短編 | ナノ


▼ 秘めたるは過去へA

目が覚めると既にリヴァイの姿はなかった。サイドテーブルに置かれたいくらかのお金が目に入ると胸にわずかな陰りが落ちる。娼館の入り口で代金は支払っているはずだから、これはリヴァイが個人的に置いていったものだろう。複雑な気持ちでそれを手にとると静かに息を吐きだした。

「こんな大金…」

リヴァイが何をしてお金を稼いでいるかその全てを知っているわけではなかった。おそらく私と同じくらい身を削っているのだろう。時には命を危険にさらしてでも。年を重ねるごとにリヴァイのことが分からなくなっていくのが、ほんの少しだけ怖かった。

(危険なことに関わってなきゃいいけど…)

願うのはただひとつ、それだけだった。





その後、自分も娼館を出ると一人薄暗い路地を進んでいた。地下街に昼も夜もないが、それでもこの時間になれば路地を歩いている人影はほとんどない。ふいに誰かの気配を感じて振り返る。そこは薄暗い路地が広がるだけでなんだか気味が悪くなった。走り出そうか迷っていると、突然伸びてきた手に腕を掴まれる。振り返れば下品な笑みを浮かべた中年の男が立っていた。

「なぁ、嬢ちゃん娼婦なんだろ?お試しってことでさ…」
「は、離して…!」

ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら腕を引く男に懸命に抗ったがやはり力では敵わない。辺りを見回してみてもやはり助けてくれそうな人は見当たらなかった。こういう時に浮かんでくる名は決まっていつも同じだ。

「リッ…リヴァイ…!」

助けて、と言い終わる前に頭上から一つの影が落ちてきた。

その素早い動きをすぐには捉えることができなかったが、私の腕を掴んでいた男が吹っ飛んでいくのだけは分かった。一瞬、リヴァイかとも思ったがすぐに違うと分かった。目の前で翻ったのは濃緑のマント。中年の男の悲鳴があたりに響きわたった。

「たっ…助けてくれぇえ!」

私は何が起きたのか分からないまま立ち尽くすことしかできなかった。背を向けているのは兵団のマントで身を包み口布で顔を隠した男。さっきまでリヴァイと話していた、地下街を賑わせている張本人。

―――脱走兵だ。

恐怖のあまり力が抜けたようにその場に尻餅をつく。それに気付いた男がゆっくりと踵を返したが私も距離をとるように後ずさる。目の前まで迫ってきた男は無言で私の腕をとると強引に立ち上がらせた。

(な、なに…)

まるで怪我でもしていないか確かめるような男の動きに、全身を硬直させたまま大きく目を見開く。すぐに騒ぎを聞きつけた人々の足音が近づいてくると男は身を翻して暗闇に飛び立っていった。

一瞬の出来事だったが、随分長い時間にも感じた。

(もしかして…助けてくれたの?)

頭の中はいまだ混乱したままだったが、男が危害を加えようとしていなかったことだけは確かだった。それどころか助けてくれたのでは。唯一外気に晒されていた男の瞳は不思議と悲しげに見えた。私は暫くその場から動けないまま、男が去っていった方向をぼんやりと見つめていた。





翌日、この事をリヴァイに話すか悩んでいた。ただ闇雲に心配させるだけかもしれないとも思ったが、何か情報があればすぐに教えるとも約束していた。客入りが悪かったその日、早々に仕事を終えた私はリヴァイ達ゴロツキのアジトへと向かった。

地下街の中枢に位置する建物に辿り着くと足早に階段を登りドアノブに手をかける。同じタイミングで中から聞こえてきた声にはっとして動きを止めた。

「どっちにしろ目障りだ…俺たちは奴の立体機動装置を奪う」

聞こえてきたのはリヴァイの声だ。話しているのは例の脱走兵についてだろう。罪悪感を携えつつも扉に耳を寄せる。

「憲兵の奴らより先に見つけるんだろ?なら決行は明日か…」
「ああ…だが気を抜くんじゃねぇぞ。奴の立体機動は憲兵の奴らとは比べものにならん」
「だったら北の外れにある洞窟に誘い込むってのはどうだ?」

