あおぞらラプソディ(本文) | ナノ
青に交わる一筋の境


「っ、なまえっ…!!」

(…ああ…へ、いちょ…うの声だ…)

どこか焦ったようなリヴァイの声を遠くで聞きながら、なまえは真っ青な空がゆらゆらと揺れるのを感じた。
香ってきた土の匂いに、自分が地面に倒れこんでいるのだと遅れて気がつくが、何故か指先すら動かすことが出来ない。青空に漂う白い雲がやけに目に付くような気がして、なまえはゆっくりと目を閉じた。



リヴァイの個別訓練を受けてから約一ヶ月後、一週間後に壁外調査を控えたある日、なまえは習慣である訓練場に向かっていた。
昂る気持ちと少しの恐れ、そして何よりこれで彼の役に立てるかもしれないという高揚感。
それに背中を押されるように足を早めると、そこには今思い描いていたリヴァイの姿があった。

「リヴァイ、兵長…!?」

「よう」

今回の壁外調査の配置や班割を告げられたのはつい先ほどのことだ。幹部はまだ会議中だと思っていたが、リヴァイの方が一足早かったらしい。
あの個別訓練の日から、リヴァイはちょこちょこなまえの自主練に顔を出し、その姿をじっと見ては短くアドバイスを告げることが何度かあった。
最初は戸惑いと恥ずかしさ、恐れ多さで縮こまっていたが今ではもう慣れたものだ。彼と顔を合わせるだけで恥ずかしい、と殻を被っていた頃が懐かしい。

「…聞いたか」

「はい。光栄なことです」

「お前の実績と実力を鑑みてエルヴィンが決めたことだ。俺も妥当だと思う」

「兵長にそう言って頂けるなら自信がつきます」

リヴァイと話していると、今まで昂っていた気持ちが少しずつ落ち着いてくる。それと同時に肩肘を張って強張っていた身体でさえも徐々に力が抜けてきたのを感じた。
今回の壁外調査で、なまえは初列索敵班の副班長に抜擢されていた。初列索敵班はその名の通り一番最初に巨人と遭遇する班で、そこでのなまえたちの判断が作戦の成否を左右する。まさに要と言っていい班の副班長を命じられた時には、流石に全身が震えてしまった。

「お前のその高さと素早さは得難い力だ。討伐補佐数も申し分ねぇし、今回の班長になるやつとの相性はいいだろう」

「はいっ。必ずや兵団のため、人類の為に役目を遂行いたします」

「はっ…固ぇよ。そんなんだと壁外調査前に力使い果たしちまうぞ」

おかしそうに喉の奥で笑うリヴァイに苦笑を返す。初列索敵班の殉職率は決して低くない。巨人との遭遇率が一番高いのだから当たり前だ。
それでも実力が認められ、目の前のリヴァイの力に少しでもなれるのかと思えばそんな恐怖も吹っ飛ぶというものだ。

「ふふっ…兵長直々のご指導も頂いてますしね。死ぬわけにはいきません」

「当たり前だ。これでお前が死んだら、俺の指導はどうなってたんだとエルヴィンやハンジあたりにどやされるだろうな」

「兵長の名を汚さない為にも必ず生きて帰ります」

「そうしてくれ」

こうした軽口を叩けるようになるなんて、つい一ヶ月前までは考えられなかった。
それでも一言言葉を交わすだけで一日気持ちが舞い上がり、少しでもいいように見られたいと曖昧な笑顔で誤魔化していたあの頃に比べても、リヴァイへの気持ちは膨らむばかりだった。
勿論伝えるつもりは無い。リヴァイにとってなまえはそこそこ教えがいのある一人の兵士で、そこに何の感情もないことは十分理解している。だからこそなまえが出来ることは、教えてもらった技術を存分に発揮して彼の役に立つことだけだ。

