駆逐ハウス | ナノ


▼ chapter09 嘘

「エレン…」

名前を呼べば、その声は不自然なほど静かな駐車場に響きわたった。

数メートル先にいたエレンは信じられないものでも見るかのように大きく目を見開き立ち尽くしていた。誰も動こうとしないまま時間だけが流れていく。その突き刺さるような視線に耐えきれなくなって立ち上がろうとすれば、強い力で腕を引かれて再び腕の中へと戻された。

そのまま私の耳元に口を寄せたリヴァイはいつもの低い声で囁いた。

「おい、少し黙ってろ…いいな?」

「えっ…一体なに…」

「いいから黙ってろ」

そう言い終わるやいなや私の首筋に顔を埋めたリヴァイはあろうことかそこに口付けた。ひんやりとした感覚からチクリと痛みがはしると思わず声をあげる。

「やっ…ちょっと…!」

すぐに体を引こうともがけばそれを阻止するかのように強い力で抱きしめられる。こんな場所で、しかもエレンの目の前で、リヴァイの考えていることが分からずひたすら両手を前に突き出したがその体はビクともしない。

「リヴァイ…やだっ…やめてよ…!」

次第にエスカレートしていくその行為に声をあげていればズカズカと大股で距離を詰めたエレンが信じられないくらい強い力で私をリヴァイから引き離した。そしてそのまま躊躇うことなくリヴァイに向けて拳を振り上げた。

え…と思った瞬間、鈍い音が響きわたった。

「エレン…!!」

その思いもよらない行動に息を飲む。すぐに止めようと腕を掴んだが、エレンはリヴァイを見据えたまま動こうとしなかった。

「おい、クソガキ…これはなんの真似だ…」

「それはこっちの台詞です…あんた一体何のつもりですか…」

低い声でそう言ったエレンは怒りでわずかに震えていた。手の甲で口元を拭ったリヴァイは面倒くさそうに舌うちをして顔をあげた。

「はっ…こいつの反応が面白いから少しからかっただけだろ…」

「なっ………」

「俺がこんなガキを本気で相手にするとでも思ったか…?」

その言葉にますます顔を顰めたエレンは私の手を握るとすぐに踵を返した。強い力で手を引かれながら振り返れば、座り込んだままのリヴァイと視線が合う。その目が私に行けと言っていた。



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「チッ…あのガキ…本気で殴りやがって…」

痛む口端に薬指で触れていれば、突然目の前にハンカチが差し出された。

「アカデミー賞並みの演技だったね…」

「…盗み見とはいい根性してるな…クソメガネ」

言いながら受け取ったそれが果たして清潔なものか一瞬躊躇した後、切れた口端にそれをあてた。

「ここは寒いからさ…部屋に入って一杯やろうよ」

「俺は飲みたい気分じゃないがな…」

「まぁまぁ…エルヴィンのとっておきのやつ開けてあげるからさ」

ハンジはそう言って俺の前に手を差し出すとにやりと笑ってみせた。その顔を見る限りこいつは常習犯なんだろう。諦めたように息を吐くとその手をとって立ち上がった。



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エレンに手を引かれたまま、ひたすら暗い夜道を進んで行く。振り返ることなく足早に進んでいくその背中をじっと見つめる。エレンが怒っているのは一目瞭然だった。分からないのは怒っている理由だ。約束を破ってリヴァイの元へ行ったことを怒っているのだろうか。

繋がれた手を離そうとすれば更に力が込められる。

「い、痛いよエレン…」

「悪い…」

エレンはすぐに手を離すとバツが悪そうに足を止めた。辺りを見回せばそこは見覚えのある公園だった。

「ここ…」

それはあの日、エレンにもうやめろと言われた場所。ずっと抱いていた想いを打ち明けて、見事に玉砕した公園。頭の中でフラッシュバックする降りしきる雨と去っていく背中に胸が痛んだ。

「あの日…俺が言ったことは取り消せないって分かってる…」

「………」

「だけど…ずっと後悔してた。なんであの時振り返らなかったんだって…」

エレンは悲しげに眉根を寄せると、ゆっくり言葉を紡いだ。

「ごめんな…一番大事なお前を、俺はずっと傷つけてた」

それは夢みてた言葉で、無意識に涙が流れる。それに気付いたエレンは大きな手のひらで優しく涙を拭った。そのまま両手で頬を包むとじっと私を見つめる。

「ナマエは覚えてないだろうけど…お前が初めてキスした相手はあの人じゃないんだ…」

「え…」

「俺は…子供の頃からずっと…お前のことが好きだった」

その言葉に首を横にふるとエレンから距離をとる。

「ずるいよエレン…なんで今さらそんなこと言うの…私が、どんな思いで諦めたと思ってるの…?」

「勝手なこと言ってるってのは分かってる。けど…やっぱり俺、お前が好きなんだ」

そう言って再び開いた距離を詰めたエレンは、私の顔を覗き込んだ。

「もう遅いか…?」

真っ直ぐな眼差しに耐えきれず視線を逸らすと、俯いたまま地面を見つめる。エレンのことは今だって大好きだ。どんなことがあってもエレンのことを嫌いになったりなんてできない。

