短編 | ナノ


▼ やさぐれ少女の場合【前編】

※『やさぐれ少女と傍観少年』の続きになります。

















それは俺にとって特別な日だった。

再びこの世に生まれ変わった俺たちに共通するのは同じ名前と…生まれた日。それだけを頼りに必死であいつのことを探した。

そして、ナマエを見つけた日。

真っ白な雪がひらひらと舞い落ちていく中、目の前に立つ小さな体に柄にもなく動揺した俺はその場に立ち尽くした。再び出会えたことに胸の内は震えていたが、まさかこんなガキの姿で生まれ変わっていたとは思いもしなかった。

何よりこんなに幼い時期に両親を失い一人きりになっていたことに胸が傷んだ。俺がもっと早く見つけていれば…そんな後悔に苛まれながらナマエの前に跪いた。

「遅くなってすまなかった…」

小さな手を取りそう呟けば、ナマエは大きな目を更にまん丸とさせた。驚いた時の顔は以前とちっとも変わらない。体は小さくなっていても記憶の中の面影を見つけるとわずかに泣きたくなった。

それは、ナマエが10歳の誕生日を迎えた日の出来事だった。



【やさぐれ少女の場合】



肩に積もったわずかな雪を払って二人並んで玄関に立つ。決して立派なマンションなどではなかった。いうなればボロアパートだ。入る金などすべてナマエを探すために使っていたし、一人で住む部屋は雨風しのげるだけでよかった。だが、こうなることを想定してもう少しマシな部屋に住んでおくべきだっと今さらながらに後悔する。

「悪いな…今はこんなボロアパートだがいずれはちゃんとした所に…」

そう言いかければ、ナマエは首を左右に振ってみせた。

「おじさん…」

「あ…?バカ言え、俺はまだ二十代半ばだ…」

「お、おにいさん…」

「リヴァイでいい」

「リヴァイ…」

「なんだ…」

「わたし…今日からここに住むの?」

さっきまで今にも噛み付きそうなほど威嚇していたナマエは、すっかり不安気な表情で俺を見上げていた。その顔をじっと見下す。

「あぁ、そうだ…」

そう素っ気なく答えればナマエは戸惑ったように視線を彷徨わせた。本当はなにか安心させる言葉をかけたかったが、こんな子供にどう接すれば良いかなど分からなかった。玄関に立ったままだったナマエを部屋にあげると、思い出したように呼び止める。

「おい、お前…今日誕生日だろ…」

そう言えばナマエは驚いたように振り返った。どうしてそのことを知っているのかと訝しげに細められた目から視線を逸らす。

「施設の人間に聞いてな…」

それは嘘だった。再びこの世に生まれた俺たちに共通するのは同じ名前と、生まれた日。今日という日は俺にとってずっと特別な日だった。

「ケーキみたいな洒落たもんはないが…何か作ってやる。待ってろ…」

ナマエは小さく頷くと斜め掛けのバックをかけたまま居間にある机の前に座った。しばらく部屋の中をきょろきょろと見回していたがすぐに持ってきた荷物の中からスケッチブックを取り出して絵を描きはじめた。

あいつは絵を描くのが好きなのか…

そんな姿を視界の端で捉えながら、冷蔵庫を開ける。残り少ない食材に小さく舌うちすると、コンロ下から鍋を取り出した。



二人で囲うには少々狭いくらいの机にガスコンロと鍋を置いて向かい合う。10歳の子供が喜ぶものなど想像もつかず残っていた野菜で鍋を作った。きまりが悪そうにその蓋を開ければ、入っていた牡蠣を見てナマエは驚いたように目を見開いた。

「本当はこんなもん誕生日に食わすもんじゃねぇんだが…」

「ううん、わたしこれ好き…」

「そうか…」

「うん…」

ぐつぐつと鍋が煮える音だけが部屋に響く。会話の糸口が見つからずひたすら鍋の灰汁をすくっていれば急にぐすぐすと鼻をすする音が耳に届いた。驚いて顔を向けると、ナマエは唇を噛み締めぽろぽろと涙をこぼしていた。

