あおぞらラプソディ(本文) | ナノ
跳ねる雨音の向こう側


隣に立ちたいなんて、烏滸がましいことは言わない。
あの人を護る盾になりたいなんて、恐れ多いことも言わない。
あの人の目に留まりたいなんて、そんな大それた願いを持っているわけでもない。
ただ一つ願うこと。
それは、あの人と同じ景色が見たい。
ただただ、それだけのこと。



「…立体機動で高く飛ぶコツ?」

なまえがハンジからもうすぐ定時だからと声を掛けられ、休憩のお供に誘われたのは霧雨が降る薄暗い夕刻のことだった。
持ってきた書類は山のようなそれの一つとなり、近いうちにどこに行ったのか選別も出来なくなってしまうだろう。急ぎではないとはいえ、どうせ催促しにきて一緒に探す羽目になるのは自分だと分かっていながらも、なまえはハンジの笑顔に根負けして席についた。
そんな中で問われた茶請けにもならない些末な会話に、なまえは首を傾げる。

「そうそう!なまえ、本当に高く綺麗に飛ぶだろ?何かコツとかあるのかなーって思ってさ」

「コツ、ですか…」

エルヴィンからお裾分けしてもらったというクッキーの、更にまたお裾分けになりながらなまえは考え込むように目線を上にあげた。
サクリ、と軽い音をたてて咀嚼されるクッキーは流石貴族からの貢ぎ物とあって高級品のようだ。

「…空を目指す、ことですかね」

「空?」

「はい。本気で空に届くつもりで飛ぶんです。巨人でもなく鳥でもなく雲でもなく…空に届かないかなーって思いながら、いっつも飛んでます」

「…空ねえ。でもさ、そもそも空の定義とは何になるんだろう?空が青く見えるのは太陽光が空気中の分子とぶつかって…」

「…ハンジさん、私が言ってるのはそういうことじゃないです」

なまえの言葉に一旦首を傾げたハンジがその持ち前の探究心を披露させ始めたのに気がつき、慌てて止める。止めどころを間違えたら、ほんの少しの休憩があっという間に夜中を迎えてしまうだろう。

「あはは、ごめんごめん!でもそっか…何よりも強い気持ちは、時に技術を飛躍的に進歩させることもあるもんね」

「…何が言いたいんですか」

「べっつにー?じゃあそもそも、なんで空に届きたいって思うのか聞いてもいいかい?」

にやにや笑いながらクッキーを丸々放り込んだハンジを恨みがましげに見遣った。口にしたことはないが、なまえの気持ちなんて聡い彼女にはすっかりお見通しなのだろう。

「…黙秘します」

「ははっ、それは残念だ。兵団随一の立体機動技術を持つなまえの秘密を明かせると思ったんだけどなあ」

楽しげに笑うハンジを横目で見ながらも無言を貫いているなまえの脳裏に浮かぶのは、初めてリヴァイが飛ぶのを見た時のことだ。そしてそれは、何度思い出しても色褪せることがない。




なまえ以外の班員が全滅し、あとは食われるのを待つだけだったあの時、自分に手を伸ばす巨人の後ろを舞った彼の姿は正に鳥のようだった。獰猛で美しい、鷹のようなしなやかさを持つ飛び方に、なまえは壁外ということも忘れてただただ見惚れたのだ。
きっと自分はリヴァイのように最強にはなれない。自分の身と、周りの班員のほんの少しを守ることで手一杯だ。リヴァイのように立体機動装置を操りたくても、なまえには無理だろう。それならせめて、誰よりも高く飛ぶ彼と少しでも同じ景色が見たくて、寝る間も惜しんで訓練してきた結果なのだ。

「なまえー?何思い出してるのかなー?」

そんな幸せそうに笑っちゃって、と未だにやにや笑い続けてるハンジに慌てて表情筋を元に戻す。そんなことをしてもきっと全てお見通しだとは分かりながらも、こんな気持ちをハンジに打ち明けるわけにはいかない。

「ま、なまえの立体機動はほんっとに見事なもんだよ!」

「そんな…私なんてまだまだですよ」

「うんうん!そんな謙虚なところも可愛いけどさ、もっと自信を持ちなよ。ね?」

「…ありがとうございます」

あれから何度も壁外へ出て、何度も何度も仲間を失ってきた。命を落としそうになったことも、あの時の一度だけでは無い。
それでも何とか死に物狂いで生き残って、気がついたら兵団の中でも古参の部類に入っていた。そのよしみでハンジやミケ、ナナバとはそれなりに気安い関係を築けている。
リヴァイとも顔を合わせる機会は少なくないが、ハンジのように軽口を叩けるはずもなく、いつも曖昧に微笑んで通り過ぎるだけだ。書類の受け渡しの時にほんの少し言葉を交わせた日には、ハンジの言う幸せそうな笑みを一日浮かべてしまっている自信がある。
そんななまえを見ていたハンジがガシガシと頭を掻きながらポツリと溢した。

