15



待ち合わせは真昼間。平凡が従兄弟の麗人と以前待ち合わせたカフェテリアで珈琲を飲んでいると、通りの向こうから髪の短い女がやって来る。一重瞼の、見目としては涼やかな印象を抱かせる女性。予め着ているものは伝えていたので、彼女、が席の目の前に座ってもさほどシューサクは驚かずに済んだ。
電話での印象は拗れるような面倒事が嫌いで回り道も苦手。真っ直ぐに切り込むような爽快感と切り捨てる感情。
お呼びだてしてすみません、そう頭を下げれば静謐な瞳がじいとシューサクを見詰める。観察するような双眸だった。
「何飲みますか」
苦し紛れに紡いだ言葉は酷く擦れている。
彼女は目を逸らさずに歩み寄ってきた店員に一言、短く。
「カフェモカ」
と告げ愛らしく踵を返した後姿に、ようやく、言葉を切った。
「会いたい、ということで。夫よりも後押しが有ったから来た。それで、何の用?」
単刀直入に、短く要点のみを纏めて。そう言外に告げたこの人が、シューサクは怖いと思う。それでも教えて欲しかった。麗人の代わりに電話に出た彼女、が、コモリを居ないとはっきりと言い放った理由。
須藤と、あれから少し話をして。
バイの友人に、話を聞いてもらって。
アンとも、会話を重ねた。
方向性は決まっている。ただ打ち捨てられたものより、探って正しい道を。一歩は、彼女より。
コモリよりも華やかさに欠ける、麗人の従兄弟の兄よりも美しさに欠ける、見目としては平凡な部類に入る彼女の空気が鋭く研がれる。
まるで氷柱の鋭い部分を向けられているようだと息を吐いた。十分に、人を殺すことができる。
「教えて欲しいんです」
「何を?」
「あなたが、居ないと言い切った理由を」
「ああ、《コモリさん》ね」
冷ややかに彼女が笑った。ひそ、と毒を含ませた物言い。
「居るも居ないも、居ないから、そう言ったまで」
高校生、あなたと同棲している親類など存在しないとはき、と彼女が言う。それでも彼女は。シューサクの記憶力が確かならば、新しいことに関する報告を何度もメールで幽霊から受け取っている筈だった。
その件を問えば、夫の仕業だと思っている、と返事。
運ばれてきたカフェモカを嚥下しながら彼女が言う。麗人の奥方。思い切り顔を顰めて。
「今はソフトだか何だかでメールを時間指定で送ることが出来るだろうし。あのクソ野郎の悪戯だと認識している」
「クソ野郎って、」
「いつまでも若い時の感覚が抜けない。そこは、困りもの」
身内にすら容赦が無い。本当にこの人はコモリの兄と夫婦なのだろうか。目を白黒させる平凡に彼女は、ゆっくりと笑みを浮かべた。歪な微笑み、影さえ落とすような色彩。
「こんな、夫婦の形もあるということだ」
わかもの、と噛み締めるように言われた言葉に目を丸くする。確かに彼女はシューサクよりも年上ではあるのだろうけど。どうにも、老いを感じさせない顔つき。麗人は尚のこと、と思ってしまうのは単にシューサクの認識が甘いだけだろうか。
話は終わりかと問われ、言葉を紡げずに俯く。
このまま終わってしまっていいのだろうかと一抹の不安。ゆらり、と揺らぐ世界で確かだったコモリの存在が崩れていく。それは懸命に作った砂の城が波に呆気無くさらわれていく様な気分。
このままでいいのだろうか、平凡は自問する。
答えは、返って来ない。
カップを空にして満足したのか、目の前の彼女が立ち上がった。伝票をさらっていく鮮やかな手つき。化粧を施された睫毛が瞬いて鋭い眼光が、シューサクに有無を言わせない、ゆっくりしていくといいと年上の威厳を漂わせて告げる。
完敗だった。
あ、と伸ばそうとした手をテーブルの下で握り込んで彼女が去る姿を見詰める。引き止めたところで何ももう、言うことは無い。
別離の音。からんからん、と扉が鳴いて、そして。

「シューサクくん!」

目の前に、彼が居た。
走ってきたのか乱れたスーツ姿で縒れたシャツ。ネクタイを息を切らして緩めて、コモリの兄、その人が。
今日は平日ですよ、とか、何も口に出せずに顔を上げる。真っ青な顔色。麗人は右手に先程出て行った彼女を連れていた。奥方。彼女は麗人を射殺さんとばかりに鋭く睨み付けて、唇を噛んでいる。不本意なのだろう。拳を握る姿に、微かな羞恥心が見える。
「うちの奥さんが、」
ごめんね、なのかな。そう思いながらシューサクは口走っていた。

「あなたは、誰なんですか」

大きく穿つような言葉。こんな鋭い言葉を生まれてこの方真っ直ぐに、本人を前にして口にしたことは無い。
見ない振りをしていた。優しさに甘えて。
それだけでは探るものも探れないわな、と須藤が笑った。食いつけ、と茶化すようにバイの友人が言い放った。
あなたのもたらすものなら、幸いだわと彼女が言ったから。
引けない、と思う。真っ直ぐに彼を捉える。逃がしはしないし、したくないと思った。
視線が交差する。彼女と同じ菫色の瞳、大きく瞬いて、沈黙。顔色が真っ青を通り越して土気色に。空気が停滞したようだった。大きく脈打つ心臓。彼の言葉を待つ。コモリの兄だと名乗ったその唇。戦慄く声に。
破ったのは、手首を捕まれて居た彼女よりの、一撃だった。
「いい加減洒落臭い」
その静かな声と共に、がしり、と彼女の空いている掌が背伸びして彼の後頭部を掴む。空かさず足払い、膝を着いた彼はテーブルの端へ、額を強打して蹲った。
凄く、突き抜けるような音がしたけれど、大丈夫だろうか。
「気に入らない。おまえ、私に黙っていることがあったのか」
「え、あ、いたい、んです、けど」
「うるさい。帰るぞ」
それでいいかと静かに怒りに燃えた目がシューサクを捕らえた。宙を彷徨う手。そうですか、と頷けば大の男に、立ち上がれと蹴りを入れる姿。何というか。とんでもない夫婦の図というか。
「おにいさん」
縋るように声を出せば、額を抑えていた麗人が応える。
「ん、シューサクくん、ちゃんと話すから、」
ちょっと待ってね、ごめんねと情けなく搾り出した声に追い打つようなことは出来なかった。


呆然とカフェに残る平凡の目の前によっこいせ、と座るバイの友人の姿。
呼んだ覚えは無いから後を付けて来たのだろうか。それだったらもう少し早めに声をかけてくれてもいいようなものだけれど。
「首尾は上々?」
「そんなでもない」
平凡の答えは素っ気無い。だけど、シューサクの目の前にある珈琲に手を伸ばし中身を嚥下して、オレンジ頭の彼が美しく笑う。
「上々だろ。お前が、食いついたんだから」
その一言だけで、掬われる気がした。うん、と頷いてゆるりと笑う。その頬をそっとなぞって伸びやかに立ち上がった。調って男を魅了する体一つ、手を引くようにして。
「帰ろうぜー。夕飯は餃子がいいな友人殿」
「食っていくなら材料費落としてけ」
「つれないやつ」
ああでも同居する彼女はオムライスが良いと言っていたような。思考しつつ声を掛け合いながら帰る黄昏時。一歩、一歩確かに進む。
先に何があっても目を逸らさず彼女に伝えられる自信があった。


20140228


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