「どうした…苦手なもんでもあったか…?」

そう言えばナマエはふるふると首を横に振った。

「なら、なぜ泣く…」

「おいしいから…」

こんな時、どうすればいいか皆目見当がつかない。子供と接する機会などなかったし、誰かと親密な距離で過ごしたこともない。かける言葉が見つからず固まっていればナマエは鼻をすすりながら再び鍋を食べはじめた。

「おい、泣くな…これからは俺が…毎年作ってやる」

なけなしの経験と語彙力を駆使してそう言えば、ナマエは涙をぼろぼろと流したまま小さく頷いた。その姿に目を細める。

こいつはナマエのようで、俺の知ってるナマエじゃない。まさかこんなガキの姿で生まれ変わっているとは思いもしなかった。そして当たり前のようにあると思っていた過去の記憶がない。分かっていても戸惑ってしまう。

ナマエと初めて過ごした誕生日はそんな戸惑いと同時に、確実に小さな幸せを手にした日でもあった。



――――――



11歳の誕生日。

リヴァイと共に暮らしはじめて一年が経った。仕事に追われながらもリヴァイは不器用な愛情を私に向けてくれた。毎日が幸せだった。二人でご飯を食べ、他愛のない話しをして、一緒に眠る。それだけで満たされていた。

お気に入りのスケッチブックに色とりどりのクレパスを使って窓から見える景色を描いていれば背後から声がかかる。

「おい…絵ばっかり描いてないで少しは勉強しろ。宿題は終わったんだろうな…」

「もう、さっき終わったよ…」

振り返ることなく面倒くさそうにそう答えると、リヴァイは呆れたように溜め息をついた。

「…それよりお前、今日誕生日だろ。何か食いたいもんはあるか…?」

「リヴァイの作った鍋がいい。去年と同じカキの入ったやつ」

振り向きざまにそう言えば、リヴァイの顔は分かりやすく歪んだ。

「去年も言ったが…あれは誕生日に食うようなもんじゃねぇよ。なんなら外に食いに行くか?」

「ううん、私…あれがいい」

お願い…と縋り付けば再び呆れたような溜め息がふってきた。しょうがねぇな…と私の頭に手を置いて踵を返すその背中に笑顔を向ける。最後にはいつも私のお願いを聞いてくれるリヴァイ。一年という時間の中で私たちは確実に距離を縮めていた。

だけど、どうしても分からないことがあった。
時々、リヴァイが私のことを悲しげに見つめるのは何故なのか…

その理由をなんとなく子供ながらに知らなければならない気がしていた。



去年と同じようにぐつぐつと煮える鍋を二人で囲む。外は今にも雪が降り出しそうなくらい冷え込んでいたが部屋の中は暖かかった。リヴァイは慣れた手つきで取り皿に肉や野菜を取り分けると、火傷するなよ…と差し出した。

「あれから一年経ったとは思えねぇな…」

「うん…」

感慨深い表情でそう呟いたリヴァイをじっと見つめる。ちょうど一年前の話しになったし、気になっていたことを口にした。

「ねぇ…リヴァイはなんで私を迎えに来てくれたの?」

できるだけ自然にそう切り出せば、リヴァイは驚いたように肩を揺らして動きを止めた。急に不自然な沈黙が部屋の中に落ちると慌てて言葉を続けた。

「べ、別に理由なんかないよね…」

「いや…昔からお前を知ってたからだ…」

そう言われて記憶を辿る。確かにリヴァイは初めて会った日から私のことを知っているようだったが、私にはリヴァイの記憶などなかった。

「そんなことより、お前…これが欲しいと言ってただろう」

思考を遮るように差し出された袋に大きく目を見開く。リヴァイが取り出したのは似合わないくらいファンシーな紙袋だった。

「ま…マロンちゃんシリーズだ…」

一目見ただけで分かる可愛らしいマーク。それはクラスで人気のキャラクターグッツで、コマーシャルが流れるたびに可愛いなぁと呟いていたものだった。すぐに中を覗いて目を輝かせる。専門店でしか手に入らないスケッチブックや色鉛筆だった。

