秋風ノスタルジア



炎を灯したガス灯が電気に。
ポケベルが携帯に。モノクロがカラーに。
ほら、注視して思考すれば世の中はこんなに面白い。
言えば彼女は笑った。変わらない、と。無邪気に残酷を口ずさんだ。
さようなら。


まるっと五年ぶりに会った懐かしの大先輩は、夢で見ていた彼女とは違い髪が短くなっていた。社会人一年目の自分と、年齢的には社会人なんだけどとはにかんだ彼女。二つ年上の彼女を、自分は曾て《先輩》と呼んでいたことを思い出す。紺色のネックカーディガンがとても良く似合って居た。
出会って直ぐに彼女に抱き着くようなことはしなかった。昔とは違う―そんなに苦しくもないのにネクタイを緩めて一息入れたのは、世の中想像通りに上手くいかないという言葉を飲み込んだため。しかし飲み込んだ言葉さえ、彼女は把握していそうなものだけれど。
高鳴る心臓を抑えて言葉を絞り出す。

「お久し振り、です」
「うん、久しぶり」

彼女は曾て、綺麗な黒髪を束ねていた。真っ黒なシャツにぴっとりとしたデニム。男女の性を感じさせないさばさばとした性格と口調は、どこかスタイリッシュで常に学校では憧れの的でもあった。同じ部に所属していた自分としては、そう、他の人よりかは近くに居られるという特権をフルに活用していたように思う。浅ましい程に、彼女によく懐いた。懐いて、彼女への用件に対する窓口として学校中より多忙な役柄を演じていた。
マネージャーのようなもの。窓口嬢のようなもの。当時はよく、表から裏から言われたものだけれど。

「本当にお久しぶりだね」

目の前で足を組む彼女は、昔とは違いどこか棘を無くしたような《普通の女の子》となっていた。先輩、と言い掛けて口を噤む。もう、先輩じゃないのだと踏まえた上で唇に恐る恐る苗字を乗せた。

「サノミヤ、さん」
「うむ。先輩、とは言わないのかな」
「もう、だって、卒業しましたし」
「まあ、違いないのかな」

社会人なのだものね、社会人。揶揄するかのように面白げに彼女は言うと、袂より煙草とライターを引きぬく。視線だけで求められる許可にへらりと笑うと、微かな点火音。短い茶色の髪にふわりと重ねられたスカート、ヒールが高いニーハイブーツと少しだけ覗く太腿がいやらしい。新鮮な空気の中で煙草だけが妙に昔の彼女を彷彿とさせた。
変わらず吸うんですね、と話題に困って口に出せば銘柄は変わったけどね、と声。

「今の彼氏が、前の銘柄が駄目な人でね」

そうですか、と自分の相槌が妙に軽かったことに彼女は気付いただろうか。弁解する暇もなくタイミング良く割り込んだ店員に飲み物を注文する彼女の横顔は酷く麗しい。
正直、何を頼んだかは覚えて居ない。雑音が耳から滑り落ちる。頭が真っ白になったとは、こういうことかと妙に納得しながら心臓の一定の音に意識を澄ませた。
大丈夫、死ぬわけじゃあ無い。こんなにも驚きと衝撃に、心が悲鳴を上げているけれど。

「か、れしさんですか」
「うん。今ね、一緒に暮らしてるんだ」
「へえ」

言葉が千切れて何かが抜け落ちていく感覚。彼女はずっと、憧れのままで、彼氏、よりもどこかの女の子の彼氏を演じていて。そのままだと自分はずっと思っていたのだけれど。
世の中上手くいかないものだ。
鎖骨の浮かび上がった首筋。綺麗な肌。この身体が、そう。知らない男に触れられているのかと言うこと。ゆっくりと咀嚼して息を吐く。大丈夫、肺は正常に機能している。
死にはしない。死にそうだけれど。
単純な言葉を羅列して自分に浸って居るような事は出来ない。
運ばれて来た飲み物を目の前に、マグカップを口に付ける桃色の唇。見習って、自分の元に置かれたものを手に取った。カフェモカ。意識が曖昧のまま頼んだにしては中々良い選択肢じゃないか自分、と少しだけ褒めそやしてみせて。

