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春直前の大学生の休みは長い。のんびりと過ごす203号室の住人達の前にふらりと姿を現したのはアンとバイの友人の二人だった。ケーキだよー!と少女を慕って叫ぶ赤髪に黄色い声を上げる幽霊の強かさ。食べられないのに何をそんなに喜んでいるんですかとシューサクは溜息一つ。
「でも!シューサクくん!ケーキは見た目の美しさでもう!神なのよ!」
「そうですよシューサク先輩!ネ申ってやつです」
うるさい帰れという声を飲み込んで騒がしい昼下がり、平凡はのそのそと本に埋もれていた身体を起こした。自堕落な生活である。
顔色がすっきりしてる、と告げられた艶やかさに惚けるようにしてシューサクは友人へ頷く。一度彼女の過去を追い求めると決めて、彼女に訊ねた後には夢の内容をよくよく観察するまでに精神が余裕を持っていた。素晴らしい事。
「一服行くか。おいアン、コモリちゃんと遊んでろ」
「了解!」
「了解なのよ!」
程々に二つも声を揃える程には仲良くなったようで。美しきかなと目を細めて立ち上がる。一服、なんていい訳だろうと言う事は簡単に予測がついた。サンダルを裸足に引っ掛けてとん、ととん、ゆっくりと赤錆びた階段を下る。大家の彼女に会釈して、伸びをする春の陽気。この古びたアパートの周りの喫煙所と言えばあそこしかない。
徒歩三分、瞬く間に着く裏のコンビニ。
明るい時間帯、灰皿の置いてある場所には既に見慣れた銀河の色。バイトが終わった直後なのだろうか、疲れた様子を少しだけ見せて彼が素っ気なく視線をこちらへ遣る。調った容姿に、シューサクは真昼の眩しさを感じて目を細めた。
「須藤さん」
「夜飯はオムライスな」
そっちの阿呆な先輩様が絶品って言ってたからとさらりと言われた言葉に平凡は肩を落とす。あんな焦げ付いた、ぐちゃぐちゃの様相の食べ物が絶品とは。ーー随分持ち上げたものだなと恨めしいという目つきで睨み付ければ、友人は素知らぬ振り。ぱんぱん、と仕切り直しの合図。
まあまあ問題を纏めようよ、と朗らかに、美しく、明けの色が笑う。あんまり遅いと幽霊が不審に思う、それは確かにとシューサクは向き直った。しかし覚えてろよ。悪態は短く。
「まずはシューサクの夢な」
あれから何か追加で分かったことはと訊ねられて首を振る。新たな収穫は無いに等しい。寄せて凪ぐあの夢は変わらず部屋から茶髪の少女、押入れ、と視線が移るだけで新たな事実は中々見付から無い。
「精々、あそこが203号室で、視線の主は長い黒髪にセーラー服、恐らくコモリさん、それしか言えません」
「まああそこに留まってるってことはそれが最低限の条件だよな」
何も関わり無ければあの部屋に縛られる理由は無いだろうとうたうような声色。その通りだと平凡は同意する。
「あの建物って何年前に建てられたんだ?」
「今から五十年ぐらい前じゃ無かろうかと、大家さんは仰ってました。今の大家さんで、四代目だそうです」
うろんに視線をさ迷わせ、聞き齧った記憶を探る。臙脂色のカーディガン愛らしい小さな身体。丸眼鏡をひょこんと鼻に乗せた彼女は、シューサクがコモリと恙無く暮らしている事に嬉しそうに微笑んでいた。まるで孫を見守るような風情。少しだけくすぐったく思う。彼女は分け隔てなく、あの古いアパートの住人を孫のように可愛がるから。
「彼女があそこを引き取ったのが、ちょうど十年と少し前。コモリさんが幽霊になったのがおおよそ十年前」
「時期としては被ってんだな」
鋭く声を挟んだのは須藤だった。冷えた声音に、誤魔化しは通用しない。仕方無しに平凡は頷く。大家の老齢の愛らしい彼女を疑いたくは無いが、彼女も何かを知っているという考えを排除できない。たとえ、彼女が何も知らずに前の持ち主から相続したと言われても、だ。
「大家さん、は、あの部屋は不幸なちょっとした事故があった、ということぐらいしか聞いていないそうです」
けれどもこうも、付け加えた。
「人は死ななかった、怪我をしたぐらいと」
だから今でも彼女は203号室を前の持ち主の言い値で貸しているのだと切々と語る瞳に嘘は無かった。シューサクが、観察した限りでは。もっとも心が読めるわけでは無いし、そんなはっきりとした事実は判らないけれど。須藤とバイの友人は眉根を寄せてシューサクの手探りの少ない情報を嚥下する。束の間の沈黙、一本箱から煙草を引き出したバイの友人の指がシューサクの口元にあたり、慣れた様子で点いた火が煙を燻らせた。どうも、と短く礼を言えばいいや、と軽い返事。彼も煙草を引き出して、胸を膨らませ一服。三人で、煙を燻らせる。
「じゃあ、オレ、いいかな」
ぽつりと告げたのはバイの友人だった。手元からゆっくりとした動作でスマートフォンを取り出して指を滑らせる。はじめからわかりやすいところに置いてあったのか、時間をそんなに置くことなく、選択して拡大したのは新聞記事のデータ。
それはとても小さなものだったが、電子媒体となったことにより朽ち果てることの無かった、記録、だった。
「最近の図書館って便利でさー。こうやって纏めてくれるところもあんだよね」

