Beautiful days 5



はじめは五歳の頃。―戸惑いがちに揺れる光彩を受け止める。
短い髪を靡かせて俯く姿は色褪せる事なく続く無垢の象徴。宛ら一枚の、絵画のような美しさだった。惹き付けて、止まない。彼女の声を確りと刻み付ける。
はじめは人形、次に妹のお気に入りの玩具、母様の化粧品、宝石、父様の文具。隠すだけから破壊へ、徐々に拡がる範囲と行為に戦いた屋敷。無機物から有機物へ。
生物に手をかけたのは十歳の頃。「自分が、母と使用人の不貞の子だと知った時」彼女は言う。愛しむように、悲しみを知らしめるように。

「自分が気が付けば。手は温かいものに染まっていた」

一字一句、愛しむように編んでいく彼女の言の葉は内容とは逆に酷く優しく響く。

「猫、犬、それから。使用人にまで手を伸ばして―踏み留まって―気がついた」

最早これは自分の一部だと、と握り締める掌。自虐。彼女は錯乱して、欠ける世界。屋敷の奥へ隔離され、そして今の包帯へ。紡がれ繋がっていく、私へと。
そこで彼女はうっすらと笑む。おかしいね、と瞳を輝かせて転がす言霊はとても。甘い。

「はじめは、君とは憐れみから始まるもので良いと思っていた。だけれど、今は平等に。
君を暴いて同等に居たいと思っている」

一人ぼっち同士、手を繋がないかと打診された誘いは自然と協定という形になっていたわけで。互いの秘密を暴いた今こそ、手を結ぶ空白の期間。奥底で求めて溺れていた手を掴む。彼女の生きていると叫ぶ決壊。
大丈夫、と支えられる私も気狂いなのかもしれない。呟けば彼女は笑った。ならば互いに狂いながら末永く凭れ合ってやっていける、初めて聞いた本音は愛に近い響きを伴って芯まで、届く。
恋文のような正確さで、心を抉る。しかしその痛みこそ本懐と考える私は彼女にだいぶ参っているのだろう。照れながらヌシさんと共に踊る姿を、恋しいと。感じるのだ。
 
しかしその協定も、期間を見れば長くは続かなかった。とある事件を切っ掛けにして、簡単に強固な城は崩れ去る。
―ばぁやが亡くなった―。
真夜中に訊ねてきて私の部屋の窓を控え目に叩くヌシさん。焦燥に染まった不細工な斑顔。彼に着いていけば、包帯は真っ黒い衣服に身を包み部屋の暗闇に呑まれている。誰よりも白を好む彼女が。限り無い静寂。包帯の白さえも飲み込む鈍重さ。
空虚の部屋。真ん中に立つ彼女は、開口一番に、私に告げた。
年老いたメイドが、死んだと。

一日半後に始まった葬式は至極慎ましやかに行われた。元より長い間仕えてきたメイドとしてのばぁやさんの人生が、皆のすすり泣きを誘っている。誰もが、涙した。誰かが涙を枯らせば誰かが泣き出す。そんな、理想とも言うべき葬式に私と手を繋いだ包帯が向かう。
普段通り軽やかな足取りで、片手には沢山のカスミソウ。
会場は当たり前のように静まり返った。尤もな反応だろう、―私は小さく息を吐く。
包帯に葬式の招待状は来ていない。
入り口に居た厳つい男二人の監視をかい潜って包帯は私の下に来た。差し出された手に迷いは無く、真っ黒な洋装を身に付けて私は応じる。昨夜のまま同じく黒に包まれた彼女が囁いた。「行こう、」
まさかの襲撃に彼女の家族は酷く動揺した。二の句が接げない彼らを視界から排除して、彼女はばぁやさんの棺へゆっくりと駆け寄る。そして、彼女の皺だらけの手を取った。頬擦りを一回。
次いで甲へ、唇を恭しく落とす。
悲鳴が上がった。案の定。立ち上がろうとする黒服を抑えるのが私の役目。制止は一度で良いと包帯は私に言った。
最後の別れを、少しだけ惜しみたいんだ、と。

「お前はっ、八百屋の…!」
「私は。置かれている状況に甘んじ過ぎることの無い、彼女に協力しているだけだ。友として」
「何を!」
「…目を剃らし続けてたからいけない」
 
そしてそれを言えるのは、私も同じこと。目を逸らしてきた結果、今の今まで革新無く生きてきた。
包帯がカスミソウとは別に一輪の薔薇を取り出す。愛らしい気品ある色、ヨーク・アンド・ランカスター種。薔薇戦争の、生き残り。
それをカスミソウの上に重ね、丁寧な手付きで胸の上に置く。

「ありがとう。ばぁや。貴女だけがずっと味方だった。いつか、また」

焼香を一度。洗練された動きに場の空気が止まる。私は一礼。棺へ頭を下げると、ふわりと彼女が笑う。困ったような、笑み。
包帯の視線がちらりと横に逸れた。行き先は彼女の妹。決壊しそうな感情を、懸命に堪えてますと言いたげな幼い姿。歳として十二歳は優に超えている筈、なのだが。頬を膨らませる見目は幼子のそれだった。
揺らぐ、彼女の瞳は真っ直ぐに包帯を捉える。ふにゃりと蠢く白。
奇妙な邂逅に目を瞬かせた。てっきり包帯の味方はばぁやさんだけだと思っていたが思わぬ繋がりがありそうである。

「では皆様さようなら!気狂いは古巣へ。戦争はまだ続いているゆえに、―ゆえに!敵味方いっさいがっさい自分は侵略を赦しはしない!」

これは振りか。随分と大見得を切ったもので、と皮肉を交えて囁けば包帯は清々しい笑みを返した。満足らしい。くるりん。踵を返す黒い姿に応じようとすれば、目の前に半透明のモノが降り立つ。
―ばぁや、さん―?
指がつい、と動き指し示す先に咄嗟の判断で腕を翳せば。
ぱぁん、と。弾かれる音。
高そうな黒い牛皮の紳士靴。仕立ての良さと磨かれ度合いは一級品。投げ終わりのモーションをするのは包帯の父親か。微かに痺れを伝える手を振る。舌をんべ、と出し虚空へ笑む。
微笑む故人。彼女は包帯と、包帯の妹を指して私に深々と礼をした。
宜しくお願いします、と消えていく。音。
 
ばぁやさんが亡くなってから一週間も後のこと。
暦は既に師走の頭。襟巻きの合間から白くなった息を吐き出し、仰ぐ豪奢な屋敷の離れ、見馴れた窓枠。

そこに私の恋した白は居ない。


20111008



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