だけど…

この拭えない気持ちは何なのだろう。胸の奥がぎゅっと痛んで、わざと殴られたあの不器用な人が頭に浮かんでは消える。まるで上書きされたみたいに今までなかった感情が胸の中を占めていた。

この気持ちは時間が経てば消えるのだろうか。
私には分からなかった。

「返事はゆっくりでいい。だから…今は一緒に帰ろう」

そう言って差し出された手を取れば、エレンは優しく笑って繋いだ手ごとポケットに入れた。その温かさにまた泣きたくなる。

ちょっと前までだったらきっと何も迷うことはなかった。エレンの言葉に笑って頷いて、その胸に飛び込んだだろう。それで幸せだったはずなのに。

どうしてうまくいかないんだろう…

そんな風に思わずにはいられなかった。



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エルヴィンご自慢のワインセラーから何食わぬ顔で年代物のワインを持ってきたハンジに思わず顔を引き攣らせる。

「おい…流石にそれはまずいだろ…」

「大丈夫大丈夫、奥にまだ何本も溜め込んであるんだから…」

そう言ってなんの躊躇もなくコルク栓を抜いたハンジはご機嫌にそれをグラスに注いでいく。流石は五大シャトーの筆頭と言われているだけあってすぐに芳醇な香りが鼻を掠めていく。

「あの子たちうまくいくかな…」

「…さぁな」

キッチンの灯りだけをつけた薄暗いカウンターに二人で並んで座る。ハンジは慣れた手つきでグラスを揺するとそれを見つめながら語りはじめた。

「ナマエの真っ直ぐなところってさ、見てるとこっちまでムズムズしてくるよね…」

「…俺たちはもう、あんな風にはなれないからな」

そう言ってグラスを傾ければ、想像以上の渋みが口の中に広がり目を細める。

「え…なになに、もしかしてリヴァイにもそんな時期があったの?」

「はっ…ある訳ないだろ…」

「わーその反応は絶対あったんだね!!」

「…削ぐぞクソメガネ」

舌うちと共に鋭い視線を向ければ、ハンジは臆することなく再びグラスを持ち上げた。

「でもさ…そんなところに惹かれたんじゃないの?」

「あ…?」

「好きなんでしょ?ナマエのこと…」

「ふざけんな…誰があんなクソガキ…」

バカバカしいと顔を逸らせば、背後でハンジが小さく笑ったのが分かった。

「じゃあなんでちょっかい出したのさ…」

返す言葉が見つからず今度こそ黙り込む。

「ちょっかい、か…」

確かにそうかもな…と自嘲気味に笑う。

最初はただの気まぐれだった。あんな風に誰かを一途に思うナマエのことを、馬鹿にしながらもどこかで羨ましく感じていた。自分には無縁の話だったからかもしれない。そしていつの間にか、あいつに思われるエレンのことが羨ましいと思いはじめていた。

揺れるグラスの中身をじっと見つめていれば、ハンジが思い出したように口を開いた。

「そういえばリヴァイさ…本当に行くの…?」

「…なんのことだ?」

「この前、病院長に聞いたんだけど…」

仕事の件だと分かると、あぁ…と呟きながらハンジに向けていた顔をグラスへと戻す。

「…今が一番いいタイミングだろうからな」

「そっか…」

ハンジは珍しく寂しげに笑ってみせた。そんな様子に気付かないふりをして残りのワインを口に含む。切れた口端にアルコールが触れてわずかな痛みと共にそれを流し込んだ。



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エレンとシェアハウスに戻った時には既にリヴァイの姿はなかった。自分の部屋に戻ってベッドに横になっても眠ることなどできなくて、勢いよく起き上がるとパーカーを羽織って廊下に出る。向かいにあるエレンの部屋をじっと見つめた後にその前を通り過ぎた。

その先にある部屋のドアを控えめにノックするも、なんの反応もない。もう寝てしまったのかもしれないと肩を下ろして踵を返した瞬間、扉がゆっくりと開いた。そこに立っていたリヴァイは渋い顔をして私を見下ろしていた。

