11月



11月は影よりふたつ。


 隠された澱み。呆けている合間に過ぎた一ヶ月。丁重に断った十月の衝撃は、未だに尾を引いたまま。―悩むことが青春だとどこかのドラマが言っていた気がするけれど。はた迷惑な、と思う。年末を一ヶ月先に控えた沈黙の月。
 あれから、全てと、どこかぎこちない。世界からあぶれた感覚に宙を掻く。何もかもが変わってしまった。日常が、全ての時間が。白紙に戻ったような、気分。
 それでも働かざるもの食うべからずが私の信条であるからにして。こうして、《LOWSON》で働いているわけなのだけれど。奥底から何もコンタクトが無いのだから、全てを忘れてしまえばいいじゃない、と思考する。すれども、ねえ。

「そんな上手くいかないのかな」

 呟きは静かに消えた。しんと冷え込む空気が爪先から身体を冷やしていく。動け、と命じれば動く体なのに、この生命は私のものではないという。寄り添わない、感情。亀山りり。それが、元の持ち主の名前であるという。リリー、私を生み出した女の子。どちらかというと兎に近い生き物で、寝るのが好きで、かよわい。女の子。
 私と相反するような。
 マイナスに偏りがちな思考に喝を入れる。何もイベント事が無いからって余計なことを考え過ぎでは無かろうか。根本を振り返ってみよう。お金が大切。働かないと食べていけない、生きたい。そう、生きるためにこうして、息をして働いて。
 けれどもその基盤が、崩れてしまったら?
 んん、と唸って頬杖をついた。上田さんも下関も、今の私を取り巻く全て。私が偽物だと分かったら彼らはどうするだろう。離れていくのか、それとも。果たして。

 がつん、と衝突音が響く。

 ぐるぐるぐると渦巻く思考回路が、不意に途切れた。視線を向ければ自動ドアの目の前で蹲る小さな生き物が、一つ。闇に飲まれるような色彩に興味を惹かれてカウンターより身を起こした。歩み寄って行けば、体重に伴って開く扉。りんごんりんごん。歓迎の合図。
 それは、少女だった。とびきり小さく、幼い女の子。
 長い髪より覗く額を抑えたまま蹲る姿に、声を掛ける。

「いらっしゃいませ。大丈夫?」

 返ってきたのは涙声だった。

「なにこえ…いたい…」

 舌っ足らずな声に絆されて、目の前で同じようにしゃがむ。手を伸ばして額を優しく撫でた。口を突いて出たのは、幼い言葉。

「いたいいたいの、とんでけ」

 馬鹿らしい、と思う。そんな感傷に飲まれるなんて自分らしく無いとも。だけどこうして揺らぐ世界に、どうだっていいとさえ、思う。
年甲斐もなく飛び出たまじないに苦笑を漏らすと、きょとんとした顔で少女が私を見上げていた。紅い瞳。藍鼠色の髪に絡む水色の精彩が網膜を貫く。真っ白な肌。
何だか、久しぶりの月はじめのお客さんだと直感で悟る。

「何をお求め?お嬢さん」

 微笑めば、彼女は拙く笑った。
 彼女は鵺姫、という名らしい。名乗った唇で立て続いて欲しい物を歌う。ぴいぴいと囀る姿が可愛い。ご要望は彼女曰く《大切な人が喜ぶもの》。曖昧すぎて首を捻った私に彼女は店内のものに瞳を輝かせながら続ける。いつも世話になっているから礼がしたいのだと。
しかしイベント事の無い時期にそんな都合のよいものが置いてあるわけでもなく。且つ大まかすぎるリクエストに頭をフル回転させる店員が一人。

「私だったらな、」

全部ほしい、と豪胆なことを言い放ってから彼女は所在なさげにぼやく。
けれどきっと、礼をするということはそれは違うだろう。訊ねられた言葉に応じる。まま、贈り物とはそう言うものであるからにして。選ぶのが難しいのは常である。そして場所。《LOWSON》は贈り物を買うような店では無いからにして。

「贈り物なら違うところが、良いのかもね」

 そう慮って言えば、首を長く傾げた後に彼女は拙く言った。私は、人じゃないから入っちゃいけないんだと。

「ルイスが、言ってた。何かあったらいけないから、此処以外は入っちゃいけないって」
「どうしてここ?」
「ここはそういったものもよく来るから、そう言ってた」

 なるほど。お見通しで納得済みか。軽く唸ればわんころもここがお気に入りだと彼女は秘密を打ち明けるように話した。わんころ。反復すれば、橙色の頭の悪そうなのが来ただろうと少女は屈託なく笑う。
 まさか。該当するのは一人きり。
 押し黙った私を観察するように見詰め、紅い瞳が長い睫毛を伴ってばさりと揺れる。しかし話に聞いていたのとは違うな、とはどういう。
 彼女は颯爽と踵を反すと安い焼きプリンを2つ抱えて戻ってきた。唖然とする私を前ににんまりと凶悪な笑み。