そう提案したのは仲間のファーランの声だ。彼は得意気に続けた。

「あそこならお得意の立体機動もろくに使えないだろうからな」

それに対して何かを言いかけたリヴァイだったが急に待て、と声を潜めた。

「おい…そこで盗み聞きしてやがるのは誰だ」

その低い声に扉に耳を寄せていた私の肩はビクリと跳ねた。すぐに観念したようにドアノブを回せば部屋の空気は一瞬にして和らいだ。なんだ、ナマエかと…苦笑を浮かべたファーランに申し訳なさそうに笑みを返す。

「ごめん…立ち聞きするつもりはなかったんだけど…」

そう言って俯く私をちらりと見たリヴァイはファーランたちに指示を出すと私の手を取り足早に部屋の外へ向かった。静かな路地に出ると前を歩いていたリヴァイはいつもの無表情で振り返った。

「ここには来るなと言ったはずだが…」
「そ、それは…」

もちろん忘れたわけじゃない。自分が誰に狙われているかも分からないからと、リヴァイはアジトには近付くなと何度も私に言い聞かせていた。用があるときは特定の誰かを使って連絡を取り合うか昨日のようにリヴァイが店を訪れた時に話をする。そういう手筈になっていた。

「まぁ、いい…お前が盗み聞きしていた件は後回しだ」
「……ごめん」
「何かあったのか?」
「ううん、そういうわけじゃないんだけど…」

もごもごと言い渋る私をリヴァイはじっと見つめた。

「ねぇ、リヴァイ…あの人…あの脱走兵なんだけどさ…」
「何だ…」
「もしかしたら、悪い人じゃないのかも」
「あ?」

ジロリと突き刺さるリヴァイの視線。こんなに鋭い視線を向けられたのは随分久しぶりだった。しばらく二人の間に嫌な空気が流れたが小さく舌うちしたリヴァイがそれを打破るように口を開いた。

「奴が善人だろうが、悪人だろうが関係ない…俺たちは奴の立体機動装置を奪う、それだけだ」
「うん…そうだよね。ごめん、変なこと言って」

やっぱり昨日のことをリヴァイに話すのはやめよう。そう結論付けるとそそくさと背中を向けたが、いつもより低い声に呼び止められた。

「ナマエ…」

ゆっくりと振り返ればリヴァイは珍しく神妙な面持ちで私を見つめていた。

「奴には近付くな…いいな?」

リヴァイは勘がいい。
面倒くさいことに昔から。

「うん、分かってるよ…」

まるで心の中をすべて見透かされているようで、視線を彷徨わせた私は足早にそこを後にした。





翌日になってもリヴァイたちのことが気になってしょうがなかった。本当にあの男を捕えるつもりなのか、失敗して怪我などしないか、そんなことばかりが頭を占め心ここに在らずのまま部屋に待機していると娼館の主人がノックもせずに入ってきた。今日の客についての説明を終えた主人は何かを思い出したように顔をあげた。

「ああ、そうだ…くれぐれもあの場所には近付くなよ」
「あの場所…?」

一体、何のことだと首を傾げれば主人は常連客に聞いたんだが…と続けた。

「北の外れにある洞窟だよ…あそこは確かお前の住む長屋の近くだったな。どうもあの辺一帯地盤が緩んでるらしい」

その言葉に私の思考は一瞬にして停止した。

「ナマエ…お前は今やうちの一番の稼ぎ頭だ。大事な商品に傷でもついたら大変だからな」

そんなことはどうでもよかった。北の外れにある洞窟といえばリヴァイたちが男を捕獲するためにおびき寄せる手筈となっている場所だ。地盤が緩い…彼らはきっとそんなこと知りもしないだろう。

「ッ……!」

気付いた時には走り出していた。部屋を飛び出し、背後から娼館の主人が何やら叫んでいるのが聞こえたが振り返ることなく走る。

はやく、はやく、
リヴァイ達に知らせなければ
誰かが怪我をしてしまう前に―――!

