12



バイトが終わって帰宅する黄昏時。真っ赤な化物の腹の中、辿っていく様をシューサクは夢想する。ともすれば慣れた道、見方を変えれば多分、奈落への、なんて。心中で惚けて馬鹿にして歩んで帰る、逢魔の道。
古びた建物、203号室。桜の木はすっかりと葉を落とし目の前の春に向けて蕾を膨らませていた。擦れ違った一階の住人に会釈し、かん、かかんと軽やかに二階へ上がる。
上がり切って三つ目、ゆるりと視線を遣れば扉の前に派手な頭が二人いた。
互いに膨れっ面。互いに目線を合わせない。
たどり着いた先は、幼稚さ全面に押し出した最悪の修羅場か。入口の真正面。回避することができずに、シューサクは横を通り扉を開ける。手招きで合わせて夕焼け色になる調和的な二人を迎入れ、溜息を一つ。オレンジと鮮やかな紅。
バイの友人と、後輩のアン。
「何やってんですか二人共」
「コイツが悪い」
「なんかツンケンしてて気分悪!大人気ねえし!」
いやお前ら二人共態度悪いよ、と言いたい気持ちを抑えて平凡は両手を上げる。間違いなくこの場で一番被害を被っているのは勤労に疲れて帰ってきた挙句振り回されている彼だった。
コモリさん。呼ばれた、と気がついた幽霊がふありと寄ってくる。黒髪棚引く調った容姿。その姿を指さして。
「騒ぐようなら次回の真心こもりの小説の題材になって、夏コミに晒されてきてください」
言えば、すみませんでしたと二人は同時に頭を下げた。シューサクより何となく冬コミの体験を聞いている彼らである。同じような経験は御免だと言っていたので最終兵器にしてみれば効果は覿面だった。素晴らしい。
怒りが静かに解けて、靴を脱ぎ室内に入るシューサクの代わりにコモリが満面の笑みで二人の謝罪へコメントを唱える。よし分かった、次回はアンちゃん受けのべちょべちょに蕩けちゃう成人指定の小説ねーー、声の聞こえるアンは青い瞳を潤ませてその場に付した。曰く、何卒ご勘弁を。
ヒエラルキーの頂点は彼女なのかもしれない。そううたかた思いながら平凡は冷蔵庫の中身を確認した。人数が集まって、そして食べ盛りの男性三人。取り敢えず二人には少し我慢してもらうことにして、と先に米を研ぐことに専念する。直様寄ってきたオレンジ頭。バイの友人その人は、手伝うと小さく伝えて狭い台所の隣に立った。
「米?良いよ、惣菜一応買ってきたし明日用に予約炊飯にしとけって」
「いきなりどうしたんだ友人殿」
「いや、手伝いはあの」
と視線を促され部屋を見ればアンは見事にコモリに捕まって彼女気に入りの成人指定BLドラマCDを聴かされていた。音量が大きいのかヘッドフォンの合間から低い嬌声が響き渡る。その度に恐怖に跳ねる背中が労しい。青い彼の美しい瞳は決壊寸前だろうなと透き通る色彩を想って目を伏せた。
次いで、あれの犠牲になるくらいならね、と紡がれ深く頷く。確かに、コモリも一つ玩具を取ればおとなしくなる類の人間だった。もう幽霊だが。
「来たのはどうして」