「で、でもこれ…誰が買いに行ったの?」

「…………」

紙袋から取り出しながら顔をあげれば、リヴァイは気まずそうに顔を逸らした。

「俺だ…」

「え…ひ、ひとりで…?」

「そうだ…何か問題でもあるか…?」

「ぶっ…」

その想像もしなかった答えに私は勢いよく吹き出した。あのキラキラと可愛いグッツで溢れるファンシーなお店にリヴァイが一人で入ったところを想像したら笑いが止まらなくなった。

「おい、それ以上笑うんじゃねぇよ…」

「ご、ごめん…」

すぐに謝ってみたものの、やっぱり思い出しただけで笑いが込み上げてくる。同時に胸の中に温かくてくすぐったいものが沸き上がってきて、誤摩化すように下を向いて笑い続けた。


そう、確かに幸せだった。この時までは。リヴァイが迎えにきてくれたのは私自身だとなんの疑いもなかった。


片付けを終えると、もう寝ろと言われて布団に入る。リヴァイからもらったスケッチブックと色鉛筆を胸に抱いて目をつむる。胸の中にあるぬくもり。両親を同時に失って冷えきっていた私の中に沸き上がる感情。それらすべてを抱いて眠りにつこうとしていた瞬間、ふいにリヴァイの声が耳に届いた。居間から漏れるわずかな灯りに目をこすりながら起き上がれば冷たい空気にぶるりと震えた。

こんな時間に電話だろうか…
そう思って襖に手をかけた瞬間、すぐに動きを止めた。

「あぁ…手紙で説明した通りだ。ようやく見つけたが…まさか、あんなガキだとは思わなかった…」

それは私のことだと直感的に分かった。
頭の先からつま先まで硬直する。

「…それに、あいつには過去の記憶がない」

未だに思う。どうしてこの時すぐに部屋から飛び出して記憶について聞かなかったのかと。だけどその時の私にはそんな余裕などなくて、ただひたすらリヴァイが迎えにきたのは私じゃないという事実に打ちひしがれていた。


小さな音をたてて腕の中から色鉛筆が転がっていくのが見えた。



――――――



12歳の誕生日。

リヴァイは滅多に人を家に呼ばない。そんな彼が珍しく家に招待した長身の男から逃げるようにしてリヴァイの背中に隠れた。

「…安心しろ、こいつは俺の古くからの友人だ」

そう言われて背中から顔を出せば、高級そうなスーツに身を包んだ男は私の背に合わせて屈んでみせた。コロンのような独特な香りがふわりと鼻を掠める。

「可愛らしいな。これくらいのナマエも…」

「おい…こいつの前で変なことを言うな、エルヴィン」

「あぁ、すまない…」

エルヴィンと呼ばれたその人は、澄んだブルーの瞳を私に向けるとまるで安心させるようににっこりと微笑んだ。エルヴィン…その名前には聞き覚えがあった。去年リヴァイが電話で話していた相手。過去の私を知ってる人…そう思うとごくりと生唾を飲み込んだ。



今年の誕生日もまたリヴァイの作った鍋を囲む。ぐつぐつと煮える鍋を囲みながらいつもと違うのはエルヴィンがいること。スーツを脱いだエルヴィンはいつかの私と同じように珍しいものでも見るように牡蠣を見つめていた。そんな姿に小さく笑みが漏れる。