「壁外調査が終わってお前も俺も無事に戻ってきたら…メシでも行くか」

「へ…?」

「まあ、なんだ…大役こなした褒美に好きなモン食わしてやるよ」

そっぽを向きながらボソリと言われたリヴァイの言葉を反芻して、なまえはかあっと顔に血が昇るのを感じた。それでも何度も首を縦に振り、ぎゅっと拳を握り締める。

「いき…行きます!是非!お願いします!行きたいです!」

「…そうかよ」

「絶対に生きて帰ります…!」

「…ああ。俺も今回は次列にいる。何かあったら必ず助けてやるから、安心して飛んでこい。ついでにしっかり巨人どもを削いでくるんだな」

「あはは、ついでですか」

リヴァイがなまえの自主訓練をそばで見るようになって分かったことがある。
何よりも飛ぶことが好きなのだと、真っ直ぐに空だけを見ているのだと、いつも全身でそれを表していた。青空だろうと曇り空だろうと、はたまた雨空だろうと、飛んでいる時の顔は生き生きと輝いて笑みさえ浮かべていることが多かった。
以前に一度、なまえに「本当に気持ちよさそうに飛ぶな」と声を掛けたことがある。その時、なまえはきょとんとしてからすぐに照れたような笑みを浮かべて、目を細めた。

「…見てみたい景色があるんです」

そう囁いた声音は甘く密やかで、なまえにとても大切なことなのだとすぐに分かるものだった。その切なそうな横顔に心臓が跳ね上がり、「…そうか」としか答えられなかった自分を恥じたものだ。

(ざまぁねぇな…)

リヴァイに頭を下げたなまえが、自主練のために立体機動に手を掛けた。そのまま近くの木にアンカーを刺し、高く空を飛んだ。

「…相変わらず高ぇな」

目を細めてそれを見送ったリヴァイの脳裏に、今回の壁外調査の班割りをエルヴィンから告げられた時のことが蘇る。
班割りと編成を淡々と説明するエルヴィンとは裏腹に、リヴァイは自分の眉間にどんどん皺が寄っていくのを自覚していた。

「どうしたリヴァイ。どこか不備があるか」

「…別にねえよ。相変わらず博打好きだと思っただけだ」

涼しい顔でリヴァイに声を掛けたエルヴィンだが、その内心はリヴァイの予想外の分かりやすさに面白さを隠せないでいた。
言いたいことは山程あるのだろうが、兵団にとってはこれが一番的確な配置であることはリヴァイも重々承知しているのだろう。それでも隠せないほどの焦りや憤りを表すリヴァイに、エルヴィンだけでなくハンジがニヤニヤ笑いながらその肩に手を乗せた。

「なーに言ってんだいリヴァイ!ちゃんと言わなきゃ駄目だろ?なまえをそんな危険な場所にやるとはどういうつもりだ!ってさ」

「触んじゃねぇよクソメガネ。んな公私混同出来るか」

「ほほーう…ってことは公私混同してることは認めるんだね?」

「チッ…うるせぇ黙れ」

「あはははは!まさかリヴァイがねぇ…。大丈夫だよ!今回は短い距離だし、初列索敵班の班長だって実力者だ。その他のメンバーだってきちんと弁えてる子たちばっかりだしさ」

「…んなこと分かってんだよ」

「リヴァイ、私だってちゃんと考えているさ。なまえは兵団にとっても貴重な戦力だ。むざむざ死なせたりはしない。それに…ここ最近の彼女の伸び具合は眼を見張るものがあるしな」

「うんうん!元々すごく綺麗に飛ぶ子だったけど、最近は今まで以上に戦闘力が伴ってきたよね!討伐補佐だけじゃなくて、単騎で討伐も狙えるんじゃない?」

「あいつに余計なこと言うんじゃねぇぞメガネ」

「なまえと距離を縮められたのは私のおかげでしょー?少しは感謝してくれても良いと思んだけどなあ」

大袈裟に嘆くハンジを無視して、「話は終わりだな」とエルヴィンに確認する。思うことはあるが、なまえの実力や班のバランスを考えればリヴァイもエルヴィンと同じ判断を下すだろう。
何かあれば自分が助ければ良いだけだ。公私混同と言われようが、リヴァイは自分の判断に後悔をするつもりはない。

