10月



《猫の消息が知れません》
そう、私に話を持って来たのは犬だった。




孫の制服の衣替えも華々しい《タソガレ商店街》の10月。ひんやりとした空気に目を細める、八百屋の隠居という位置に座した私の元に劇的に現れたのは毛並みの良い秋田犬だった。その登場は騒がしく。思わず湯呑みを一つ駄目にした。
益子焼だったのだが。
怒りに目を細める私に犬は畳み掛けるよう、きゃんきゃんと騒ぐ。

「猫が」
「どの猫だい」
「この商店街の有名人である」
「人なのかい」
「猫だ」
「……《順序立てて話す》という言葉を知っているかね?年寄りには早口すぎるよ犬畜生」

誰が犬畜生だ!ときゃんきゃんとよく吠えること。
思わず蹴りを一つくれてやった。動物虐待?いやいや、―これが確りと動物ならばその言を聞こう。私とて頭が固いだけの年寄りでは無いつもりで。

「居ないのはヌシだろう。留守居を命じられたのかい?馬鹿犬」
「馬鹿犬とは何だ!」
「お前さんのことだよ馬鹿犬。今年がはじめてのお役目か?」

声を潜めて訊ねれば、途端に口を閉ざし合点のいったように犬は振る舞い始めた。理解が遅い。どうしたって【ヌシはこいつに留守居を頼んだのか】。甚だ疑問。

「何か分からぬことがあれば貴女に訊けと」
「役目すら分かっていないのにのうのうと訊きに来たのかい単細胞」
「ぬっ」

きゃんきゃん吠えていた口がようやく閉じたことに満足して前を向く。ああ、そういえば今日は佐方息子が来る日だったか。
八千代と共に帰るだろうから菓子を準備させよう。確か花屋の娘が持ってきた和菓子が取っておいてある筈で、

「いつも彼に対してそうなのか?人間」
「まあ、大体は」
「無礼千万」
「何を言う」

重々しく口を開いたと思ったら。下らない、と切り捨てれば犬は躊躇いがちに尾を丸めた。ようやっとこの商店街のルールが分かりかけてきたらしい。
一つ、商店街を見守ること。
一つ、商店街と共に過ごすこと。
一つ、平等であること。
一つ、正体を自ら暴露しないこと。
 
当たり前だろう、と口火を切れば犬は此方を見上げる。ヌシと同じ立場、しかし、まだまだ浅い。

「古来より人間とてお前らにナメられてばかりでは無いさ。手を変え品を変え、恒に平等に並んできた。
然らばお前。犬」

犬では無い、とほっそりと威勢を無くした声が紡ぐが無視をする。老人に小さい声は聞こえない。

「この一ヶ月、先ずは大人しく交番前にでも立ってな。勝手が分かってくるさ。上手くいったら供え物をしてやろう」

そう告げれば分かりやすく表情を変え、尾を振って犬は飛び出していった。微かな悲鳴。
どうもああいった手合いは人を驚かせることに生き甲斐を感じている節がある。それほど暇ということか。――少し気に入らない。
この一ヶ月でどう調教してやろうか、うつらうつらと考える私の耳に孫の帰宅を囁く音が届いた。

「ただいま帰りました。お祖母ちゃん」
「ああ、お帰り。何か変わったことは」
「……おい。今飛び出してったのは何だ」

三つ編みに仕立てた見慣れた姿の後ろより、不機嫌な声が響く。胡散臭げな口振り。眉間に深い皺。孫の彼氏の佐方息子。
見えてしまう、と泣きわめいていた頃と較べれば彼も。だいぶ成長したものだ、と再びいれ直した茶をすすり言葉を紡ぐ。

「何てことは無いよ。些事さ」
「…いつものあれじゃなかった」
「そりゃ魑魅魍魎の類いでは無い。けど、まぁ」

変わらんよ、と言葉を締め括る。
すると、それまで私たちのやり取りを控えめに肩を竦めて聞いていた八千代がおずおずと切り出してきた。

「お祖母ちゃん。それって、さっきの犬のこと?」
「ああ」
「…近頃ヌシさんを見掛けないことも、その原因のひとつ?」
「まあ」

この商店街の幸せの中心。
そうあるために奴が努力していた姿を知っている私は、うっすらと笑んで頷いた。さて、今までの流れで私の孫はこれの答えが分かるのか。
目を細めた私に気付いて背を真っ直ぐにしたおぼこい姿が、拙く言葉を繋げていった。
 
「時は10月で、神無月」
「ヌシさんは、居ない」
「犬」
「幽霊とかの類いじゃなくて」
「それって、私。今まで気付かなかったけれど」

かみさま。
戦慄く唇に溜め息を一つ。別にそんなとって食われるものでも無かろうに。

「おやおや。余計な問い掛けだったかね?――八千代。その反応はヌシには止しておきな」
「だ、だってお祖母ちゃん。神様、なんでしょう?それって失礼にあたるんじゃあ」
「ヌシにとってはお前の反応の方が傷付くよ」

だから、奴が帰ってきたら変わらずヌシさんと呼んでやりなさい。その言葉に佐方息子が傍らで頷いた。

「神っていうのは、吃驚はしたけど…でぶ猫に変わりは無いしな」
「…ぇ、ぅ」
「神無月ってことは出雲へお務めだろ?帰ってきたら疲れてるだろうし。その居ない一ヶ月、俺たちが確りしなきゃ駄目だろ」

頑張ろう、とくしゃり撫でられ崩される髪。孫の頬を染め頷く姿に脱帽。
下手すると祖母よりも孫の扱いが分かっているかも、そう嘯いて前を向く。
《ヌシ》と名乗る神が好いて護る世界は昔と変わらず温かさに満ちている。この厳しい変化に富んだ日本で。それはきっと、素晴らしいこと。
これからも変わらぬ幸せを。そんな年よりの縁側のぼやき。


(「神だって人に平等に扱って貰いたい時期があるものさ」
「大体、何時からヌシさんは此処に居るんだ?」
「私がぴちぴちの女学生だった時からかねぇ。気に入って、此処に住み着いたのさ」
「お祖母ちゃん、あの犬って」
「留守居を任された神だろう。未だ持ち場を持っていない補佐神、みたいものだ」
「…ヌシさんの代わりにしては不安だな」
「矢張そう思うかい」
「そんな、犬さんが可哀想だよ。二人とも!」)




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