11月



敬うべきものだ、告げる私に御方は言う。
育まれるものだ。その堂々たる返答に、黙するしかない。


寒さも窮まってきた《タソガレ商店街》11月、霜月―所謂、神帰月である。一ヶ月の留守居も今日で終いか、と境内でうつらうつらする私―名を明かせないので《犬》と名乗ろう―に射し込む影。丸い、一ヶ月前に見た形に跳ね起きた。対するヌシは酒を片手に余裕を崩さず紡ぐ。
ああ、留守神の居眠りなぞ意に介さぬというその姿勢!何事も尊敬に値するお方で御座います。

「帰った」
「おかえりなさいませ」
「何事も無かったか?」
「ええ、恙無く」
「それは重畳」

飲むか?と問われ、恐る恐る頷いた。徳利の中より薫り高い神気、昇り立つそれは―大層有名な酒神のものだろう。恐らくは。おこぼれに預かれるとは、知らず知らずの内に振っていた尻尾を突っ込まれた。筒抜け。それはまた、畏れ多い助言。

「…留守居中、さぞや八百屋にしぼられたろう」

しみじみと、互いに猪口を用意し注ぎながら彼が言う。
まあ、確かに。憤怒の如く、容赦無しではあった。

「しぼられは、致しましたが。――私の礼がなっていなかっただけのこと」
「違いない」

くつり。笑み。

「しかし大概の留守神はそれでもう懲り懲りしてしまって、霜月が終わればさっさと退散してしまうとて」

霜月迎えて尚もお前が残っていてくれて、ワタシは嬉しい。猫の顔がぶにゃりと笑う。しかし甘い、幸せそうな笑顔。本当にこの場所に誇りを感じているのだと思わせる笑みに、つられて笑んだ。
互いに《神》という形で出会って早十年。この度の留守居を彼に命じられ、嬉しく光栄に思う。未熟ながらもその期待に応えよう、と意を改めて決して酒を煽った。
杯を重ねるにつれて矢張り飛び出すのは出雲での定例会のこと。高位の神が集まる由緒正しき調が気になる身としては、ヌシの話はとても興味深いものである。元より公言禁止令が敷かれているわけでは無し、と酒の勢いも手伝ってか宴の詳細を事細かに話すヌシは――内容に反して浮かない顔をしていた。少々気になって訊ねれば、彼は言う。
「我々神は、人への恩義を忘れてはいやしないか」と。自信無さげな口調に瞠目した。何時でも自信満々で、己より老輩の神へも姿勢を崩さない。ある意味で革新者の彼、視線が杯に落ちる。

「ワタシたちは積み重ねた善行に因って力の強い神になれる。しかし、その前提に【知ってもらわねば存在すら出来ない】という第一の試練がある。
そもそも知られることで神たり得るというのに」
「は、」
「知るのは動物でも出来るが識るのは人しか出来ない。然らば人に恩義を感じるのは当たり前だとワタシは考える。――間違っているか?」
「…いえ」

八百屋の隠居然り、この町は自然とヌシを理解するための形が出来上がっている。だからこそヌシの成長は著しく、革新者たり得た。身近で感じ、この度体験した私だからこそ、頷く肯定の意は重々しく身に染みている。
【人間とて媚びへつらうだけでは無い、ナメるな】
力の強い言葉が胸を抉る。媚びへつらうだけで、確かにずっと手を取り合うわけではない。繋がってきたのは単に対等性。
互いに、支え合うということ。
徳利をかちり、と杯へ傾ける。たとい一つの神がこうして悩んでいても、仕方の無いことで。ヌシはそれを分かっているのか、私の顔を見て苦笑した。―分かりやすい顔をしていると言われたばかりだし、微妙な顔をしていただろうか。
取り繕って酒を注ぐ私へ畳み掛けるように一言。
 
「すまんな、忘れろ」

諦めきった声に、対す。

「いいえ」

思ったよりも強い声が出たことに気が付き、消え入りそうな羞恥心の中。次いでヌシはふわりと笑った。

「他の神にお前も虐げられるぞ、」
「それは勘弁して頂きたいですが、元よりこの身。あなた様の補佐を致すと決めております。
然らば先程のお言葉、忘れるわけにはいきません。この胸に、この身が滅びるまで共に」
「ふは。大袈裟過ぎだ」

まあ飲め、とくりとくりと注がれる命の水。力を讃えた酒の原料とて、人間に奉納されたもの。そう考えると我らの原点は人間に。
この思想に多数の神は顔をしかめるやもしれないが、私は思う。
《悪くはない》と。



(「帰る前にこの町を案内しよう」
「是非に」)



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