見出しに、悲劇の少女、その一言。

ぞわりと背中が粟立つ。まさか、あの彼女がと視線を彷徨わせた平凡に。違うよ、と声を穏やかに静めた彼。
「図書館の職員さんがこの事件知ってたんだけどさ、この時関わってた女の子は二人居て、被害にあったのは茶髪の子だってさ。二人とも可愛い子だったと」
茶髪の、その容姿にさえも平凡はまなうらに焼きついた記憶に息を呑む。
しい、と息を潜めて微笑んだ少女。愛らしい顔付きで、コモリと同じセーラー服を着ていた。かくれていてね、と刻む唇。そうだ、そう、時折戻る聴覚で、彼女はそう囁いて。襖を閉めて、それから耳を抑えて居たって漏れて鼓膜に届く罵声。物が壊れる音、嵐の到来、震える視界の目の前に光が迫る。目を射すような春の陽気、隙間から、見えたのは。
見えた、のは。
「んでもう一人が、コモリちゃんみたいな真っ黒な髪の……あれ、シューサク?」
「おい、シューサク」
息を荒く吐いた彼に気が付いたのか、二つの視線が集まる。物憂げに歪む銀河色と焦がしたキャラメルの色合い。指先で持っていた煙草がちりりと悲鳴を上げて熱源が爪先を焦がす。力なく落として、踏み躙って、ゆっくりと言葉をシューサクは重ねた。
「その、子は」
彼女は。夢うつつに細い声で平凡は問う。
勿論、と答えを用意していたバイの友人は口早に言った。
「被害者の子?今は回復して遠いところに引っ越したらしいけど」
「加害者は」
「その子の実の兄で、牢屋で首吊ったらしい」
そうですか、と返事をするのさえも億劫で、その場に力無くしゃがみ込む。夢の中で重なっていた少女の恐怖が一気に押し寄せてきたようだった。吐き気。震える肩を抱いた。被害者と加害者は遥か彼方。きっと、コモリは見ただけで、何も。聞くところによれば。
「じゃあ」
実質上の被害は無い。警戒し、恐れるべき脅威もない。被害者は一人、ならば、残るコモリは。
「死人は無い。コモリさんは何もされていない。なら何で、ああ、なってしまったんでしょう」
じゃあ身体は。
彼女は。
生死は。
世界が再び揺れた感覚にシューサクは誰に聞くまでも無く問いかけた。案じる二人より返事は勿論のこと、返って来ない。言葉の代わりに煙が上がる。それが真実を孕んだ明快な返事であればいいのにと詮無きことを心砕いて、思う。


20140306


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