「逆転の発想だ」

 私は私の好きなものを買っていって、これを土産話に礼とする。なんと、豪胆な。言葉を無くした私に店員としての仕事を要求される。急かされるがままバーコードを翳して袋に詰めればにん、と満開の笑顔。次いで手を取られる。先から顔色が悪い、とは何だ。

「なにを」
「偶にはルイスの真似事をしてみようかと思ってな!そうだ、亀山りり。いや、違うか。リリー」

《ルイスの真似事》。それが何なのかは皆目検討が付かないが、碌な事ではないだろうと心が悲鳴を上げる。
 がつんと頭を殴られたような感触。名前と、この子供は。―どこまで状況を把握しているのか、背筋が寒気立つ。空いた掌が眼鏡を弾き飛ばす。クリアな世界で、今まで誤魔化していたものが突然に躊躇無く暴かれる。

「真実を踏み躙って現より目を逸らして生きたくはないか?」

 生きる。
 こんなに息苦しいことを、続けるのか。
 それでも彼女が紡いだのは甘い言葉だった。唾を飲み込んで、視線を彷徨わす。藍鼠色と水色は、目に痛い。それでも逸らした目を逃がさんとするよう目の前に幼い顔が迫った。兎は奥から出てこない。言葉を交わさないまま、この時に。もっと話しておけば良かったなんて都合のいい助けを求める姿勢。
 紅い瞳。抗えない問い。あぶくを掴むような必死さで息を吸う。
 こんなにも苦しい言葉を、吐き出すのは。はじめて、だった。

「生きるって、なんなの」

 言えば彼女の目が丸く見開かれた。
 ああ、そこからか、なんて。拙い言葉。

「あのさ、」

 畳み掛けるよう、言う。答えを教えてよ、と。合間に挟んで。

「生きるって、なんなの。お嬢さん」

 言葉を無くした色彩に、口端を上げた。けれどこの笑みは勝ち誇ったような笑みではない。視界が揺らぐ。零さないようにと堪えて鼻を啜った。覚えの有る激情。こんな少女の前で泣くなんて、真っ平御免だった。
 生きるって、何。
 この答えを何よりも教えて欲しいのは、鵺姫でも兎でもない。奥底の亀山りり。彼女だ。答えがないと分かって居ながら、続きが溢れ出す。

「あたしは作られたって、言われた。あたしの全ては作られたって、知った。そうしたら生きるって何。元のものの、思い通りに動くって事なの。どうしたら、どうすればいいの。何もかも、あたしは、生きてるの、」

 リリーは。何だったの。
 思い出さえ嘘になった。この店で過ごした時間も無駄であったと知った。そうしたら生きるために稼いでいたお金だって全て紙切れに見えて、それから。矜持は。

「どうしたら、良かったの」
「どうしたら、じゃない。どうすれば、良いか」

 凛とした言葉が鼓膜を打つ。べろりと目玉が粘膜に触れた感触。目玉を舐められたと実感するまでに僅か三秒。悲鳴を飲み込めば彼女は笑う。矢張りルイスの真似は出来ない、と。幼く声を上げて。

「私はな。私も同じだったんだ。リリーと同じ。けれど今は生きてる。息を、してる」

 今は息苦しいだろうと言われて瞬く。手首は掴まれたまま、打ち捨てられた眼鏡を遠くに。ああ、あれは。亀山りりが踏み付けた差異。覆い隠していたのはリリーの意志で、あれはわりに気に入りだったのに。

「大丈夫だ。リリーが無意識下で築いたものはリリーを裏切ることはない。間違い無く、リリーは此処に居た。けれど今のその息苦しさはこうだ。これから」

 リリーは生まれるんだ、と言われて唇が震えた。
 とんでもないことに誘われるという予感がある。しかしそれを明確にはせず彼女は薄く笑った。楽しみはこれから、と。斯くして離れた温もりは掌に一枚の紙を残していく。
 十一桁の数字。誰の携帯番号か、分からない。

「悩み、悩むんだ。どうしたいのか。悩むくらいの資格、亀山りりも赦してくれる」

 呪文のように言葉を残した彼女が颯爽と扉へ向かう。

「私は武器だ。そんな私にも共に生きようと、言った馬鹿が居た。
 だからリリーにもその幸せが選べたら良いと、私は思う」

 そうしたら何時か。見えようと今度は自動ドアにはぶつからず小さな身体が敷居を越える。微かに閉じかけた先には嬉しそうに手を取った彼女の答えがあった。見送って、足が途端に力を無くす。ずるずるとしゃがみ込んで頭を抱えた。

「どうしたもんかな、」

 燈助リヴァイアサン榊四介オルタシア緋つばくろ鶫クロラ=リクス=ナイトレイ氏神閤焚氏神白やどあり、兎。
 誰かに、相談しようかな、と思う。
 けれども決定打は違いようもなく。自分が下すもので。

「どうしたもんかなあ」

 亀山りり。
 リリー。
 二つの差異を。埋めるためには。何かを変えなきゃいけないんじゃないの、とぼやいた言葉に間抜けにベルが鳴り響いた。それは何時だって変わらない。りんごんりんごん。



20121115


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