「…ほんとにもどかしいなあ、君たちは」

「え…?」

「何でもないよ!ところで、なまえはどんな男がタイプなの?」

「…なんですかいきなり」

「だってさー、なまえかなりモテるだろ?今日だって憲兵団の…」

「ちょ、ハンジさ…な、なんで知ってるんですか…!」

「独自の情報網とだけ言っておこうかな。で?結局断ったのかい?」

なまえが以前から顔見知りだった憲兵団の男性に告白されたのは、今日の朝方だった。それなのにもうハンジの耳にまで入っているとは、本当にこの人の地獄耳には恐れ入る、と深々と溜息を吐きたくなる。

「…もちろん断りましたよ」

「なんでだい?顔良し、頭良し、憲兵団にしては気概もある。優良物件じゃないか!」

「ハンジさん、どこまで知ってるんですか」

なまえすらそこまで深くは知らない男だった。確かに会うたびに笑顔で紳士的に接してくれたし、調査兵団だからと言って小馬鹿にされることもなかった。それでも思い浮かべてしまうのは、あの小さくても大きな背中だけなのだ。

「恋愛にうつつを抜かしてる場合じゃないでしょう、私たちは」

気持ちとは真逆の言葉を言い訳に告げるなまえに、ハンジは首を傾げながらもう一枚のクッキーを手に取った。

「そうかな?確かに私たちは誰よりも死に近いところにいる。でもだからこそ、隣にいる相手をいつでも大切にしようと思えるんじゃないかな?」

「そう…そうですね…。ハンジさんの言う通りだとも思います。でも私は…」

「じゃあさ、なまえはどんなヒトだったら付き合おうと思うの?」

言葉を切って、さあさあと霧雨が降る窓の外を眺めたなまえの方を向き、ハンジが優しげに問い掛けた。彼女が思い浮かべる男はただ一人だと知りながら、なまえがどう答えるのか、それに興味があった。

「私…私は…」

ぼんやりと外を見つめていたなまえがハンジの方を向き直って口を開くと同時に、乱暴に扉が開かれた。

「おい、クソメガネ。いい加減に書類を……なまえ。いたのか」

「へ、兵長!」

「ああ、いい、お前は気にするな。俺はこのクソメガネに用がある」

慌てて立ち上がって敬礼をするなまえに軽く手を振ると、ノックも無しに乱入したきたリヴァイが胡乱な目付きでハンジを睨む。対するハンジはとてつもなく楽しそうな笑みを浮かべながら、立ち上がったなまえとリヴァイを交互に見た。

「へえー…ふーん…リヴァイ、あなたそういう感じなんだ」

「…何の話だクソメガネ。てめえんとこだけ経費の書類が返ってきてねえんだよ。今すぐ出せ、このウスノロが」

「あ、あの私、これで失礼します…!」

眉間に深く皺を寄せるリヴァイに改めて敬礼を捧げ、ハンジにはペコリと頭を下げる。クッキーを片付けていきたいがここはハンジの懐の深さに任せることにしよう。

「おい、なまえ…」

「兵長、お仕事の邪魔をして申し訳ございません!失礼します!」

リヴァイの呼び掛けを遮り、バタバタと部屋を出て行ったなまえを見送ったハンジは堪えきれない笑いを押さえることなく笑っている。

「あははははリヴァイ、逃げられてやんのー!」

「うるせえクソメガネ削ぐぞ」

「せっかくなまえの好みのタイプを聞けるチャンスだったのにさ。いいの?もったない」

「…何の話だ」

「あれー?しばらく扉の前で立ってたのリヴァイでしょ?いつ入ってくるのかなって思って待ってたんだけど」

リヴァイに言われた通りの書類を探す気は一応あるようで、ハンジは恐ろしく煩雑な机の上を漁りながらこともなげに言った。
気付かれているとは思っていなかったのか、リヴァイはこれ以上ないくらい不快げな顔でチッと舌打ちをして腕を組んだ。