「しかしあんなに尖ってた先輩が彼氏ですか」

と切り返してみせた。応えはテーブル下の鈍い一撃。痛みで目の裏がちかちかする。少しだけ唸って恐る恐る見上げてみせれば、凪いだ顔。
気持ちが悪い、と思う。

「あたしだって彼氏くらい作るのよ。あんたに会わなかった合間、結構出来たんだから」
「わあ。とっかえひっかえの悪い女の台詞ですよー。それ」
「五月蝿い黙りなさい」
「こわーい」

からからと彼女は笑った。無邪気な微笑みにひきつり気味に口端を上げる。こんな動揺が暴かれていなきゃ良いけれど。いつ知られたことかと心臓が早鐘を打ち続ける。彼女は覚えているだろうか。
昔はいつも、自分が戯れに「好き」や「愛している」と口にしていたことを。口にしていたからこそ、軽くなった言葉に後悔した日々を今でも覚えている。
本心よりの叫び。戯れの表面すら被らず彼女に告白したのはただの一度きりだ。
卒業の日。桜の花びらに隠れるようにして口ずさんだ言葉は、油汚れのように残って落ちることがない。

「そう言えば、覚えていますか。あの部活、無くなってしまったんですよ」
「え、そうなの。やだ、あたしが見に行かない合間に」
「ええ。いつの間にか、です」
「じゃあ本当に、君とあたしが繋がって居たものが無くなっちゃったんだね」

寂しいね、なんて。嘘臭い言葉をよく言えたものだなと感心してしまう。卒業してから直ぐに連絡の取れなくなったアドレスや電話番号は、今も尚自分の携帯電話に眠ったままだ。
繋がりなんて当の昔に切れていた。緩やかに苦笑した自分に彼女が言う。

「そう言えば、昔のことを覚えている?」

君が、卒業式に言ったこと。そう伐り出された言葉に心臓が跳ねた。
何を、何で、今更。そんなことを。口をはくはくと酸素を求めた魚みたいに開閉させる自分に彼女は微笑んだ。昔と同じ笑顔で、昔よりは柔らかくなった色彩で。

「暫くはさ、後悔したわけ。君のこと結構好きだったからさ」
「え、何を。冗談でしょう」
「結構本気。でもね、君さ」

幼馴染の女の子が居るってあたしに話をしてくれたことがあるじゃない、とサノミヤ先輩はぽつねんと言う。そうですね、と頷く自分の思考回路は今にも爆発してしまいそうだった。

「好きって、言われた瞬間。目がね、遠くを見てたわけ。で、直ぐに分かっちゃった。あんたはその彼女に似たあたしが好きなんだろうって」

だからこんなに変わって、彼氏も居るって聞いて幻滅したでしょうと意地悪そうに跳ねる声に言葉を返すことが出来なかった。ほらねと得意げに彼女は珈琲を煽ると鞄から取り出した紙に何かを書き留めて此方へ放って寄越す。十一桁の番号と、それから。英数字入り混じった一つのアドレス。

「その本命の彼女と」

何かあったら連絡頂戴よ、昔のよしみで。そう言い放った彼女は颯爽と席を立った。サノミヤ先輩。憧れで《幼馴染の彼女が成長したらこんな風になっただろうと夢想していた》女性。

「だけど僕は、貴女が好きでした。先輩」

紙を握り締めて叫んだ自分に一瞥すると、彼女は言った。

「嘘つき兎くん。顔に、出てるよ。―汚らわしい売女って」

それは飄々とした口調だったけれど、女性に対しては申し訳無く失礼な内容で。言葉を失って彼女の背中を黙って見送ることしか出来なかった。ずっと引っかかっていたもやもやはすっかり解消されて新たな問題が浮上する。メーデーメーデー。あなたは、彼女が好きでは無かったのですか。
答えは直ぐ様返ってきた。あんなもの《彼女》じゃなし、気にしない方が良いと。
先輩である彼女は、自分だけではなくて。それは当たり前なのだけれど、その一点のみが悔しくて。カフェモカを飲み干してぼんやりと思考する。
唯一であれば、お手軽で先輩で良かったのに。
もう随分と見えていない幼馴染を想う。
彼女はまだ、奥底で眠ったままだろうか。目覚めた時に自分を唯一と頼って貰えるだろうか。
寄越された紙を冷やグラスへと放り込む。溶けていくインクと紙を然程惜しいとは思わない。先輩と連絡を取るつもりなど無かった。
ただ切られて染められた髪が、惜しいと感じた秋口の夕暮れ。彼女は何時だって綺麗な黒髪だった。
昔焦がれた幼馴染と、同じように。


20120927





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