2月



二人目は、真っ白で純粋な人。


 口いっぱいに放り込んだ。同僚への愛の形、憎しみの形、欲の結晶。二月のはじめなのに既に段ボール四箱分。大量のねっとりとしたカカオの匂いに―嫌そうな顔をしたイケメン。組み合わせは充分過ぎるほどに整っていて。愛の一方通行の構図。頂戴、なんて私が何の気なしに言う前にそれらが差し出されたのはある意味当然の成り行き。亀山さん煮るなり焼くなり捨てるなりああ気持ち悪い、なんて彼は言ったけれど。確かに吐いて捨てるくらいには量としてはあるのだけれど。
 おいおいイケメンよ。これを、捨てるなんて惜しいじゃない。
 なんて珍しく気遣った私は、砂糖不足を訴える自らの腹へそいつらを収める決定を下したのである。

「まーる」

 自己完結と共にハート型のポップに言葉を書き込んでいく。ご多分に漏れず《ローソン》でも絶讚バレンタインフェアであるからにして。西日の挿し込む中、仕上げていくのは店舗の促販文句。【愛する方へ】【甘い甘い】【愛の形を】【ほろ苦い大人の愛】【手作りはいかが?gで加えた一匙を】徐々に仕上がる愛の常套句は、亀山りりが紡げるくらいなんだから随分と安っぽいのね、なんて。臍曲がりにも思ってしまったり。
 しかしこのハート型のポップ。店の奥でぬくぬくしているもっさい兄さんが作ったと知ったらどれくらいの人が嫌そうな顔をするだろう。一欠片の悪戯心。マスキングテープが色艶やかに周囲を取り囲み、確りとした厚紙用紙。細かなハートのシールに、花の切り抜き、レースやエトセトラの、私でさえも心を揺るがされる愛らしさ。解せぬ。
 兎店長。ぶふぅ?女子ですか。手先が器用なだけですぅ、と口を尖らせる怠惰兎はぬくぬくと。そうぬくぬくと大寒波に向けてマイどてらまで準備して国会答弁を見ている。

「確かに面白いけどさー働いてよ兎てんちょ」

 呟きは寒波に負けて無人になった店内に虚しく響く。
 国会答弁。あの小学生並みのやり取りとか。これでもかと言うくらい飛ぶ野次とか。人間の暴力的な部分が唆られるよね。公式の場で、確りと揃わない内々の争いは。騒がしい。そしてもどかしい。全て上手くいかない物事への八つ当たり。
 可愛らしいラッピングを剥いで、がり、と甘いトリュフを口へ放り込む。同等に並べるようで国会の方々には申し訳がないけれど。この店内の装飾も、とても騒がしい気がする。気合入り過ぎの煌びやかな雰囲気に、自らの年齢を忘れて少し引く。
 あ、でも。バレンタインに近付くと一気に新作のお菓子が出るからにして、そういった意味ではとても企業戦略に感謝。俺チョコ、と誰かは言ったか。私もお財布の中身に余裕があったら、誰かにこんな向けられたものじゃなく。自分にご褒美をあげるのに。あとは、お世話になっている先輩に。
 そんなことをぼやぼや考えていたら。りんごんりんごんと不思議な音列の訪問を告げる声。

「いらっしゃいませー」

 今回は噛まずに言えた。溶かしたカカオが喉にへばり付く。食べかけのチョコレートをカウンター下に突っ込んで、絡んだ喉を煩わしく思いながら来客を見遣った。それはほんの好奇心、次いでぺたぺたという擬音に絶句。
 いかつい顔の魚が、此方を見ている。額から伸びた触覚、その先にぶら下がる球体。
【好奇心は亀山りりを殺す】そんな一文が浮かんでしまった。―そんな馬鹿な。

「失礼伺いますが」
「…はあ」
「ちょことやらの売り場はどちらで」
「あ、ちら、です」

 つっかえた私の言葉に満足したのか一度尾を引き摺りながら忙しなく彼(だと思う)は出ていった。多分、深海魚の類で。浅慮で申し訳無いが、チョウチンアンコウという魚じゃ無いだろうか。
 また不思議な客が来たものだ。 なるほど、人間ではないお客さん。本日は一日であることを改めて実感する。先月の月初めに御縁の有ったもふもふのオニーサンは燈助さんと言うらしく、この店の何を気に入ったのか二週に一度の頻度で店に来ていた。流石に人目を気にしてか軍服以外(耳や尻尾を隠せるようなもの)で来ることが多いが、私服でも同僚に負けないイケメンオーラを発揮していて。その姿がまたもや集客に繋がっていることを素直に兎は喜んでいた―というのは燈助さんに秘密である。毎回何かしらくれるから、来なくなったら寂しい。そんな私情を失礼。

「店長」
「ほいほーい」
「いかつい魚が来ました」
「知ってる。害は無いよー」

 小型モニターでチェック済か。とことんまでに私に押し付けるつもりらしい。あの店長、本当に駄目な奴だなとかはっきり言えないのが雇って貰っている側の弱みである。

 りんごんりんご、ともう一度。告げられた来客のベル。
 今度こそ普通の客だろうとカウンターより乗り出した私の目の前を、チョウチンアンコウに引き摺られた麗人が通過していった。いや、人型ではあるけれども!