嫌な考えを振り払うように走る。息を切らせ、流れる汗も拭うことなくひたすら走った。地下街の最北にある洞窟は隙間風がビュービューと絶え間なく吹き、天井からは水滴が落ちる。湿気がひどく薄暗いその場所は好奇心旺盛な子供たちでさえ近付こうとはしなかった。

岩肌が四方八方に剥き出しになり、狭い空間がどこまでも続くそこは確かに立体機動は使えないだろう。誘い込むにはうってつけかもしれないが、地盤が緩んでいるとなれば話は別だ。

(急がなきゃ…)

しかし、そんな私の心配は杞憂に終わった。辿り着いた先に、脱走兵どころかリヴァイ達の気配さえない。

「よ、よかった…間に合った…」

そんな独り言と共に大きく息を吐きだすと、乱れた呼吸を落ち着かせるように上体を屈める。ようやく額を流れ落ちる汗を拭った――その時だった。ゴゴ…と嫌な音が耳に届く。ボロボロと小さな石ころが降り落ちてきたと思えば、すぐに大きな音をたてて岩が崩れ落ちてきた。

「きゃっ…!」

咄嗟に頭を庇うように腕を上げたが、すぐにはその場から動くことが出来なかった。固く目を瞑り、もうダメだと思った瞬間、私の体は重力に逆らうように舞い上がった。背後から轟くのは岩と岩がぶつかる激しい衝撃音。

一体なにが起きたのか、訳も分からず顔をあげて大きく目を見開いた。私の体を軽々と抱きかかえていたのは口布をした脱走兵の男だった。

何度かアンカーを噴射させて軽やかに地面へと舞い降りた男は、急に低いうめき声をあげてその場に踞った。押さえていた肩から滲んでいたのは鮮明な赤。

「血がっ…血がでてる…」

おそらく私を庇った際に負った怪我なのだろう。咄嗟に近付こうとしたが男はそれを遮るように距離をとった。構わず距離を詰めると今度は私が男の体を支えるように肩に腕を回した。

「私の家はすぐそこです…とりあえず、そこで手当を」

辺りはすでに騒ぎを聞きつけた人で溢れ返っていた。それを避けるように薄暗い路地を進んで自宅と呼ぶには少々粗末な長屋へと向かった。男はしばらく何か言いたげな様子だったが傷が痛むのか大人しく私に従った。





ベッドとテーブルしかない簡素な部屋の中は異様な空気に包まれていた。男をベッドに座らせると、リヴァイのために常備していた薬箱を持ち出す。慣れた手つきで傷口の消毒をして、肩から腕にかけて包帯を巻きながらちらりと目の前の顔を見上げる。相変わらず口布で覆われているためその表情は確認できないが、醸し出す雰囲気から大分年上に見えた。

「助けてくれて、ありがとう」

声をかけると男は伏せていた瞼をわずかにあげた。何のことだと言わんばかりの視線に小さく息を吐く。

「さっきも…昨日も、私を助けてくれたんでしょ?」

包帯を巻く手を止めてそう言えば、男はすぐに視線を逸らした。どこか既視感のある仕草にわずかな違和感を感じたが、再び手当に集中する。

「勘違いするな…お前を助けたわけじゃない」

布越しに発せられたのはぐぐもった低い声。そんなことを言いながらも男の手は私の頬へと伸びてきた。驚いて動きを止めたがその手はゆっくりと頬を撫でていく。同時に走るピリッとした痛みに、初めてそこに傷ができていたと気付いたが、男の怪我に比べたらかすり傷程度だ。

「あなたは…一体何者なの?本当に脱走兵なの…?」
「なぜそう思う」
「皆がそう言ってるから」
「なら、そうなのかもな…」

その答えになってない返事にむっとして眉根を寄せたが、すぐに噂を耳にした場所、娼館のことをを思い出すとすくっと立ち上がった。

「ご、ごめんなさい…わたし…仕事に戻らなきゃ」

その言葉に男の瞳がわずかに揺れた。

手当を終えたばかりの体を半ば強引にベッドへ寝かせるとそのまま部屋の出口へ向かったがすぐに腕は掴まれた。一瞬、頭の中にリヴァイの顔がちらついたが、それを追い払うように首を横に振って男を見下ろす。

「心配しないで…憲兵にも、他の誰にもあなたのことは言わないから」
「………」
「また夜に、何か食べ物を持って戻ってきます」

だから今はゆっくり休んでくださいと微笑むと、男は静かに私の腕から手を離した。

部屋を後にした私は一度も足を止めることなく娼館へ戻った。急に出て行ったこと、顔に傷を作って戻ったことに娼館の主からはひどく叱られたが、私はどこか心ここにあらずだった。あの悲しげな目をした男のことがどうやっても頭から離れなかったのだ。

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