4月



4月は、甘ったるい嘘つき。


 花咲き誇る四月、新しく編成された環境にいち早く馴染むため、記念すべき最初の一回を休む馬鹿は少ない。
 どうしてこの切り口で冒頭を飾ったのかって、何を隠そう―驚くこと勿れ。先に提示し《馬鹿》とは私のことでもあるからだ。いかにこんな偏屈な私が進級の要ともいえる友人(ノート)を手に入れるために策略を張り巡らすか、それは想像にお任せすることにして。不運にも、否、幸いにも。暦では今年の月始めは日曜日の休日。
 貧乏暇無し。斯くしてお決まりのように朝から労働に従事している私の目の前に、いつものそれは現れた。
 そんな言い方だから今までの流れから言って―大層なものが現れたのかとこれをお読みの方は思うだろう。私なら思う。一月はふさふさの燈助さんで二月は喋る鮟鱇が麗人を引き連れてきたし、三月は猫耳娘と家族である私の現在の家主が来たのだから。
 そういう流れだったのだからその発想は間違っては居ない。ただ、少しだけ変わり種だったのだ。
 閑話休題。前置きが長くなってしまったが。

 今回月初めに現れた《奴》とは近頃よく見掛ける男性だった。客と店員という関係上名前は知らない。ここより徒歩二十分の大学に通って居るのだと前に兎と仲良さげに話していたのは小耳に挟んだような気がする。黒髪猫背、斜めがけのレザーバッグ、草臥れた猫のストラップ、傷だらけの大きすぎるヘッドフォン。長い前髪と小さな頭が、どうにもヘッドフォンと合って居ないんじゃないかと思わせる不安感。服装はだらだらっとしたものが多い。近頃の基準はよく知らないが、お洒落、なのでは無いだろうか。

「お願いしまーす」

 後、少しだけ間延びした声。それからいつも、メーカーに拘らずカフェオレを買って行く。
 この日も籠の中には温かいカフェオレ。私なら選ばないであろうその甘さを想像して、―心中で嫌気がさして手を淡々と動かす。ピ、と通過音。持っている読み取り機の柄の部分がオレンジ色を帯びていてはじめて、夕方なのだと思った。
 そう、思って。亀山りりはふと目を正面へ移す。
【目が、合った。】

「は」
「ふぅん、不思議だね」

 覗かれているような不快感。にぃやぁ、と彼が長い前髪の下で灰色を瞬かせて笑う。
 動揺に息を吸って、ゆっくりと吐いた。油断、していた。そう、亀山りりとあろうものが油断していたとしか言い様がない。

「今月の、お客さんは貴方ですか」
「ん?―ああ、そういう意味でなら。うん。
 そうです、俺は緋つばくろ。チャイニーズとジャパニーズのハーフ&ハーフだよ」

 よんぶんのいち。クォーターじゃねえか。突っ込む気すら起きずお会計を叩き出す。あんぱんとカフェオレでしめて二百二十円。さっさと出せと睨めばからからと笑いながら彼は財布より小銭を出して、私へ差し出し。
 寸前で引っ込めた。
 眉根を寄せる。間違いない、こいつは普通な見た目をしているが確実に月初めに来る面倒な客だ。

「お金」
「うん」
「出して下さい。もしくは返品しますか?」
「買うよ」

 買うけど、少し訊いても良い?と彼が首を傾げて言う。黒髪が流れる風景と、その動作と口調が小動物のような雰囲気を醸し出した。

「良いですよ、」

 仕方無くそう、応対する。早く帰ってくれないかなと思っているところに、彼は。不躾だけどさ、と

「愛されたいと思ったことはある?
 賢しいと思ったことはある?
 誇りだと、褒められたいと思ったことはある?
 そして、そんな感情を押し殺して生きている自覚はある?」

 巨大な爆弾を落とした。
 不躾どころの話じゃない。思わぬ攻撃に息を飲む。彼は観察するような視線を止めない。ただ私を見詰め、言葉を紡ぐ。

「いや、俺はね。その人の《色》が見えるんだけどさ。オーラというか心というか。大体の人は斑無く色がついていて、時折深くなったり黒が付いたりする。犯罪者とかだと真っ黒で。
 なのに、ね。君は白い中に、ぽつん、と紺の染み。他に染み出すことなく丸くそこだけ黒子みたいに染まってる。だから、もしかして」