「最近眠れてねえだろ。サークル長のあいつが心配してた」
泊まりに来たと告げられた慈しみの声に、短く礼を喉から絞り出す。一応気が付かれないようにと振舞っていたのだが、バイの友人を憂える先輩の彼からすればそんな演技などお見通しだったらしい。
コモリちゃんのせい、と訊ねられて首を振った。それは違う。脳裏に蘇りまなうらに焼き付いた、繰り返し見る映画のような情景。その、せいだった。
「一緒に寝る?」
「そこでどうしてそうなる」
性行為の誘いを向けられても答えられないがと冷静を保って返せば、くつりと小さく調った顔立ちを歪めて彼が言った。茶色い瞳には愉悦と慈しみの色灯してゆるりと蕩かせる。
「手足寒いとなかなか眠れねえって言うだろ」
「冷えの問題か」
だって、お前、何も言わないんだもん。じゃあ聞かない、と、少しだけふくれっ面。勿論振りだとは分かっていても友人の児戯染みた態度に笑みが溢れた。もう小学生でもないのに、他人は他人だと放っておいても差し支えのない子供なのに。有難いこと。
濁された言葉と気遣いにシューサクは眉尻を下げて、ことりと隣の彼の肩に甘えるように頭を乗せる。ごめん、と会話を締め括るように告げた平凡に夕闇思わせるオレンジ頭は声を落ち着かせて応えた。気にすんなよ、親友、なんて。嬉しい言葉。すりり、と頬が頭に擦り付けられる感覚。幸せだった。
心を綿に包められ甘やかされる気分に緩む頬。柔らかな表情をしている平凡の耳に、アンの悲痛な唸り声が穿つように届く。
「いや、それ、あっ、らめぇええええ女王様ぁ」
「ふふふ、そこなのよ!そこよ!今、そう、そこっ」
「ああああ開発されちゃうう」
一体何のプレイ中だ。二つ弾かれたように視線を向ければ、燃え尽きた煌くルビー。コモリの唯一の持ち物であるダンボール箱の上に調った祭壇。パソコンの前で鎮座して、項垂れる後輩の、目の前の画面にはゲームオーバーの文字。何をしているんですか、と卵をひっくり返しながら問うと鬼畜フリーゲーム中、と澄ました答えと表情。
「クリア出来ればかっこいいアン攻めにしてあげるって言ったのよー」
「わあコモリちゃんったら」
声は聞こえていないため唇の動きから言葉を正確に読み取り、ややあって絶句したバイの友人に、静かに瞬く菫色。
「当たり前、あたしに言うこと聞かせたいならこれぐらいやってもらわなきゃ。あ、シューサクくんは別」
なんという無茶な、仕立て上がった出来たての卵と、バイの友人が買ってきたつまみを足の低いテーブルへと乗せてシューサクは後輩の彼を揺り起こす。宙を彷徨っていた青い瞳が、食べ物を見詰め幾らか元気を出したように、見えたが。長い睫毛を動かした彼は調った顔を途端に歪め、情けない声を出す。
「せんぱい、いいい」
「諦めて、まずは食べましょう」
「俺の沽券に関わる、」
「いいから、それで、僕の友人と争っていた話も聞きますから」
それから何で此処に来たのかも聞きますから、と告げれば。理由は一つだけ、と返事が直ぐに反った。

