Beautiful days 4



「見えることが嫌か」と包帯に訊ねられ、反射的に私は頷いた。勿論、大嫌いだ。損な役割だと思っている。
「気狂いが嫌いか」逆に訊ねれば、彼女は遠くを見るような瞳を浮かべ。焦点をたゆたわせ、焦がれるように囁いた。
―分からない―。
分からない?分からない、とは。目を瞬かせる私に彼女は唄うように言う。昼下がりの麗らかな日。
ヌシさんが慌ただしく私の元を毎日訪れ、吉報を落としていく。鮮やかな手腕。有無を言わさない口封じの手練手管に脱帽、実家で手に汗を握って自ら出向く許しを待っている―あの騒動から、3日が経過した。
短く調えた髪を遊ばせる彼女の前に、私は参上する。思い切って肩口に切り揃えた髪。それを指差して金魚のように口を開閉する彼女は、正直。見物だった。口笛を一息。悪戯成功、なんて。
先のそれが原因で上機嫌だった私に、飛び込みの質問。見えることが嫌か、なんて。
思わず口をへの字に曲げる私に彼女は笑んだ。

「だって、嫌い嫌いと君は言うけれど。好きなときも有ったんじゃ無かったのかなと」
「…あんたも大概物好き。――いいよ、じゃあ教え合いっこしようよ」

私が話せば、あんたが気狂いが嫌いか分からない理由を粒さに教えて。そう静かに言えば、長い睫毛を伏せて思案した後に彼女は肯の一言を漏らした。てっきり断るかと思ったのに。目を見張る私の前で、ヌシさんを膝に乗せ臨戦態勢。元の掴み所の無い笑みを浮かべて彼女が促す。
私を自ら暴けと、挑戦的に。
目で追っていた文章を切ると、紙擦れと共に私は書を閉じる。夢の終わり、現実への帰還。真実への追及の道。溜め息と共に吐き出すとりとめの無い、一番嫌な記憶を奥底より、そっと押し上げた。


気がつけば私の周りには絶えず【誰かが居た】。そう先に述べるのが正しいだろう。良くて個性的、悪く言い換えて不完全な【彼ら】。幽霊と呼ばれる類いのもの。何時でも振り返れば周りに一体は居て、私を睨め付ける虚ろな瞳。欠けた身体。手招く存在。飛び出す腸。千切れた足。剥がれる皮膚。
うつろ、空っぽということ。
彼らが【何か】分からずとも、凍るような視線に震える背、泣き叫ぶことは暫し。ある日見るに見兼ねて狼狽える両親に私は訊ねた。
「私の見える不完全なものも、人間なの?」と。無垢ゆえの過ちを、無知ゆえに選択を誤った。両親はその日の内に総てを理解、直ぐに同じ体質を持った祖父を訊ね私を《真っ当な人間》にするための教育を託した。
見えていても、直ぐに見えない振りを。これは、経験によって培われるもの。対処できる人間が傍に居れば幾分かやり易いという算段。つまりは破棄、私は一度親に捨てられた。
祖父は、実直で賢明な人だった。田舎の奥屋敷にひっそりと暮らし、私を見た瞬間、頷いた。ただ頷いて私を抱き寄せた。嫌な慣習の産物よ、と呟く声は儚く消えたのを覚えている。酒と煙草をこよなく愛する人で、連れ合いは既に居なかった。
だからこそ、か。無愛想ながらも可愛がられたことを覚えている。本人は何も言わなかったけれど、よく撫でられた。はじめは仏頂面に怯えたが、共に笑い、泣き、過ごすことで家族の誰よりも。彼が好きになっていた。
同じものが見える、という共通項は何よりも大きい。外に出るときは用事が何であれ、常に傍に居るようにと言い渡された。奥屋敷には居ないものが、外には居る。私の見えるモノたち。田舎ということで、幽霊の他に妖怪といった手合いも数多く棲息していた。禿頭の愛らしいものや、艶かしい雰囲気のもの、話す石、目玉が片方しか無い鯉、神域に蔓延る孤狸など。
罰当たり、とも言うがその地域の神は心が広かったから、余程のことをしなければ彼らが追い出されることは無かった。
一説によると、妖怪は神が衰えた姿だという。そうだとしたら憐れんだのかもしれない。
彼らは一見すると無害に見える。幽霊よりも格段に頭が切れる。幽霊は、然程生きているものに接触出来ないが、妖怪は実体を持つ。これも厄介な理由の一つ。
何が良いのか分からないけど、彼らは私をよく《引いた》。着物、足、腕、口を覆い祖父に気付かれぬよう何度も引いていく。
勿論、ただで引かれて堪るものか。地団駄踏んで祖父の気を引いた。その度に彼は振り返る。般若の顔で怒鳴るんだ。
「わしの愛し孫を引くとは、お主ら滅せられたいか妖!」――今でも耳の奧に響くよう。
彼は魑魅魍魎の中ではそれなりに名の通った人だったらしい。大抵はすごすごと尻尾を巻いて去っていく。
初めは泣いたが、その繰り返しに耐性が付いてきた。
目を合わせるな。合っても直ぐに逸らせ。話し掛けるな。話しても、決して言うことを聞こうと思うな。そして。