 もしかして、我慢しすぎてどうしようも無くなっているのかなって。そう続く言葉に先に身体が反応した。振り上げた拳をテーブルへ叩き付ける。鈍い音。がごん、とカフェオレの缶が跳ねた。あんぱんが微かに位置を変えて私を見上げる。潰してやろうか、じゃなくて。

「最悪だと言われたことは、」
「あるよ」
「自覚は、」
「ある」
「なら、どうして。一介の店員にそんなことを言うんですか。緋さん」
「ん。つばくろでいいよ。言い難いでしょう?リリーちゃん」

 余計なことを焦らすように言うその唇をレジ横のホチキスで綴じてやろうか、なんて。そんな凶暴な考えを抑えて睨みつける。チェシャ猫みたいににやにやにやにや、少しだけ鬱陶しい。拳をゆっくりと解いた。此処で手を出せば、亀山りりの負け。
 そんな私の自制心に少しだけ彼は目を細めると小銭を出す。きっちり二百二十円。そしてその場でプルタブを開けて、カフェオレを一口煽った。
 嚥下される液体。甘い臭い。
 思わず顔を顰めた私に、食べていいよとあんぱんを勧め、緋つばくろは改めて言う。

「で?何か、我慢とか」
「言う義理はありませんね」
「ふむ」
「大体、言って欲しいならアプローチの仕方が間違っていませんかつばくろさん」
「そうかな?よく、あおちゃんは《ディスコミュニケーションの塊》と俺を表現するけど」
「明らかに悪口じゃ無いですか。馬鹿にされてますよ」

 えええ、と愉しそうに彼は笑う。
 私は、笑わなかった。

「んんん。難しいね。この力もまだまだ未知数みたいだ」
「…昔から、そんなものが見えていたんですか?」
「うん」

 てらいもなく彼は言う。私が、そういったものに慣れつつ有るそんな状況を鑑みてか。容赦無く彼の現実を伝えるように。
 それを嘘だとは思わなかった。傷だらけのヘッドフォン。黒の絹糸より見えた灰色の瞳は非常に真摯であったから。
 だからと言って話すつもりは無いけど、と胸の奥で舌を出す。亀山りりが暴かれるなんてそんなの御免だから。

「昔から見てて思ってたんだけど、口から出てくる想いと心の中。それって、本当に大違い。想いってある程度浄化されて出てくると思う」
「はあ」
「あ、本気にしてないでしょう?」

 でも見えないから、仕方ないかとどこか諦めたように彼は紡いだ。
 可哀想なので、雑踏の中―彼が立って眺める世界を思う。どこを見ても《色》ばかり。緩やかな私の見る世界とは違って、鮮やかで厳しい世界なのだろうとは想像が付く。付くけれど。そんなもの。
 見えない人がああだこうだ言ったって本人には響かないだろうから。

「日本人の美徳ですよ。そんな年がら年中文句ばかり言ってたって仕方ないでしょう。
《色》がいくら澱んでいようとも、出てくる言葉は澄んでいる。それってきっと、最後の良心なりなんなりの心のフィルタってやつのお陰で。
 その存在があるからこうして世の中は、上手く回っているんです」

 そして私も、そのフィルタに甘んじている。
 新しいことが始まる気配。どうにかしよう乗り越えよう問題は起こさない起こしたくないと美辞麗句を私も並べて、きっと素知らぬふり。だけど全ての覆い隠すことが、悪いことだらけじゃないと少しだけ思うから。
 私を捨てた母を想う。私を放置する父を想う。
 彼らを想うと、押し潰されそうになる私の芯の部分。恐らく、それが彼の言う紺色なのだろう。
 でもそれを直そうとは思わない。今は、このままで。

「そっか」

 私を見詰めてもう一口、彼は甘ったるい珈琲を煽った。
 そんな、考え方もあるのか。拙く彼が言うから。気が抜けて私もあんぱんを一口飲み込んだ。甘い、けど嫌いじゃない。

「うん。春だから、ね」
「ええ、春だから。人は嘘つきにもなるし、臆病にもなるんですよ」

 貴方も私も。ゆっくりと噛んで餡の甘みを愉しむ。
 硝子の向こうは帰宅時の人の群れ。緋つばくろにはこの光景がどう見えているのかなんて、珍しくそんなことを思った。
 友達になってくれる?と彼が言う。仕方無いから良いですよと答えたありふれた四月の終幕。


20120406


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