Beautiful days 1



凛とした声。長い髪を棚引かせ彼女は突き刺すように言う。
「顔を上げずとも分かることは沢山ある。音、匂い、風が肌を撫でていく感触、陽射しの強さ」
臆することの無い言霊に目を伏せる私に対して、彼女は少しだけ笑った。
「惜しむらくは、その大半が雑事ってこと。聴くに耐えない生きている声、鼻を覆ってしまいたい悪臭」
世の中腐ってる、と囁く声は皮肉に充ちていて。ようやく顔を上げた私に彼女は思い切り綺麗な笑顔をくれた。

「はじめまして、こんにちは」

そう告げられたのは二日も前のこと。
私がこの町にやってきて地主さんに挨拶をした時の出来事。
同じくらいの年だと会食の席で紹介された娘さんに連れられて、ふらりと広いお屋敷内を探索していた時分に、一つの異物。
冒頭の彼女が、私を階段上から見詰めている居心地の悪さ。その焦げ付くような視線にふい、と顔を上げれば真っ白なガーゼを頬に宛てた姿。
にっこりと笑む彼女に。
私を引き連れていた娘さんが悲鳴を挙げた。戦いた声。きゃらきゃらと、気の触れた叫び声。そして宣言。
―ご機嫌麗しゅう!姉の×××です。―
いや、しかし。そもそも。どうして私の隣に彼女が居るのかしら、と現在の状況を振り返って疑問を一つ。強烈な一発を私に喰らわせた彼女は未だ私の隣で密やかに怠惰の限りを尽くしている。
怠惰。怠惰とは言ったが別段、怠けているというわけではない。彼女はそれはそれは優秀なお嬢様で、この町のちょっとした有名人だったということ。
見目は麗しく、頭は優秀。しかし、優秀過ぎる所以か《気触れのケ》があり家族からは疎まれている。気狂い。何時でも傷が絶えず、包帯の白がしなやかな身体より消えたことがない。
私と共に居た妹さんの「恵まれたならばそれ相応の振る舞いを」という言を笑い飛ばし。
「恵まれた、それ以上努力する分を他に回したい」という言い分の下。何の因果か姉の方に選ばれたのが私だったという話。
しかし妹を引き剥がした彼女の機嫌は上々で、俗に言う気狂い等の様子は見られない。至って、普通。
頬杖をついて読む本は高級品でとてもじゃないけど八百屋の成金娘の手には届く代物じゃない。

「君はさぁ、娘さん」
「はい、何でしょう。包帯さん」
「うん。敬語も無くすようにね」

君がつっけんどんな性格なのはよく知っている、お転婆ってことも。な、にを。だからね、自分の前では気を抜きなさい。う、うぅ。ね?…はい。
戯れの会話だということが分かっていても、この方の言は一介の民には身が重い。
しかしかながら言うことを聞かねば機嫌を損ねることは事実。家の行き先と、何より変な拗ね方をして被害を被るのは私自信であるからにして。私はおしのように口をつぐみ、恐る恐る彼女に言を向けた。

「あんたは」
「ん」
「どうして私を、」
「んんー?」

人の食えない笑みで首を傾げる彼女の頬には真っ白なガーゼ。同化しつつあるその白に目が眩む。彼女は今日も伸びきった洋服を身に付けるに止めている。寒いのか男物のカーディガンを羽織って、だらしない格好。寝癖一つ無い漆黒がさらりと揺れて曇天の空に輝く。桜色の唇、白磁の肌。西洋の人形のような――、ビスクドールだっけ。輝きに満ちた彼女が目を伏せて思案する。
彼女に比べたら。私の姿、この身体、着物が酷く陳腐に見えた。情けない体で頭が真っ白になる。思考回路に、灯が点いて。

「だって」

にゃふ、と瞳が揺らぐ。

「君、見えるんでしょう?」

何、と紡ぐより先に後ずさって居た。椅子の上で身動ぎ喘ぐ小心者の、三つ編みを彼女の繊細な指が捕らえて弄ぶ。光を吸い取った色彩が膨らんで、絞られて。
私の秘密がゆっくりと解かれる。
徐々に広がる髪に指を絡ませて、彼女が囁く。

「妹の、後ろに金魚のフンみたいに付いていた時。
幾度と無く君の瞳は虚空を見詰め、青ざめた。妹はあれで中々優秀だけど、君は上手く誤魔化せていたよ。
だからこそ、目についたんだけど。
自分は君のように何かを隠す人をかぎ分けるのが頗る得手なので、ね」
 
どうかな、訊ねる声に頷く事さえ出来ず顔を歪ませる。身体の奥から湧き出る恐怖。
私は、――私は。人では無いものと話しているのではないか?
確証の無い疑いに首を振る。失礼な、そんなこと。彼女は影だってあるし実体も、体温だってある。なのにどうして。
こんなに恐ろしく感じるのか。

「…矢張り、君も」
「っ」
「自分が、怖い?」

請いすがるような声音に心が震えた。
ずるい。
突き動かされる衝動に身を任せ、首を懸命に振る。

「違う、」

彼女が。私が、知っている恐ろしいものとは限らない。

「あんたは、こわい。こわい、けど。生きてる、生きてるし、対話ができる。変化が、ある」
「そう」
「だいたい、」

そろそも。彼女は私の問いに答えていない。
その事実に脳味噌に血が巡る。震えていた四肢に潤滑油を一匙。沸騰した。一、二、で開けた視界のままに私は叫ぶ。

「どうして私を選んだ!答えろ!」
「…にゃふふ。矢張、選んで正解だった」

上手くいった、と告げる鮮やかな音に。愕然として彼女を見遣る。
「あだ名が欲しいなぁ」と私に初日にねだり《包帯》と懐いた彼女はただ笑んで。唄うように言った。

「はじめは。あわれみでも良いんだ、」

単語が仄かな煌めきを灯して亀裂に落ちていく。私の心の中、真っ直ぐに、降りていく。彼女らしい輝き。

「ずっと欲しかったものがある。
気狂いでも、気が触れていても、変わらず付き合っていけるもの」
「あわ…れみ?きぐるい、ほしかったもの。あんたは何を。言っているんだ」
「新しい刺激。――《友人》。自分は、君が欲しい」

分かって頂けたかしら?と頬に落とされる唇に背を奮わせる。振り上げた拳は簡単に避けられた。歯噛みする感情に、畳み掛けるように声。声。声。
ああ、声が私を嘲笑う。
にゃふり、と白い塊が蠢いた。

「自分の、トモダチになって?」

はにかむような表情が堪らない。




20111005



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