弱虫ヒーロー



凛と立つ。腕を奮う。
とある嘘つきで弱虫の、ヒーローの話を拙いながらしようと思う。



それは四月の真っ只中。長年付き合っていた彼氏と別れた私は、ストレスが溜まってだいぶ荒れていた。綴る文章に統一性は無く荒れ続ける物語は本当に、どうしようも無いほどみっともない。残念過ぎる薄っぺらい展開に、感情のまま吐露する言葉たち。登場人物は男と女。どう続けても男は《彼》にしかならないし、女は《私》にしかならない。積み上げた不要のルーズリーフは数知れず、しかし何だか勿体無くて捨てられない私は《塵の山》たるゴミをいつだって鞄の中に住まわせていた。
服装も段々と荒れていき、化粧なんてこれっぽっちもしない。膨らむ鞄に鬱々と沈む私という存在。世の中を恨みながら、他人を疎ましいと思いながら、一番《私は私を殺したいほど嫌っていた》。
誰か私を殺してくれないかしら、そう思いながら学校から帰宅する。でも痛いのは嫌だから、優しく消して欲しい。何も自覚しないまま、すべてを捨てて消えて、それから。

「おかえりなさい。お久しぶりです、文豪」

先のような都合の良い御託を並べる私の家の前に、――懐かしい姿を見た。黄昏の強い光に照らされながらイヤホンを耳より外す少女。

「ケーキと、チョコと、酒。泊めてもらえますか?」

いつも嵐のように現れる彼女は今回も嵐のように現れて、私の心に細波を起こしていく。

嫌な、予感がした。

手土産を受け取って私の根倉に彼女を受け入れる。私のことを《文豪》と呼ぶ彼女の名前を、私は知らない。ただ、噂で馬鹿らしいあだ名だけは知っていた。
彼女のあだ名は《コウハイ》。
ふらりふらりと色んなところを放浪しては心に傷を付ける《侵略者》。
本人曰く、《タイミングの悪い女》。
高校時の軽い先輩曰く、《タイミングが悪いだけの後輩》。
その他世界曰く、《胸糞悪い糞女》。
そして私にとっては《意味の分からない人》。
意味の分からない人だけど、彼女が私を傷付けないことは知っている。冷たくも、優しい無関心の人。
私は彼女が嫌いでは無い。それだけで、彼女の酒盛りの誘いを受けるには充分だった。
たとい嫌な予感がしようとも、酒とケーキとチョコには勝てない。私はそういう生き物である。
酒が進むにつれ矢張り口をついて出るのは失恋話。恥ずかしいとかカッコ悪いとかお構い無しに出る私の弱い性格は、汚くも絶え間無く漏れて溢れ落ちていく。彼女という受け皿は溢すこと無く私の弱さ全てを受け入れて。ただ受け入れて、酒の杯を重ねていった。
満ちるお酒の匂いと、後悔。自己嫌悪に醜悪な思い出。終いには悲しくなって、最近の不調までほろほろり。全てぶちまけて涙腺の緩みを抑えられない。
汚い私の本性。こんなの誰であれ《見せるものじゃないって分かってる》のに、

「どうして、どうして感情なんてものがこの世に有るのかな?」

気付けば私は彼女に向けて泣き叫んでいた。
迸り。世界全てを呪っていた私の奥底。飲み込むことも出来ず動かされるがまま、続く言葉に彼女は反応しない。

「だって、だって感情なんて無ければこんなに悩むことは無かった。悲しむことも、怒ることだって、汚い私だって!
私は、彼に優しくしたかった。友達に優しくしたかった。彼の新しい、彼女にだって。優しく、したかったんだよ」

言葉に詰まる。それでも大人になれなくて全てを捨ててしまった。私を構成していた全て。
彼も彼女も私の物語も、彼方へと放って私は生きている。
ねえ、どうして。答えを求めてぐずる私に、彼女がチューハイのプルタブを開ける手を止めて。こうぽつりと言った。

「…だって困るでしょう、感情が無いのは」
「は」

まさか答えて貰えるとは思っていなかった私は、絶句する。彼女は私の顔を真っ直ぐ見詰め、ゆっくりと童謡を聴かせるように紡いだ。

「貴女は文豪。貴方の書くものはそういったものたちです。だから、困るでしょう?
貴女の嫉みも謗りも嫌悪も全部、物語になるんです。そう考えれば全てが愛しいと、思えませんか?」

と抑揚の無い声が私に語りかける。

私は初めて。彼女が怖いと思った。

その恐怖を見透かしてか、彼女が微笑む。私に対しての初めての微笑み。こんなに彼女が柔らかく微笑むなんて、知らなかった。目を見張る私から視線を反らして彼女が言う。
 
「……今度、天気の良い日に出掛けましょう。貴女のそういった苦しみや痛みを、私以上に上手く昇華してくれる馬鹿が居るところへ」
「馬鹿?」
「そいつはソラオと言います。私と同じ嘘つきでよく私を巻き込みますが、――彼の場所は酷く心地良い」
「ねえ、コウハイさん」

その口振りって、それって恋なんじゃ。そう口に出す前に彼女の顰めっ面が私の視線に応えた。

「あり得ない。不愉快です。撤回して頂けないと苛立ちが収まりません」

鋭い声に体が震える。

「…ご、ごめん」

何とか絞り出した謝罪は頼り無く震えて居たけれど、彼女は満足したのか静かに笑みを浮かべた。

「…もう、気にしていません。そうだ。これはずっと思って居たんですが、今度貴女の作品を読ませて頂けませんか?」

少なからず緊張もしている彼女の表情に私は吹き出した。

「良いよー。どうしたの、改まって」
「だって、」

それから彼女の拗ねたような声。

「物語を見せるということは、人に自らの深層を見せることに等しいではないですか。
私は怖かったんです。文豪に、拒否されたらどうしようって」

そう締め括るようにぼやいた彼女は、弱虫で中々本性を見せることは無いヒーローだ。私は少し考えてから、とっておきを彼女に差し出す。
それは、優しい優しい物語。彼女のような人にはぴったりの、愛のお話。

でも彼女はそれを読んで冒頭文で顔をしかめた。
曰く、「恋愛小説は苦手です」




(やあ、と手を上げる。お久しぶりです、と頭を下げる。仕事しましょうよ、とぼやく。いらっしゃいませ、と焦ったような声。
彼女に紹介された新しい場所は、私にとってもとても居心地が良くて。少しだけ帰り道私は泣いた。
あれは、世界の優しさだ。)



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