3月



人間、見たくないことだって認識したくないことだって沢山ある。俺にはよく利く鼻と味を分別出来る舌と音を聞き逃さない耳があればそれで充分。

《タソガレ商店街》。寒さと暖かさが隣接するこの三月という季節は、些か。花粉症の人には厄介な季節である。
因みに俺は花粉症じゃない。花粉が酷いのはお隣の八百屋の娘っ子。くしゃみの声が夜中まで聞こえるので、この間花粉の薬を買ってきてあげた。――その後とてつもなく感謝されて、何故か号泣されたのは複雑な気分になった良い記憶だ。
まあ、女の子に優しくするのは悪いことではない。母さんも女の子に優しくしなさいと言うし。

「もっとこげ!佐方息子!」

ところで。俺は、正しくは俺の家は酒屋を営んでいる。美味い不味いは舌先次第。匂いも豊潤で尚且酒蔵を見に行って値段の交渉をもしなきゃいけない。
面倒そうな職ではあるが、将来俺は親父の跡を継ぐつもりだ。そのために、目下修行中の16歳現役高校生である。
そして。俺の自転車の前籠に乗って気儘に勝手な声を挙げているのは、この商店街に古くから住み着いている猫である。
ヌシさん。
その猫が何歳だとかそんなことは誰も知らない。まあ彼(性別すらも分かっていないから適当に彼と言う)に聞けば「猫とは気儘な生き物なのだ。故に、故に!俗世の常識には囚われないのだよ」と返ってくるだけと分かっているから聞こうとは思わないけど。
しかし。
この状況は何なのだろう。前籠にでっぷりとした猫を乗せて、背中には嫌な違和感。あまつさえ、時折ヌシさんが振り返っては俺の背中を見て

「次は右だ」

と宣う。会話してんじゃねぇよ、と言いたくなったが我慢だ。そう言ったら《認めているようなものじゃないか》。奴等の存在を。折角見えないように眼鏡までかけてるのに。
奴等。所謂、《幽霊》というもの。
俺は聞こえない、話せないがはっきり見えるし感覚はある。それが近頃仇に為っているのは気のせいじゃ無い。多分。
ヌシさんに目を付けられたが最後、俺は幽霊たちの中で完全なるタクシー扱いになってしまった。
見えない振りが通じない。
通学も遊びに行くときにも不意に背中が重くなる。大抵は移動すれば居なくなるが、中には目的地まで行かないと降りない奴もいるわけで。
我儘め、と俺は思うが目の前のこの猫は。

「慈善事業は楽しいなぁ!だろう、佐方息子」

完全に楽しんでいる。そのぷよぷよ肉食ってやろうか!…生肉を食う趣味は無い。冗談だ。

「…今日は誰なんだ?」
「今、不穏なことを考えおったな佐方息子。ワタシ怒っちゃうんだからな!親父に言い付けてやる!」
「はいはい。…んで?」
「くっ…ノリの悪い奴め。スズキとは大違いだな。…今日は郵便局の配達員の婆さんだ。貴様の頭を撫でているぞ」
「そう」
 
止めさせて、と適当に流して前を向き思考を探る。該当人物は直ぐに俺の脳裏に浮かび上がった。
確か、俺が小学生の時に彼女が郵便配達をしていた姿を何回か見ている。柔和な表情のお婆ちゃんだったなあ、いつも飴くれたっけ。なんて。
――不意に背中が軽くなった。
ブレーキを握り締めて場所を確認すれば、郵便局の目の前。入り口の階段に腰掛けてしわくちゃのお婆ちゃんが俺に向かって一礼。

「…礼なんて別に良いのに」
「悪い気はせんだろう?」

にやにやとヌシさんが一言。ああそうだとも、嫌な感じはしない。
こんなことばかりならタクシー役を続けても良いかも、と思ってしまう俺は大概現金な奴なのだろう。
そう思っていたら、また。
ずしりと背におぶさる嫌な空気。

「お」

小さな俺の悲鳴を聞き取ってヌシさんが俺を見る。
そして、毛を一斉に逆立てた。
何て器用な。―――じゃなくて。

「……ヌシさん?」
「よもやよもやと思っていたが、その真坂、だな。佐方息子。貴様の引き寄せ体質には惚れ惚れするぞ」
「は?」

ずしっ、と二度目の重み。
まさか、まさかまさか!悲鳴を飲み込んで恐る恐る後ろを見れば二つの顔が確認できた。
二人、後部座席に二人お客様がいらっしゃる。

「…じゃあワタシはこれで、」
「待て」
 
デブ猫の余りまくった表皮を引っ付かんで瞳を覗き込んだ。態度が豹変し過ぎだろう、と静かに突っ込めば尻尾が揺れる。

「そんなにまずいのか?こいつら」

またヌシさんの毛が逆立った。分かりやすい。

「一人は八百屋のご隠居の生き霊で、もう一人は交通事故の性質が悪いの…ぐぬぬ、離せ!巻き込まれたくない!」
「マジかよ」

八百屋のご隠居に生き霊を戻せば性質が悪いやつはどうにか対処できる。つまり、俺がこれからすべき行動は一つだ。
精々交通事故に遭わぬよう、花粉症のグッズを買って八百屋に行く。これだけ。
少しだけ、夜中までくしゃみをしていた娘っ子を思い出して顔が綻んだのはきっと気のせいだと、最後に主張しておきたい。






(ああ、めちゃくちゃな俺の春休みよ。…と思っていたら、いつの間にか俺はご隠居公認の彼女の友達に為っていた。彼女は顔を真っ赤にして慌てて居て、とても可愛かった。
こんな春も悪くはない。)



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