「…うるせぇよ」

「ま、あんな風に逃げられてるようじゃ、少なくともリヴァイがタイプってことは無いんじゃないかな」

リヴァイに背を向けたまま書類を漁り続けるハンジが、ひどく楽しげな声音で言った。
いつもは冷静で感情の起伏も激しくないなまえが、リヴァイの前だとその仮面が剥がれてしまい笑みを浮かべるので精一杯になることも、その相手のリヴァイさえ、立ち聞きという彼らしくない行動を取ってしまうほどなまえが気になっていることも(しかも結局最後まで聞く勇気がないところも)面白くて仕方がない。
そんな内心を隠しながら、敢えてリヴァイに辛辣な言葉を告げて反応を楽しみに待っていたが、いつまで経っても返答が無い。
いつもなら「誰も願ってねぇよ」だとか「余計なことを言ってねぇで早く書類出せグズが」とか、氷よりも冷たい科白が返ってくるのだが。
不思議に思ってやっと見つけた書類を手に後ろを振り返れば、そこには苦虫を噛み潰したような複雑な表情を浮かべるリヴァイの姿があった。

「くっ…あはははは!リヴァイ、君なんて顔をしてるんだ!」

「…うるせぇよクソメガネ。早く書類寄越せ」

「なになに?なまえのタイプがリヴァイじゃないかもしれないってことが、そんなにショックなの?」

「だからうるせぇって言ってんだよ」

「大丈夫大丈夫!なまえ本人が言ってたわけじゃないし、リヴァイにもチャンスあるよ!ほら、憲兵団の子からの告白も断ってたし」

「…あいつは恋愛する気がねぇって言ってただろうが」

「あ、やっぱり聞いてたんだ?」 

嬉しそうにメガネを輝かせるハンジに、リヴァイは墓穴を掘ったと盛大に舌打ちをする。大体なんでこんな話をしなきゃいけないのだ、と本来の目的を達成するためにおぞましい机の上を指さした。

「くだらねぇ話をしてんじゃねぇよ。早く書類を探せ」

「…なまえは本当に綺麗に高く飛ぶよね」

全く噛み合わない話に益々苛立ちを募らせるリヴァイを放っておいて、ハンジは未だ霧雨が降る外を見遣った。

「知ってる?なまえってこんな雨の日も立体機動の訓練をしてるんだよ」

「は?危ねぇだろうが」

「私もそう言ったんだけどさ、壁外だと天気は関係ないからって」

ほんと真面目だよね、と笑うハンジに内心肯定する。なまえが真面目で勤勉で、それ故に着実に実力をつけて生き残ってきたことも知っている。
ハンジを始め、ミケやナナバ、はたまたエルヴィンともそこそこ気安い関係を築いていることも、宙を舞うその姿が「天使のようだ」と一部で騒がれていることも。そして、自分にだけ緊張した様子を見せてぎこちない笑顔を見せることも。

(…チッ、なんだってんだ)

そんななまえを気が付いたら目で追うようになっていた、というのが正しい。
最初は随分と高く飛ぶ奴がいるな、と目に留めたのがきっかけだった。立体機動で高く飛べることが、戦闘において特段強みになるといえるわけではない。だがなまえのそれは、高さはもちろん、素早さやタイミングの的確さから見ても大きな武器の一つだった。
彼女が飛ぶと、巨人どもが一様に上を見上げ手を伸ばすのだ。まるで何かを請うように手を伸ばす様は、いっそ哀れだともいえる。彼女自身の討伐数はそこまででもなかったが、討伐補佐数は群を抜いていたはずだ。

「あの憲兵団の子、諦められないみたいだよ」

「…あ?」

なまえと同じように、しかし鋭い視線で窓の外を見ているリヴァイにハンジがポツリと言った。
珍しく思考に耽っていたリヴァイが我に返ったようにハンジを見遣る。

「今日なまえに告白した子、もう一度伝えたいってなまえのことを探してるみたい」

「…だからなんだよ」

「今日の仕事終わりにももう一回伝える!って意気込んでたみたいだし、今頃なまえのところに向かってるんじゃない?こんな雨の中だといくらなまえが優秀な兵士だとはいえ…薄暗い中でいきなり襲われたら…」

大袈裟に心配する様子を見せるハンジに三度目の舌打ちを溢す。そんな簡単になまえが隙を見せるとは思えないが、それでも不意を突かれるということはある。

「…俺が戻ってくるまでに書類を探しとけよ」

「了解だよ!あ、なまえはよく一番訓練場にいるよ!」

それに答えることなく足早に出て行ったリヴァイを見送ったハンジは、既に手にしていた書類をそっとテーブルの上に置いた。そこには先ほどまでなまえと食べていたクッキーが残っている。

「…キューピットとか、柄じゃないんだけどなあ」

だが不器用すぎるあの二人には何かしらのスパイスが必要だったのだろう。そう思いながら放り込んだクッキーは、ひどく優しい味がした。




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