怖がるな、と彼は言った。

何て無茶な、と思えども彼の言うことを聞いていれば間違いは無い。粛々と教えを引き継いだよ。生きる術、総てを彼は私に叩き込んだ。
その内に慣れてきて、―そう慣れとは恐ろしいものだ。ちょっとした、油断をした。
招く手、幼い私は大きな妖に目を付けられた。齢はそんじょそこらの妖と比べ物にならない。頭の大きな妖。私の、臆さない瞳が気に入ったという。―教えが裏目に出た、と嘆いた祖父の行動は早かった。直ぐに親に連絡を取り、もてなす暇もないまま私を送り返した。
祖父は妖の話を、彼らにしなかったよ。すれば広まり妖の力になるし、何よりも。信じないだろうから。
最後に彼は言った。「強くあれ、愛し孫」低く、慈しみの音。

私が帰った二日の後の事、電報が届いた。―そう、訃報だった。祖父が死んだという、報せだった。


「―だから私は損な役回りだと言った」

歪む包帯の眉間を小突く。何故お前が泣きそうな顔をする、と言えばぼろぼろぼろと量産される涙。焦ってハンカチを差し出せば彼女は首を振った。だいじょうぶ、と拙い返事。だからって裾で拭くんじゃ無い、と私は笑う。つくづく、子どもな。

「知りたかったんだ」
「…まあ、そうだろうね」

早々に話を切り上げて、澄ました顔を返す。ほろ苦さと静謐さ。いっぺんに込み上げるものを堪えて、笑う。

「仕方がないんだよ。あの頃の私は庇護されるものだった。一度だけ私に会いに来た祖父は言ったよ《この結果は早々、悪いものではない》。
そういった―、」
 
少し、躊躇う。癪でもあるが、言わねば昔話は締まらないだろう。諦めて、私は口を開いた。

「死者と会話が出来るという点に関しては。私はこの体質に感謝した」

弾かれたように上がる顔には大判のガーゼ。首に巻かれた包帯が痛々しい。
今度こそ。私が差し出したハンカチを包帯が受け取った。涙を拭いながら彼女が私を見る。透き通るような灰色の色彩。その奧に揺らがぬものを悟って、姿勢を正した。

「自分は、――気狂いは」

見上げるヌシさんの背を愛撫する優しい指先。桜色の唇がきつく、結ばれる。
表情が固く、強張って。あの騒動の再来かと身構える私に、刹那。彼女は―困ったように笑んだ。

「はじめは、演技だった。だから、自分は気狂いを嫌いか、分からない」

拙い振りだった。ただ構って欲しかった。けれど、いつの間にか無意識に。どうやら親類にそういった系統の人が居たらしい。皮肉にも。呼び寄せた。
瞠目する私に淡々と爆弾を落として。白が切なげに眉を寄せる。

埋もれていた粒さはどうやら、とんだ吃驚箱だったよう。私のぼやきは静かに死んでいった。


20111007



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