頑張ったね」

「ありがとうございます…。でもしばらく立体機動は使えませんね…」


心底残念そうに自分の腕を見て、次いで窓の外を見上げるなまえ。しょんぼりと落とされた肩がなまえを更に小さく見せる。


「しっかり直せば二週間後には包帯も取れると医者も言ってただろ」

「そうなんですけど…毎日の日課だったので変な感じがして…」

「確かになまえはほとんど毎日立体機動の自主練をしてたもんねぇ」

「この時期は、夕方が夜に変わる時間の空が本当に綺麗なんですよ」

「はっ、それが目的かよ」

「はははっ!なまえらしいや」


訓練が出来ない焦りもあるが、あの綺麗な空を近くで見られない寂しさも多分にある。
暫くは仕方がないか、と溜息をついたなまえをじっと見つめていたリヴァイだが、不意にハンジへと視線を向けた。


「オイ、面会は15分だと言ったろう。もう過ぎたぞ、今すぐ出て行け」

「えーまだいいじゃん。もうちょっとなまえと話した…って、いででで!分かったから離…いってぇ!くっそ乱暴だな!」

「黙って出ろ。今すぐ戻れ」

「いってぇ!分かったよもう!あ、また来るねなまえー!」

「もう来んな」


駄々を捏ねるハンジの頭を掴んだかと思うと、そのまま扉の外へ放り投げたリヴァイがピシャリと扉を閉める。あまりの手際の良さになまえはただ見送るしかない。
不機嫌そうにこちらに戻ってくるリヴァイに、ずっと気になっていたことを恐る恐る聞いた。


「兵長…あの、ずっとついてて下さったんですか?」

「チッ…クソメガネ、余計なこと言いやがって」

(本当なんだ…)


色々な感情がせめぎあって、うまく言葉を発することが出来ない。
少しだけ、ほんの少しだけ期待してしまう気持ちを慌てて打ち消す。もしかしたらリヴァイも少しは自分のことを気にかけてくれているのではないかと、そんな甘い考えが脳裏を過ってしまった。


「…ンな顔してんじゃねぇ。俺が好きでやったことだと言っただろ」


どこか呆れたように告げるリヴァイにますます居た堪れなくなって、なまえはぎゅっとシーツを握り締める。
そこにどんな気持ちがあるのか、それとも助けた部下の様子がただ気になっただけなのか、後者の方が可能性としては限りなく高いが、それでも臆病風に吹かれて聞くことすら出来ない。


「退院は三日後だったか」

「あ、はい!」

「…そうか」


気まずげな雰囲気を一蹴するようにリヴァイがポツリと聞いた。一応大事を取ってあと三日は医務室で世話になることが決まっている。
なまえの返答に考え込むように腕を組んだリヴァイの向こう側に、茜色に染まっていく広い空が見えていた。


(…早く飛びたいな)


そうすればこのうじうじした気持ちも全て吹き飛ぶ気がした。空を舞っている時は、何も考えずに無心になれる唯一の時間なのだ。


「なまえ」

「はい!」

「三日後の夕方、迎えに来る。戻る準備をして待ってろ」

「え…いえ!そこまでお手を煩わせるわけには…」

「エルヴィンからの命令だ。班が全滅した今、お前は一応俺の預かりになっているからな」

「あ、そういうこと…ですか」


全ての疑問が解けた気がした。
すっぽり抜けていたが、なまえには今直属の上官がいない状態なのだ。
まさかリヴァイ預かりになっているとは思わなかったが、それなら今までのリヴァイの行動に理由がつく。


(そりゃそうだよね…)


早合点せず、変な期待をしないで良かったと心底思う。チクリと痛む胸奥は無視して、なまえは無理矢理笑って見せた。


「でも兵長…いくら預かりだとはいえ、兵長が直々に迎えに来て頂く必要は…」

「勘違いするな」

「え…?」

「エルヴィンの命令だからじゃねぇ。俺はお前だからそうしたいだけだ」


その真っ直ぐな瞳と共に、真っ直ぐな言葉がなまえの中にしっかりと刺さる。
グルグルと回る思考を纏めることが出来ずにただリヴァイを見つめ返すことしか出来ないなまえに、リヴァイは少しだけ頬を緩めた。


「…だから余計なことは考えず待ってろ。いいな」

「は、い…」


じゃあな、と背を向けたリヴァイが扉を出て行く音を聞き届けて、なまえは一度だけぱちりと目を瞬いた。いつの間にか夕闇が病室を覆っている。


「どういう…こと…?」


上昇したり急降下したり、そんな自分の気持ちが煩わしい。呆然と呟いたなまえの疑問は橙と濃紺の中に消えて行った。




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