後ろから聞こえてきたその声に振り返ると、私はゆっくりと彼に目を合わせた。
彼の顔を見れば、笑っているように見えた。
しかし、こちらを見つめる目は暗く、光はない。
先程まで寝息を立て、スヤスヤと気持ちよさそうに寝ていたものとは思えないほど冷たい表情に、私は嫌な汗が伝うのを感じた。
しかし、それを振り払うかのようにわざとらしく笑って言った。
「何を言っているのですか?私にはさっぱりです。」
その言葉に彼は表情を変えた。少しの笑みは消え失せ、無表情でこちらを見つめた。
「白々しいね。ついさっき私を絞め殺そうとしたに癖に。」
今度はにやりと笑う彼に私は表情を歪ませた。
「起きてたんですね。」
「気づいてなかったのかい?」
その言葉に私は挑発されているのだと瞬時に理解した。彼の挑発にまんまと乗ってしまったが最後。彼のペースに持ち込まれ、すべてはかされてしまうだろう。
「ごめんなさいね。私、どうやらぬるま湯に浸かりすぎたみたい」
「ふふ、そんな事で私を殺せるのかい?」
「えぇ、やれますとも。力の差はあっても、私の方が身のこなしは上でしょう?貴方は異能以外は通じるのですから!!」
それを言い終わる前に、私はソファに乗り足にかけたナイフケースからそれを抜き取ると瞬時に彼の首にあてがった。
「このまま腕を引けば、終わりですね?」
「私が逃げられないとでも思っているのかい?」
「思ってませんよ。力じゃ勝てないのは百も承知。女の私は技術を磨くんですよ。現に貴方はよけられなかったでしょう?」
「莫迦だねぇ。わざと避けなかったのだよ。」
未だに余裕のあるその横顔に私は少なからず苛立ちを覚えた。
「避けなかったなんて、あなたに何の得があるんです」
声にその苛立ちを乗せて言い放つ。
本当にイライラする。この男の性格。のらりくらりとすべてをかわされているのがムカつく。
「大いにあるよ。私はねこの世界に生に執着なんてしていないのだよ。こんな酸化した世界に興味なんてないからね。」
当たり前のように言い放つ彼に私はいつもの彼を思い出した。
ふざけているのだと思っていたあの明らかにおかしな趣味。
「それで、貴方は死を望むと?」
「その通り。その先に何か予想もしないことが見つかることを期待してね?」
そういった彼の表情はほとんど変わらなかった。
しかし、それがまた彼の心を表しているように思えた。
「貴方はこの世界に何も見つけられず、そして、何も見つけられないことも理解している。だから生への期待をやめ、死の先に希望を託した。」
その言葉に肯定もしなければ否定もしない彼を一瞥し、サッとナイフを下ろした。
「なら何故あなたは、こんな日の当たる表の世界に出てきたのですか?裏の世界にいればあなたの望む死はこちらよりもずっと近かったでしょうに。」
その言葉に太宰は少しだけ寂しそうな表情を浮かべたかと思うと、ゆっくりと口を開いた。
「友人に言われたのさ。悪い人間でいようと良い人間でいようと変わらないのなら、せめていい人間になれとね。」
その言葉に私は少なからず驚いた。
その友人と呼ばれた人は太宰を深く理解していたのだろう。そして、太宰自身を理解した上で、太宰の求めるものがこの世に存在しないことも同時に理解していたのだ。
そうでなければ、あんなこと言えるはずもない。
理解していたからこそ、その人は太宰に進む道を示すことが出来たのだ。
「生きている間はせめていい人間であれ、か…。はぁ……。そんなことなぜ私に話すので?」
「君が聞いたのだよ?」
「あー。そうでした…。」
すっかりやる気をそがれた私はため息をついて、ソファからやっと降りると、ゆっくりと歩き出す。
「そう言えば、私の質問にも答えてもらってないね。殺さなくていいのかい?君にとって私は親の敵で憎くて仕方の無い存在だろう?」
同じくソファから離れた彼は問うた。
「確かに殺したいほどにくい存在ですけど、今の話からして、ころしたらあなたが喜ぶだけでしょう。」
当たり前のように答えると私は違和感を覚えた。
そしてその違和感の正体に気づくとバッと勢いよく振り返った。
「なんで知って!?」
確かに殺人未遂までして、殺意がある事は吐いていた。
しかし、私が憎んでいること、太宰が親の敵である事は一切口にしていない。
その台詞にニッコリと嫌味な笑顔を浮かべると太宰は口を開いた。
「君が私の周りを嗅ぎ回ってたこと気づいてないと思っていたのかい?」
最初からバレてた?
すべて知り尽くした上で、彼は私と話をしていた。
確かに、マフィアのそれも、最年少で幹部にまで上り詰めた男が私みたいなのに気づかないはずなんてない。
「じゃあ、なんで、野放しにしてたの…」
何気なく聞いたその疑問に太宰は少し驚いたような表情をして見せた。
その表情に少し首をかしげれば、また笑って言った。
「うーん。ま、私のことを本気で一番殺してくれそうだったからかなぁ」
「はぁ?莫迦なんじゃないですか?それにもう絶対殺してやりませんから!」
「あれー?殺したいんじゃなかったのかい?」
いやーな笑顔のまま笑う太宰にイラつき、素早く回し蹴りを決めると倒れなくとも少し唸った。
それを満足げに見ると私は告げた。
「貴方が喜ぶことなんて絶対しない!もし殺すとしたら貴方が生きたいと思った時のみです!」
「ほんとかい!そうなったら殺してくれるのかい!」
「あー!もう!ほんとに嫌い!そういうところが特に嫌いです!!」
「えー?私は名前ちゃんのこと嫌いじゃあないよー?」
軽い調子でいう太宰に嫌気がさし、さっさと帰宅の準備をして、カバンを掴むと足早に探偵社を、出る。
最後まで私を呼ぶ声が聞こえたが無視して来た。
くそっ!何なんだ!
殺してやりたいのに、殺したら太宰が喜ぶ結果にしかならないじゃないか!
復讐したいなんて思ってたけど、そんなことしたって全くの無意味!
あぁ嫌いだ!大嫌いだ!
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「帰ってしまったか」
その頃探偵社に残された太宰は1人、すっかり日の落ちた空を窓から眺めていた。
「なんで野放しにしたの…か。」
名前の言ったセリフを噛み締めるように復唱すると、ゆっくりとその口は弧を描いた。
「君は真実を知った時、一体どんな表情を見せてくれるのか楽しみだよ。」