「それにしても、ナマエは凄いな…」

急にそんな風に言われて驚いたように顔を向ける。

「進学校に主席で入学するんだってな…リヴァイも鼻が高いんじゃないか?」

「俺はこいつの成績なんかどうだっていい…怪我や病気がないんだったらそれだけでな…」

その言葉にぎこちない笑顔を浮かべる。去年の誕生日から私の心には暗い影が落ちたままだった。勉強も頑張ったし、模範的な良い子でいようと努めた。リヴァイに心配はかけたくなかったし、何よりまた「この子は違う」と思われるのが怖かった。



鍋を食べ終わる頃にはすっかり緊張もとけて、気付けば居間で眠っていた。いつの間にか掛けられていた毛布に気付いて瞼をごしごしと擦りながら起き上がる。ぼんやりとした意識の中で台所で話すリヴァイとエルヴィンの声が聞こえてきた。

「幸せそうだな…リヴァイ」

「…まぁな」

「2000年前のナマエも…頭の切れる聡明な子だった…」

「………」

「当時の面影はあるが…やはり記憶がないというのは辛いものだな」

「…おい、エルヴィン」

「あぁ、分かってるよ。だが、お前は何とも思わないのか…?」

二人の会話を盗み聞きながらドクドクと心臓が波打つのが分かった。握りしめていた毛布にぎゅっと力を入れてリヴァイの次の言葉を待った。

「いや、これでいい…あんなクソみたいな記憶があったところで、あいつを苦しめるだけだ…」

「だがお前は…あの子のことを…」

「今は…親代わりとしてあいつのことを大事に思ってる。それだけだ…」

「親代わり、か…」

何故だろう、その会話を聞いて無性に胸が痛んだ。どんなに勉強を頑張ったところで、どんなにいい子を演じたところで、リヴァイの求める"彼女"には絶対になれないのだと、そう突きつけられた気がした。



――――――



13歳の誕生日。

その日、私たちは新しい住処となるマンションに引っ越した。これまで住んでいたアパートとはまるで違うコンクリートでできた部屋を見回す。まだ家具の入ってない部屋は広くて無機質でほんの少し冷たく感じた。

「すごい…今日からここに住むんだ…」

「あぁ、ここならお前の学校にも近いし仕事で遅くなっても安心だからな…」

リヴァイは仕事で帰りが遅くなることが多かった。その帰りを寝ずに待っていれば、いつも渋い顔をされた。私が先に眠らないのは一人が怖いからだとリヴァイは思っているみたいだが、本当はそうじゃなかった。

「気に入ったか…?」

「うん…でもちょっと広すぎじゃないかな?」

「狭いよりいいだろ」

「それはそうだけど…」

「32年ローンだ…汚すなよ」

「私、前のアパートも好きだったけど…」

そう言いかけて突然、視界が揺れた。ぼやける景色にふらりと体が揺れれば、すぐに逞しい腕に支えられた。

「おい…」

見上げれば思ったよりも近くにあった顔から咄嗟に視線を逸らした。リヴァイは小さく舌うちすると私の両肩をつかんで強制的に視線を合わせた。

「お前…また無理してねぇだろうな…」

「し、してない…」

嘘だった。学費の一部が免除される特待生として志望する高校に入学するために、ほとんど寝る間も惜しんで勉強していた。リヴァイには迷惑をかけたくない。

それに…

過去の自分にどれだけ近づけているだろうか。そんな思いがつねに胸の中にあった。馬鹿みたいな虚栄心。自分で分かっていてもやめられなかった。じっと私の顔を見つめていたリヴァイがふいに口を開いた。

「お前、スケッチブックはどうした…」

「スケッチブック…?」

まだカーテンのついてない窓から眩しいくらいに光が差し込む。その日当りの良い部屋に視線を移すと、あぁ…と思い出したようにリヴァイへ顔を向けた。

「捨てたよ…」

そんなもの…と吐き捨てるように言い放つ。
スケッチブックなど今の私には必要なかった。

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