「女王様に会いに来た」

思わず手が彼の横っ面を思い切り叩いたことに関しては、全面的に平凡は悪くないと主張させて頂きたい。


その後、子供じみた喧嘩の原因はアンの女性への誘いを、バイの友人が堂々と邪魔したことだと知ってシューサクはげんなりとした。どうして、と口に含んでいた野菜炒めを嚥下して傍らの友人に訊ねれば、だってこいつがナンパしてたのってサークル長の傍にいるあの、と軽やかな声が跳ねる。酒の缶を開けやりたい放題の二人に夕飯を食べる凡庸。端で煮っ転がしを摘みゆっくりと味わって、矢張り煮物は自分で作るには難しいだろうなと思考の連なり。
黒縁眼鏡の長い前髪、静謐さを保ち人の掌握と、気遣いに長けたサークル長。彼のすぐ傍を付かず離れずの女性のことだと言外にいうオレンジ頭。その関係の女性と言えば。
一人、該当する人物がいた。
短い髪の毛の、快活な。背の高い、一見すると男性のように錯覚する堂々とした後ろ姿。美しい横顔は確かにアンの好みであるかもしれない、が。
「止めといて正解ですよ、アンさん」
「なんで」
「あの方、ええと《映画探訪会》サークル長の妹分と言いますか。とにかく、彼以外の異性には凄く、厳しい人間でして。もし成功したとしても、きっと」
あれを潰されていましたよ、と言葉をするりと零せば急所を抑えて真っ青な顔色をした同い年の後輩の姿。
そんな、方なんですか、震えた声に。
ええ、そうです、と落とした声。見目こそ良いが彼女に手を出せば命さえも危うくなることは容易に予測がついた。格闘型の人間で、変に正義感の強い、あの大きなサークルを束ね上げる実力を持つ、時期サークル長候補でもある。だからバイの友人が止めたことも結果的に正解であるからにして、事情を知らない人間が生贄になることを防いだと思えば大した功労賞ものだった。
暫くの沈黙、音もなく後ろから窺っていた幽霊がシューサクの首に手を回して団欒に身体を滑り込ませる。抱きつかれた感覚も無いし、身体は透けているし、食べることに支障は無いのだが。気分的には落ち着かない。
困ったように、食べにくいですと告げたシューサクに猫のように擦り寄る少女。真っ白な顔がことり、と頭の上に、きっと位置的に落とされた気配。
「アンちゃん不能なの?萌えの材料にはとても良いけど!」
うきうきと跳ねた声はどういったことだろうか。高菜の炒め物に手を出しながら平凡は言葉を失う。
不能が良い真心こもりの小説のテーマになるなんて想像もつかないし、付きたくもないけれど。理解しがたい。
「まだ、正常で戦闘態勢です。女王が脱いでくれたらなおの事」
直ぐに言葉を返すこの後輩も後輩だが。
「ならんくて良いから」
口に物を頬張って突っ込めないシューサクの代わりに、同じように酒のプルタブを開けていたバイの友人の冷ややかな突っ込み。心中で有難う、なんて思いつつ噛み砕いたものを飲み込む。
「勃ったらオレが抜いてやってもいいけど」
「え」
「オレ男もいけるし」
するり、としな垂れた体が、腕が伸びてアンの頬をなぞった。美しい手練手管。誘うような夜の雰囲気が一気に場に満ちる。艶やかな唇、酒気でほのかに色付いた薄い唇の紅。
見目麗しい後輩はどうやら、彼の獲物に認定されたらしい。
青い瞳を今度こそ潤ませて平凡に助けを求めるアンの姿勢に、やんわりとシューサクは止めに掛かる。
「いや、ここで始めないでください」
「始めねえよ。心配すんなってシューサク。オレだってTPOを弁える」
じゃあもう少し、彼女の目の前だってことも弁えて貰えないだろうか。
継ぐ言葉を失った平凡の身体や机あらゆるものをすり抜けて、奇声を上げながら悶える少女の足が、抑えきれない興奮にばたついている。腕をシューサクにまわしたままなので自らの体から彼女の下半身が突き抜けるという恐怖。こういう場面を見る人が見れば悲鳴を上げるだろうなとぼんやり考えて、先ほど作ったばかりの卵を一口口に放り込んだ。蕩けるような舌触り。中身のチーズがゆっくりととろけて、火加減は上々。素晴らしいこと。
こんな素晴らしいものを食べながらどうしてこんな場面を見なければならないのか。にじり寄ったバイの友人に、逃げるようにしてアンの体が部屋の中を移動する。目を逸らすことなく平凡の頭の上から熱視線を向けるコモリを諌めるのも面倒で、今のうちに、とシューサクの胃袋は食卓の上の美味しいものを処理しにかかった。


その日の夜は客用布団を二つ隣に並べ男三人で眠りに就き、その頭上で少女が関係図の星を書く。おやすみなさい、と告げたシューサクに。おやすみなのよ、と綻ぶ可憐な笑顔。華奢な肩が持ち上がって光の粒子を集めて宙に文字を書く。揺蕩う黒髪。長い絹糸覆う先に微かな光が瞬いて、美しい光景に目を落とした。
深夜は、眠ることを知らない少女の独壇場だ。だからこそ魘されたシューサクを起こしてくれるのも、彼女だった。隈を刻む彼の体調を物憂げに見詰める調った顔に、滲む労りの感情に、シューサクは答えられずに目を逸している。あの夢の内容はきっと、彼女には伝えてはいけないものだと何かが囁いていた。
しかし本日は愉快な気分だ。今夜は、ゆっくり眠れそうだと寝息を立てる二つに挟まれたままシューサクは目を閉じる。落ちた暗闇。ずっと待ち受けていた、久方ぶりの何も無い眠りに身体を委ねた。夜はゆっくりと更けていく。



20140207






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