「…オイ、エルヴィン。今日は菓子あるか」

「ああ、昨日丁度届いたやつがあったな。少し待っていてくれ」

「ほんっと健気だよねえリヴァイ…。なまえとの訓練の時間を捻出して、尚且つその後二人で過ごすためにお菓子まで持って行くなんて…健気すぎて涙が出そうだよ」

「ハンジ。あいつに余計なこと言いやがったらその首、巨人の餌にしてやるからな」

「わーお!どうせなら首だけじゃなくて全身で頼むよ!」

ハンジの嬉々とした台詞を再び無視して、リヴァイはエルヴィンが開けた箱からいくつかの菓子を手に取った。
女々しいと言われようと健気と言われようと、なまえがこれで喜ぶならそんなことは気にもならない。目の前で温かい目でそれを見つめるエルヴィンには本気で腹が立つが、彼が手に入れてくる菓子のおかげで、なまえの笑顔が見られているのには間違いはない。恥を偲んで頼んだ甲斐があったというものだ。

「しかしリヴァイ。余計な世話だとは思うが、ここまでしてまだ伝えてないのか」

「…本気で余計な世話だな。ほっとけ」

「エルヴィン、リヴァイはね、なまえが恋愛する気がないって言ってたのを気にしてるのさ」

「ほう…」

「てめぇらそれ以上首を突っ込むなら、突っ込む首を無くしてやろうか」

「それは遠慮しておこう」

態とらしくハンズアップしたエルヴィンに舌打ちをすると、些か乱暴に菓子をポケットに突っ込み部屋を出ていく。その後ろ姿を見送ったエルヴィンとハンジは、「…先は長そうだね」「全くだ」と言葉を交わして同時に苦笑を溢した。


一通り訓練場を一周してきたなまえが、軽やかにリヴァイの隣へと降り立った。
確かめるようにトリガーを握っている顔付きは穏やかで、先ほどまでの緊張は解けているようだ。

「悪くない。今のスピードと飛行距離を保てれば、奇行種相手でもやれるだろ」

「はい。兵長のおかげです。ありがとうございます」

「…休憩にするぞ」

そう言ってなまえに背を向けたリヴァイを慌てて追いながら、なまえは頬を緩めた。こうして自主練が終わると、リヴァイが貴族から貰って持て余しているという菓子を二人で突くのが恒例になっていた。
最初は多分に遠慮していたなまえだが、その度に鳥や馬の餌にするぞと脅されて、今ではなまえの何よりの楽しみな時間だ。
貴重な菓子はもちろん、リヴァイとの穏やかな時間は何にも代え難い大切なものだった。
今日のお菓子は何かな、と舞い上がる気持ちをそのままに、なまえは雲一つない空を見上げてにっこりと笑った。



なまえの脳裏に蘇ったリヴァイとの記憶に引きずられるように、曖昧になり掛けていた意識を集中させる。蒸発していく巨人の血のせいで視界が暗い。

(…あと一体か)

ニヤニヤと気持ち悪い笑みを見せる目の前の巨人に舌打ちをして、なまえはブレードを構えた。
奇行種らしくクネクネと身体を動かしながらもまだなまえに手を伸ばそうとはしない。
途中までは順調だった。
何度か巨人との遭遇はあったものの大きな戦闘になることはなく、奇跡的に死者もまだいないようだ。なまえも班長とメンバーと共に伝達を行いつつ、何体かの通常種を回避していった。間もなく中間地点だとほんの少し気を緩めたその時、右から三体の巨人がいきなり現れたのだ。

「っ、奇行種二体と通常種一体!全て五メートル級です!」

「クソっ…三体同時はきついなおい…!」

班員の悲鳴に似た声に、班長も苦々しげに呟く。
なまえもサッと血の気の引く思いを感じながらも、声を張り上げた。

「班長!私が通常種を一人でやります!」

「っ、ああ頼んだぞ!伝達係、応援を呼べ!それ以外は二人一組になって一体ずつ叩け!」

「「「了解!」」」

信煙弾を打った伝達係が次列に走り出すのを見届け、なまえは前を向いた。奇行種を二人一組で叩き、なまえが通常種を叩く。
一人で巨人を相手にするのは初めてだが、恐ろしくはない。何よりもここを生き残ることだけを考え、グリップを握った。
バラバラにばらけた巨人たちが突っ込んくるが、奇行種は纏まった班員たちの方へ向かっているようだ。迎え撃つ彼らに隙はない。なまえは手を振り上げた通常種を見上げ、アンカーを放った。

(っ、動きは鈍い…やれる!)