「あの…入ってもいい?」

「何時だと思ってやがる…こんな時間にのこのこ男の部屋なんかに来るんじゃねぇよ…」

「ごめん…」

消え入りそうな声で呟き俯けば、盛大な溜め息と共にドアが開いた。

「入れ…」

躊躇いながらも部屋に入ろうと顔を上げればリヴァイの顔に痛々しい傷痕を見つけて思わず手を伸ばした。

「だ、大丈夫…?」

傷口に触れようとすれば、すっと避けられる。そのまま背を向けて歩きだしたリヴァイを追いかけるようにして部屋に入った。

「お前は…人の心配をしてる場合か…」

「え…」

「エレンとはうまくいったんだろうな…」

「それが…私、エレンに…」

その後の言葉が続かずに俯いたまま唇を噛みしめていれば、呆れたように息を吐いてリヴァイが続けた。

「好きだ、と言われたんだろ…」

「え、なんで…それ…」

「そんなのアイツを見てたら分かる」

「けど…エレンはあの日、私のことは好きにならないって…」

リヴァイは面倒くさそうに椅子に腰掛け足を組んだ。

「失って初めて気付くなんてのはざらにあることだ…男は馬鹿な生き物だからな…」

「………」

「何にしろ良かったじゃないか…ずっと好きだったんだろ」

「それは…そうだけど…」

「俺が協力できるのもここまでだ…」

そう言って徐に立ち上がったリヴァイは目の前まで歩み寄ると、じっと私を見下ろした。相変わらず感情の見えないその目を見つめていれば馬鹿みたいに心臓が鳴りはじめる。そのまま両肩を掴まれると強引にドアの方に向かって追いやられたので、なんとかそれを止めようと体の向きを変えてリヴァイを見上げた。

「でも、わたしっ…」

ぐっと両手を握りしめて俯く。どんなに考えても分からないことを口にしようとしていた。しかも本人を目の前にして。

「わたし…自分でもびっくりなんだけど…リヴァイのことが…」

「それ以上言うな…俺じゃお前を幸せには出来ない」

俯いたまま目を見開く。

「どうして…」

「…いい加減男に振り回されてんじゃねぇよ。自分の人生だろ…しっかり歩け」

リヴァイは今までにないくらい冷たい声でそう言い放つと、強引に私を部屋から追い出した。無機質な音をたててしまるドアを見つめる。しばらくそこから動けずにぼう然と固まっていた。

わたし今…何を言おうとした…?



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覚束ない足取りで階段を下りれば、ちょうど仕事から帰ってきたエルヴィンとリビングで鉢合わせた。その顔には珍しく疲れが見える。

「おかえり…」

「あぁ、まだ起きてたのか…」

「エルヴィンこそいつもこんなに遅いの?」

「いや…今日は特にやることが多くてな…」

ネクタイを緩めながらソファに近づいたエルヴィンは重そうな鞄をそこに置くと、続けてコートと上着を脱いだ。じっとその様子を見つめていれば、ふいに手を止めたエルヴィンが振り返った。

「眠れないのか…?」

「うん、ちょっとね…」

「なんだか浮かない顔をしてるようだが…」

その言葉に黙って俯けば心配そうに目を細めたエルヴィンがワイシャツのままキッチンに向かった。いつものように手際よく動くと、すぐに私の前にホットミルクの入ったマグを差し出した。

「これを飲めば少しは落ち着くんじゃないか…?」

「ありがとう…疲れてるのに、ごめんね」

「いや、私が出来るのはこれくらいだからな…」

そう言って優しく笑うエルヴィンの顔を見ているだけで胸の中にあったモヤモヤとしたものが晴れていくような気がした。

「…ねぇ、エルヴィン。ひとつ聞いてもいい?」

自分のコーヒーを淹れていたエルヴィンは手を止めることなく、なんだ…と答えた。湯気の立ち上るホットミルクをじっと見つめたまま口を開く。

「一緒にいて安心できる人と…どうしてだか分からないけど気になる人だったら…どっちを選ぶべきだと思う?」

「……は?」

突然の質問に驚いたように動きを止めたエルヴィンはしばらく瞬きを繰り返して私を見つめた。その反応に急に気恥ずかしくなった私は顔の前で手を振ってみせる。

「わっ…私のことじゃないよ…友達の…友達の話しだから…!!」

「そ、そうか…」

しばらく考え込むように一点を見つめたエルヴィンは、突然スッと顔をあげた。

「その答えだが…既に自分の中にあるんじゃないか…?」

「え…」

「だから今は、そんなに考え込まなくてもいい。いずれはっきりと分かる時がくる…」

エルヴィンはそう言うと、私の頭に優しく手を置いた。

「…と、その友達に伝えてくれ」

「え…あ、うん…」

途端に顔が赤くなる。これはもう、友達の話しなんかじゃないことくらい気付かれてるに違いない。それでも私に合わせてくれるエルヴィンの優しさに自然と笑顔になる。

「さぁ、もう寝るんだ…明日も学校だろ?」

「うん、ありがとう…エルヴィン」

ホットミルクを飲み干し自分の部屋へ向かう。エレンの部屋の前で再び足を止めるとその扉をじっと見つめた。エレンといれば安心するし、その関係を壊したくはない。それはずっと一緒にいたいと思うから。

だけどリヴァイは…

一緒にいたいようでいたくない。近くにいれば馬鹿みたいに胸が痛むからだ。

だからきっと私は…エレンと一緒にいるべきなのかもしれない。きっとこんな訳の分からない気持ちなどすぐに消えて、また前のようにエレンだけを想って生きていける。

小さく頷くと、そんな思いと共にベッドに横になった。

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