Beautiful days 3



いつものように訪ねていけば若いメイドに止められた。微かに聞こえる破壊音と哄笑。居ても立っても居られなくなって、制止を振り切って駆け付ける。無機質で冷淡な廊下を抜けた離れの先、入り口にはばぁやさんが立ち竦み、叫んでいる。
「お嬢様!」悲鳴―笑い声―少しだけ、歌。
異国の曲だろうか、音楽が、流れている。嵐の雑音の中で真っ直ぐに、突き抜けるように。
ふらつくばぁやさんを後ろから受け止める。貧血か、舌打ちを一つ。受け止めて、室内を見遣って後悔した。
廃墟を見ている気分だった。散乱した部屋、ずたずたのベッド、裂かれたカーテン、暴かれた花瓶、破片が星散と散らばり侵入を阻む。破れたキャンパス、手折られた花、引っくり返されたおもちゃ箱の光景の真ん中に、
目映い白が居る。
凛と立つ姿に、握られた棒きれ。いや、あれは、ベッドの足。見事に外れたそれを右手に掲げて。無造作に振り切って、開け放しの窓から外に投擲した。
その先でも、破壊音。唸り声、驚愕の。世界が歪む中、彼女が口を開く。

「Knabe sprach: Ich breche dich、」

異国の曲か、繊細な音運び。
くるくると彼女が身体の軸をぶれさせながら危なっかしい足取りで回る。両手を広げて子どものように無邪気に、はしゃぐ。

「あはは、Rolein auf der Heiden!」
 
右手に棒、左手には。――鋏!
戦慄する私の前で彼女が左手で、漆黒のビロゥドのように光沢のある長い髪を束ねて高らかに刃を煌めかせ、一閃。
じゃ、ぎ、と。
じゃぎじゃぎじゃぎっと、それを躊躇い無く切り落とし、―た!

「Rolein sprach: Ich steche dich,
Daβ du ewig denkst an mich,
Und ich will's nicht leiden.
Rolein, Rolein, Rolein rot!
―Rolein auf der Heiden.」

歌は止まない。壊れた歌唄い人形のように彼女のオーケストラは続く。
無情に落ちる髪は頭をざんばらの形へ。短くなった髪を靡かせ尚唄い踊る少女。
私はその光景を見るまで、彼女が気狂いであるとは到底信じられなかった。
にゃふふと笑い幼子のように肩を落とし手掴みでケーキを食べ笑って笑って笑って煌めく瞳が真っ直ぐに貫き白磁の手が私を誘う輝く艶やかな存在声伸びやかに誇張する照れて微笑んでヌシを掲げてあんな、あんなに楽しそうに!
刃先が狂気を帯びる。空を切って行き着く先は、頭。ぎょっとして、反射的に動いていた。硝子を踏み締め最短距離、中心の窪んだクッションの端を踏みつけ、強固に築かれた本の山を蹴飛ばす。

「っ、ざけるな!」

勢い良く振り回される刃に飛び込んで包帯の手首を持つ。捻り上げて壁へ身体を叩き付け、その際に鋏を落とさせることを忘れずに。きつめに手首を掴んだ。短い悲鳴と共に、凶刃が床に突き刺さる。包帯の一部を切り取ったもの。
あっという間の制止劇に、止められた本人は虚ろげながら困惑しているようだった。
その澱んだ瞳を、睨み付けて身体の傷をさりげなく確認する。手と、頬と、肩、太もも、足、至るところに血がついていた。解け掛かった包帯が私の腕を伝う。そこにも、治りかけている傷。石榴の様相。
ぐらり、酩酊感。しかし思考回路に叱咤して言葉を叩き込む。この阿呆との約束事。

「私に友になれと請うたな、包帯」
「ぁ、ぅ」
「良いよ、此処に宣言しよう。八百屋の成金娘は家等お構い無しにあんたと友になる。だから、」

拒否しないから戻ってこい。
弱々しい光を掴んで引き寄せる。焦点の合った瞳が躊躇いがちに揺れた。綺麗な瞳。微かに煌めくそれが、私を写す。捉えて、情けなく歪んだ。

「君、どうして」
「うるさい」
「しっかりしている君の、髪が解れてる」
「うるさい、些事だ」
「でも、この様相は、」
「うるさい!つべこべ言わず友に寄り掛かれ!」

抱き締めて怒鳴れば彼女の肩が大袈裟に跳ねた。男物の洋装を半端に纏った姿、真っ白な太ももが目について、不穏な妄想に目を瞑る。
抵抗するように身動いでいた身体は、状況を把握したのか間を空けて大人しくなった。

「自分は、」
「ん」
「また、やってしまった、か」
「らしいな。普段は話し掛けても来ないメイドの若いのが話し掛けてきた」
「そ、か…」
「無視したけど」
「ふっ」

包帯が噴き出した。
しかし、本人の武勇譚など他人から見れば笑い種だろう。放っておいて彼女へ囁く。

「ばぁやさんが戸口で倒れてる。もうすぐ、気がつくだろう」
「そうか…いつもばぁやには心配ばかり掛けさせてしまうよ」
「…大丈夫か?」
「大丈夫」

確りとした返事と共に身体を放す。彼女はまず、頭が軽い、と呟いて部屋の全景を見た。酷いな、と声。酷いな、と彼女のように応じる。
さっきまであんなにも頼り無さげだった身体を解し、凛と立つと彼女が私を見た。

「よし、娘さん」
「ん」
「今日は帰ってくれ」
「は?」
 
毒を食らわば皿まで、という言葉を知らないのか。反論すれば「今回に限ってはこれ以上の迷惑は掛けられない」とすげなく断られる。
そこまで言われては仕方がない。渋々と最終確認をする。

「もうこれ以上悪いことはないな?」
「無い。一度起これば後一週間は何も無い」
「…本当か?あんたは嘘を吐くからな」
「にゃふふ、本当だよ。なんならヌシさんをそっちに毎日向かわせるから」

何だと、と下から声。どこかに隠れていたのか埃まみれの丸い身体が私を見上げる。――役立たずの神め、と詰れば若輩者ゆえ諦めてくれと打つような返事。何だそれは。
面喰らう私に、包帯が畳み掛けるように言葉を連ねる。

「このまま君が此処に居たらこの惨状の犯人は君になってしまう。そうしたら君は此処に来られない。それは嫌だ。
――ねえ、娘さん。頼むから。
君がなってくれると言った友の頼みだ、どうか、私の友を些事で無くさせないでくれ」

メイドには口封じを、そう告げる声は澱み無い。本気の声、漂う威厳に足が震えた。

「怖い人だな、あんた」
「にゃふ、どうも。…さぁ、行って。抜け道ならヌシさんが詳しい」

言葉に甘えて走り出す。窓を乗り越え木の幹へ、手を掛けて一回転。振り向いて最後に叫ぶ。

「また今度!」

彼女は目を細めて甘く笑んだ。

「また、こんど」

彼女に後ろ髪を引かれるが、時間がない。降り立つ地面の感触を足裏に感じて走り出す。
喧騒が遠く、響いた。


20111006
《HEIDENROSLEIN》
私的には大山定一さんの和訳が好き。一部言語が文字化けするため、多少変えてあります。



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