ぐいんっと身体が宙に浮くと同時に、真っ青な空と細く流れる雲が視界に入った。
どこまでも美しいこの景色は、彼の目にも入っているだろうか。
鳥のように空を駆けるリヴァイと同じ景色が見られるといいと、なまえはそう願いながら高く舞う。なまえを掴もうと手を伸ばした巨人のニヤついた笑みを見下しながら、ブレードを一閃させてうなじを削いだ。
地響きを立てながら倒れた巨人を見届けることなく、なまえは仲間がいるであろう場所を振り返る。砂埃が激しくて中々見えないが、二つの大きな巨人の周りを俊敏に飛び交う影を確認出来た。
ホッと息を吐いて助けに行こうとトリガーを構えた瞬間、断末魔の悲鳴が周りに響き渡った。

「ぎゃあああああ!!」

「っ、班長ーー!!クソっ…やめ、離せ…、ウワァァァ!」

プツリと途絶えた声に冷や汗が背中を流れる。
無我夢中で声の方へ飛ぶと、そこにはかつて仲間だった彼らの身体が転がっていた。

「班長っ…みんな…!!」

奇行種は二体ともなまえたちから離れた箇所で何かを咀嚼する動きを見せていた。
今ここに残っているのはなまえひとり、伝達が仲間を連れて戻ってくるまでどれくらいかかるのか。

(やるしかない…ここを突破されたら陣形が崩れる…!)

ごくん、と満足げに喉を鳴らした一体が、満面の笑みのままこちらへ跳躍したのを高く飛んで避ける。もう一体は目だけをなまえに向け、未だ動く気配はないものの油断は禁物だろう。
奇行種二体ともを倒せるほどの力はなまえにはない。無理をすればどちらかの腹の中に収まるだけ、出来ることはなるべく彼等を引きつけ、タイミング次第でどちらかを倒すこと。同時に援軍を待つことだけだ。そう決意してなまえはブレードを構えた。



視界に入る空は、どこまでも青い。
何とか一体倒したのは良いものの、ブレードは残り一本だ。目の前でクネクネと身体を動かしながらも手を伸ばしてくる巨人から逃げることすら精一杯で、そろそろガスの残りも危うくなってきた。

(さすがに…もうっ…)

滴り落ちる汗を乱暴に拭って地面に着地すると、そのままがくりと足をつく。体力も気力も最早尽きていた。

(くそっ…上か?横か…?)

飛ぶとしたらどちらへか。
その一瞬の迷いを瞬時に読み取ったのか、巨人が素早くその手を伸ばし、なまえの腕を掴み上げる。

「っ、ああああ!!」

圧迫感と共に、熱い痛みが腕から身体を駆け抜ける。ぱっかり空いた巨人の口が迫ってくるのがスローモーションのようになまえの目に映った。

(兵長…ごめんなさい…)

どこまでも高く飛ぶ彼と同じ景色が見てみたかった。
ゆっくり迫ってくる悍しい口元に、ぼんやりとする意識のまま震える手でブレードを振り上げたその瞬間。
巨人の背後から飛び立った緑の閃光が、正確にうなじを削ぎ落とし、ズシン…と重い音を立てて巨体が地面に倒れ臥す。その勢いのままなまえは地面に放り出された。

「っ、なまえ…!」

(へ、いちょ…う…)

呟いた声は届いたのか。
空高く飛び上がり急降下するその姿は、いつかの記憶と重なる。それを再び目に焼き付けて、なまえはゆっくりと瞼を下ろした。




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