12月



12月は、


 やけに意識がすっきりして、目が覚めたと思った。しんと冷え込む陽気のこと。確か、明日から十二月かと思いながら眠りについたのではなかったか。カレンダーを仰げは確かに、暦は十二月を指していた。
 師走。落ち着き払う師すら走らせるほどの、忙しなさ。
 そんな言葉通りに噛み砕いたって実質そんなには、切羽詰まってはいないのだけれと。うん、と背伸びをしてベッドから降り立つ。ひやりとした床に足裏が触れて―漸く、間抜けなことに《目が覚めた》。
 触れる。掌。頬、身体、全てに触れて跳ね起きる。確か鏡が有った筈だと呻いて部屋中を探すこと五分。机の上に伏せられていた鏡を持ち上げて照らした。現在の私の姿。数ヶ月前の記憶よりも髪を短く切られすっきりとした見目になっている《リリーが主体だった筈の》この身体。亀山りりの手を離れた筈の、感覚。
 そんな、命の危険だとか、そんなもの。先月は無かった筈だ。ならばどうして、また変わってしまったのか。確かに触れる肌は現実味を帯びていて、何だか恐ろしい。

「なんで、」

 なんでなんで、と言ったところで足が震えた。恐怖が全身に伝播して引き摺るようにしてベッドへ戻る。毛布を引いて身体に巻き付けて目を閉じれども、深くリリーは眠っているのか応答することがなかった。否、―斑無く探し探ってみるも気配すらしない。
 まさか、なんで。
 再び悲鳴のように呻いて頭を抱えた。わけが分からない。
 亀山りりが設定したリリーの性格は、生きることに関しては完璧だった筈だった。死ぬのは怖い。怖いからこそ、密やかに肉体だけが生きられるよう必死に子供心に創ったのだ。彼女を。生き汚い彼女を。時折そんな彼女を奥底より見上げることが出来たら、それは幸せであったし―素敵なことだった。私とは違い、生きるために輝くリリーという女の子。
 確りとあぶくを掴んだ女の子。亀山りりが手放したものを手に入れようと足掻く姿は。あんなにも、綺麗だったのに。

「なにが、なんで、どうして」

 疑問符しか出てこない。ぐるぐると混乱する思考で辺りを睨め付ける。何か、原因が有るはずだ、何か―答えを求める頭は直ぐに見慣れない携帯を発見した。赤い色のスマートフォン。はてリリーの携帯電話は青かった印象があるのだけれど。下に置いてあるのは封筒か。
 恐る恐る手を伸ばす。きっと、これが答えだと。確信することができた。

【ハロー、はじめましてお寝坊さん。亀山りり。
 ずっとあんたを借りてた。
 けれどあんたの人生だから。ちゃんと生きて。】

 真っ白い便箋にこの三行と、下の方に小さく一行。
【あんたは愛されていることを、知るべきよ。】最後のこの小さな一行は。
 何度も書いて消した後が有った。消しゴムで擦られすぎてよれた紙はそんなに長くも無い思いを讃えて私を見上げる。どんな想いをして、―彼女はこれを書いたのかと鼻の奥がつんとした。
 居なくなってしまったリリー。私に全てを残して、彼女自身が得たものなんて無いだろうに。最後まで優しく私に触れる、私の唯一の光。

「生きて、とか」

 一番生きたかったのは彼女のはずだ。そう私が設定して、本当にそうなのだとこの一年、彼女を見ていてはっきりと感じた。だからこそ彼女の一番に叶えたかった願い。そんな想いを託されて、どうしてこの世界に逃げ腰の私が生きていけるだろう。
 光など見えないように布団を周りが真っ暗になるまで身体に巻き付ける。朝なんて来なければいいのにと意味不明なことをぼやいて世界より目を逸らす。未だ向き合わない私の耳に、お前が彼女に選ばせたのだと、弾劾する声。勿論誰も責め立てる人なんて居ないのだから気のせいだって分かっているけれど肩を揺らして強く目を閉じる。
 戻ってしまって《誰も居ない今》。再び奥底になんて、戻れなかった。
 私の作ったリリー。あんなに小さく、何も知ることのないよう私は。決してあぶくを掴もうとは思わなかったのに。

「あいされてる、なんて」

 思ったよりも拙い声が漏れた。
 愛されていることを知るべき、なんて。誰が。誰がこんな弱虫を愛してくれるだろう。
 リリーとは違って誰かを寄せ付けるような魅力を持ち合わせているわけでも無し、強い姿勢なんてもってのほか。彼女のように自信を持って導くことなんて出来やしない。同じ身体に居てもこんなにも正反対。亀山りりと、リリー。
 彼女ならこんな状況に立ったら何も無いように日常に帰るのだろう。ああ、そんなことも有ったかと目を伏せて。苦笑気味に、じゃあ、一から積み立てればいいのよと。
 だけど私は、―ああ!
 嫌な思考回路が無限にループしていく。息をしているのに溺れてしまいそうな感覚に声が詰まる。たすけて、と言える人はもう居ない。一体、亀山りりはどうしたら。

 俯く意識に不意に音楽が流れた。
 身を起こして発信源を探す。―赤い携帯電話。封筒の上に乗っていたものだ。
 リリーの青い携帯電話とは違い赤く毒々しい装いをしたそれを、恐ろしいものを発見した心地で見詰める。誰宛なのか誰からなのか、こんな状況になっては不明で知らせの音は恐怖でしかなかった。
 無視することに決めて布団により深く閉じ籠っても 布を隔てて確実に私に届く。
 しかも誰だかは知らないが長い。ずっと、流れ続ける音楽に辟易する。
 ずっと歌い続けるそれに、恐る恐る手を伸ばすこと暫く。
 ゆっくりと指先で電話を取るアクションを起こす。心臓が、煩い。

「はい、もしもし」

 応答すれば相手方は息を飲んだようだった。
 束の間の沈黙。電話の向こうから身動ぎする音。

『今、家?』

 紡がれた声に目を瞬かせる。
 電話越しだから分かりにくいが、これはきっと。幼馴染の彼。

「え、あ」

 全てを知っていて尚且つ。私の唯一の知り合い。
 溢れ出る感情にどうしたらいいのか分からなくて単音が口から漏れる。電波の向こう側できぃ、という開閉音。
 反対側の耳から二階に上がってくる誰かの足音。
 誰、と混乱して悲鳴を飲み込む。携帯電話から再び現在地を訊ねる声。
 その合間にも足音が近付いてくる。心無しか急いだ様子でビートが刻まれる。ととととと。
 心臓が大きく跳ねる。誰なのか、鍵を持っている人なんて、とリリーの垣間見た記憶を探れども何も出やしない。

「うさぎ、さ」
『家だね』

 彼が言い切った言葉に涙が溜まって溢れそうになり、唸り声が漏れる。
 同時に、扉が開いた。
 向こう側には息を切らした数ヶ月前も見た姿。

「うさ、」

 言い終わらない内に布団ごと抱き締められて居た。
 おかえり、と。まってた、と。震える声で告げられては堪らない。
 どうしたらいいのか、この激情に涙が溢れる。

 その日私は世界に回帰を告げた。


20121209


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