「いらっしゃ」
「ご主人様これがチョコとやらですささ氷王殿に一匙の愛を!」
「い」
「止めろ、私は買わない」
「ま」
「そんなことを言わず!ワタシでさえももどかしく思うこの状態を、何とか乗り切るのです!人間のイベントの力で!」
「せ」
「煩い」

 確かに騒がしいな深海魚。
 新たに来店したのは真っ白な、冬の色彩を固めたような人だった。色斑の無い真っ白な長髪に銀灰色の瞳。銀の月と、冷たさを溶かして混ぜたような組み合せ。服装はゲームから浮き出たような民族衣装じみた灰色のもの。チョウチンアンコウと変わらず、水を纏った薄い影は無人だった店内に長く尾を引いた。床がびしゃびしゃである。掃除が面倒だな。
 それにしても。
 何だか燈助さんと同系統の気配がする。魚に応対するコスプレでは無いようなその後姿を凝視しながらつらつらと物思いに耽る。水の軌跡を刻んでいるから、この人は水に関係のある何かなのだろうか。

「そこなる娘」
「へ、はい」
「そこの食べかけのチョコとやらを一つ我が主人にくれないか」
「…構いませんが」

 毎回、どうしてバレた。というか、魚の後ろの人が凄く、嫌そうな顔をしている。この茶色の物体に対してあんなに、言うならば汚泥を見るような瞳は―何だか新鮮で物珍しい。燈助さんの住む《地下》とやらの異世界は、チョコレートを知らないのだろうか。
 いやそんな馬鹿な。連鎖する考えに首を振った。この間、燈助さんに貰ったガトーショコラはとても美味しかった。 

「その。チョコレート、嫌いですか?」

 悩むより訊くほうが早い。試しに魚ではなく、後ろの人に問いを投げてみる。
 魚は無視されたことに関していかつい顔を余計に凄んで見せたけれど、そんなに怖くもなかったので全面的にスルーさせて頂いた。文句を言いそうな口に、レジ横に置いてあった兎の空腹時用のおやつ(一口サラミ)を放り込む。あ、緩んだ。
 チョウチンアンコウは肉食性。

「…嫌いではない」
「じゃあチョコレートもバレンタインっていうイベントも、知らないわけでは無いでしょう?」
「ああ、」

 ゆらり、と睫毛が伏せられた。少しの躊躇いと、揺れる水。

「けれども。このような、軽挙な祭に乗っかって思いを伝えるというのは―良くないとは、思う」

 その波紋を作るような、静かな言葉に驚いた。レンズ越しに、佇む世界。ああ、そうかと納得した瞬間。
 この人は、とても好きな人が居るのかと。
 書きかけのポップを放り出してカウンターから出るとまたもや凄んだ魚の顔。面倒な言葉は聞きたくなくて、大きな口へ再度サラミを放って。隠し持っていた同僚への誰かさんの愛の形を麗人へ。
 遠慮無く突っ込んだ。ほろ苦のアーモンドトリュフ。

「ふご」
「その心意気や良し。オニーサンだかオネーサンだか分からないけど、凄く良いと思う。不肖ながら私、亀山りりは。こんなイベントだからこそ、女の子が貰える勇気ってあると考える。そして」

 叶わない思いや欲望って確かにつきものだけど、私の頂いた横流しのチョコレート然り。彼女たちの涙は口いっぱいに頬張った私の腹の中。そんなこともある。感情なんて甘ったるいもの、そんな風に世の中上手くいかないことを知っている私が言うことでは無いだろう、でも。

「チョコレートがこんなにも美味しく感じるのって、この時分がやっぱり一番で。
 こんな美味しいものを、より美味しく好きな人に食べてもらえる。こんな幸せなことって平生では無いでしょ?無いですよね、だから」

 もし貴方がこのイベントを、衝動を、軽挙だと感じて踏み出せないというのなら。そんな勿体無いことって無い。惜しい。惜しすぎる。
 なれば精一杯笑顔を浮かべて自らを指さして。震える決意で紡ぎ出す、こんなの自己満足の言葉。分かってる。

「もし。少しでも貴方が今食べたチョコが美味しいと思えるのなら。貴方が一歩踏み出す、そのお手伝いをさせて貰えませんか?」

 この店内をひっくり返して軽挙なんて気にせず思う存分愛を囁けるようにごてごてに既成品の面影や企業の思惑すら見えないほどに全てを飾ってしまいましょう、一息にそう言えば。チョコを嚥下した彼が、無表情を打ち消してはじめて。泣きそうな声で応えた。
 美味しい、それから、頼んで良いのだろうか。なんて。可愛いじゃない。
 やり取りに感極まったのか直ぐに泣き出した魚を横目に、店内や既に消化したラッピングを漁れば奥からは笑い声。後でヤツにはチロルチョコを投げつけるとして。チロルの角で頭打ってしね。
 今は、目の前の恋する乙女に集中する。綺麗な人なら助けないわけにはいかないじゃない。そんな、二月一日の寒い―純粋な歓喜に充ちた店内だった。


20120201


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -