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年末も近く、帰省する人間で閑散とする構内。忘年会と称する打ち上げも終わり、バイト先も帰省に併せて人が居なくなるため、自然とシフトの一人一人の持ち時間が増える。体調の回復を認めてからは休む暇無く、シューサクは年内一杯の営業に付き合って働き通しだった。マスターである彼女は元より、彼も同じくして、休みに入ったのは昨日のことである。
疲労の抜け切れない体が、重く意識の上に圧し掛かる。眠い、とぱかり、口を開けば寒気が胸いっぱいに降り注ぐ。寒いことが特別苦手という訳でもないが、度を越せば悪態の一つも吐きたくなると言うもの。素早く着替えて着膨れる身体。肉つきの薄さに眉根を寄せられたのは記憶に新しい。黒いコートを羽織って靴を履く。
寒々と足先から冷え込む早朝のこと。まだ日も昇りきっていない内にシューサクは古びた我が家を足音に気を付けながら出て行く。軋む廊下。こんな時間帯に迷惑をかけてはいけない、と意識がまどろみそうになりながら慎重に行動を起す。
眠る、ことを知らない幽霊はそんな後姿にひらりと手を振って、いってらっしゃい、とはにかんだ。変わらず愛らしい笑顔。
言葉の代わりに頷いて、街灯眩しい中を目を細めながら歩いていく。徒歩三分圏内のコンビニに寄り、ホッカイロ三枚飲み物二つに対し一万円という高額紙幣を支払う。
須藤は一瞬だけしかめっ面をしたが、直ぐにシューサクの生気の乏しい顔つきに気が付いたかーー労わる様に缶コーヒーをつけた。
「奢りだ。あいつの、買物だろ?」
「よく、お分かりで」
こんな早朝に、こんな高額紙幣。少しでも少女と付き合いのある人間なら、理解をするのに条件は充分だと須藤は笑った。
ゆる、ゆる、と舟を漕ぎつつ見送られ平凡は最寄り駅のプラットホームに立つ。開いた扉より零れた光。背中に一身に受けて、彼がシューサクを見詰める。輝くばかりの笑顔だった。美しい、コモリの従兄弟の兄。周囲の視線を受け動かなかった表情が着膨れた平凡を認めた途端に、蕩ける様に破顔する。

「おはよう、絶好の冬コミ日和だね。防寒対策は大丈夫?」

開口一番それか。少女じゃないがどこか浮かれた声色に、平凡は電車に乗りつつ緩やかに応える。始発電車、それでも人の量は平生に較べると格段に多かった。
「あなたの方が寒そうに見えますよ、お兄さん」
スーツ姿しか認識は無かったが、カジュアルに纏めた私服にシューサクは目を細めた。社内の暖気で頬を上気させた姿に気が付いたか、スニーカーを履いた足が軽く体重移動をして調った顔が目の前に迫る。
見惚れちゃった、と訊ねる声にコモリとの血の繋がりを再認識。美しさに目が眩んだが、動揺を見せずに努めて脇腹を小突くと爽やかな笑い声。
こうして、シューサクはじめての同人誌即売会への参戦は幕を上げた。


場数踏んでいるからね、と緩やかに笑って従兄弟の兄はするすると雑踏を抜けていく。
定期への電子マネーは、言われた通りに、小銭は、言われた通りに、手提げは、恙無く。
打てば直ぐに返る会話。跳ねるようにして長い手足が先を行く。背中を見失わないように付いていくことが精一杯の、平凡に気が付いたか肌理の細やかな肌。伸ばされた掌が繋ぎ止めるように絡まった。指を絡めて砂糖を詰め込んだ煌めき。
「お兄さん」
「ん?」
「手を繋ぐ必要はありますか?」
「大有りだね。電波さえも危うくなる状況だし、逸れたら俺が寂しい」
折角一緒に行ける人が久しぶりに居るのだから、とはにかむような笑顔。周囲の視線が背中に突き刺さる気配に引き攣り笑いを見せながらシューサクは黙って彼について行った。用意された整列スペース。駐車場は既に人で溢れ返っている。始発で着た筈なのにこの人の多さは何事なのか、ぐらり、と眩暈は微かに一回。
並び、隣に腰掛けた彼に訊ねる声は確かに震えていた。情けないことに。
「これで、此処から最低四時間、ですか」
「うん、トイレは早めにね」
「あの、一番はじめの列に並んでいる人たちは何時から居るんですか?」
「ああ」
一瞬だけ冷えた精彩を見せて、麗人は困ったように微笑んだ。
「零時、若しくは前日から、かな」
時刻は午前六時を回った頃合。シューサクの家に住み着いている幽霊は、正しくこの祭典を《聖戦》でシューサクたちは《戦士》なのだと菫色の瞳を怜悧に細め、そう言い表したものだったが。その時には何の冗談だと笑うことも出来ていた筈も、どうしようもない。
絶望、深く染み渡る言葉に絶句する。
「お兄さん」
「うん」
「今までお疲れ様でした」
こんな中一人で待つなんて途方の無い真似、よく出来たものだと隣の麗人に頭を下げる。戸惑いながらも笑みを浮かべた中に、歴戦の戦争を生き残った疲労を見出した気がして、ーー本日の昼食は僕が奢ろう、そう決意したシューサクだった。
寒さが確実に手足を蝕む。ホッカイロを貼った身体は冷たく、はじめこそ離れていた従兄弟の彼との距離も寒さに負けて今ではぴっとりと寄り添ってシューサクは携帯電話を眺めていた。画面には今までの祭典を纏め騒ぐ輩の応酬。成程こんなことが成程、と頷いていく内に眠気がシューサクを襲う。
寝ていいよ、と意識を泥濘に引く耳通りの良い、声。動く時間まで三時間。甘えるように、うつら、と沈んだ鳶色は飛び込むように夢の中へ。


細切れのフィルターかかった夢。ゆらゆら揺蕩う感覚に、手足が震える。視界は真っ黒、穿つ声、破壊音、全てが存在を揺るがしてその度に視界が揺れる。縦に、希に横に、首を振ったように。プリーツスカートの影。きっちりと閉められた襖は、それでも密封では無いため光が漏れる。
暗闇の中に射し込んだ光。御伽噺なら許された救いであるはずで、縋る対象だった。漏れ出でる場所は淡く煌めいて視界を微かに紺色に染める。
恐る恐る、といった調子で視界の主は近付いて、それから。


身体を揺り動かされてシューサクは目を覚ます。惚けたまま開いた瞳に、微笑む麗人の姿。
「移動するよ、シューサクくん。おはよう」
「はよ、ございます」
一瞬、自分がどこに居るのか分からなかった。
確実に引かれていく感覚。足が竦んで動かない。立ち上がれない彼に気が付いたか、気分が悪い?と窺う様な声音。首を振って、どうにも立ち上がれず困惑の色をシューサクが浮かべると、暫し思考を手繰らせた麗人の魅了するような笑顔。
周りがざわめく。非常に、嫌な、予感がして腕の力だけで後退したシューサクの頬に掠めるようにして唇が落とされた。
「え、」
驚いて尚後退る。周囲が立ち上がってこちらの事態を見守っているからか、確かに押しつぶされるような事は無いけれど。恥を曝すようなものだった。
逃げる平凡を追い掛けるようにして目の上、額、それから、薄い唇が
「やめ、」
思わず足が出た。空気を切って蹴り上げる力は宙に、ゆらり、と従兄弟の彼は微笑む。
「成功!力戻ったね。さあ行こうか」
してやられた。目を瞬かせるシューサクの身体を兄は片手だけで持ち上げて、少女も頬を赤らめる艶やかさでエスコートは繊細に。恐る恐る平凡が踏み出せば多少ふらつきはあるものの、力は入る。ご面倒をおかけしまして、と周囲の人間に隙の無い完璧な笑顔。頬を赤らめ携帯電話を操りながら熱にあてられた女性が首を振る。
「良かった、じゃあ行こうか」
きっと今【ガチホモなう】とか、携帯ツールで呟かれているのだろうなと憂鬱な気分とひと匙の、助かった、という感覚。一言シューサクが礼を言う前に、ほっぺ真っ赤だよと耳元で囁かれ拳が飛び出した。
人の海に飛び込み喘ぐようにして熱を逃す。
コモリがシューサクに渡したリストを片手に従兄弟の兄は恐ろしい采配で欲しいものを手に入れていった。自らも持ちつつシューサクにも本を手渡し、人の波を掻き分けて小さなスペースを制覇していく。時には可愛らしくラッピングをしたお菓子を手渡し、笑顔を振りまいて完璧な仕事をこなす後姿は仕事人だった。これが歴代の戦士の作業か、と眩しいものを見るような目つきで見詰める。
その姿に突っ込みを入れる人間が居ないことが平凡にとっての不幸。知らず知らずの内にシューサクは荷物を持ち、彼の後ろに付き行動している。刷り込むような教育に身を委ねた彼を少女が居たら満面の笑みで言うことだろう。
ようこそ、驚きと自由に満ちた世界へ、束縛も無い愛をうたう、人間たちの楽園へ、と。

シューサクが微かな違和感を感じたのは、三回目の壁際、緩やかな動きの時だった。
何と言い表せば良いか分からないが、矢鱈目の前の机を隔てて向こうの、女性がこちらを見てくる。視線に嘗め回されるような感覚。もしかしたら、少し前からあったのかもしれないが、今更ながらに気付けば、突っ込まざるを得ない。
「お兄さん」
「どうかした?シューサクくん」
「ええと、僕の顔に何か」
「付いていないよ?」
そんな二人の会話にもにやにやと口角を上げ見詰められる始末。シューサクが首を傾げれば、上がる嬌声。何なんだ一体。
残念なことに、今日日そんな嬌声を上げられるような見目になった覚えは全く無かった。
従兄弟の彼を見遣れば嬉しそうにはにかむのみ。生暖かい感情。困惑に浸ったまま今度こそ、と尋ねようとする前に
「いやー、でも嬉しいです。真心さんの小説のモデルのお二方を見ることが出来て」
と鼓膜に飛び込んできた言葉に動きが止まる。
「まごころ、さん?」

聞いた事の無い名前だった。
聞いた覚えの無い、話だった。

途端足元より這い上がった、感情に、麗人を睨む。怒りなど何処吹く風。彼は朗らかに微笑んでシューサクの視線を受け入れた。
「あれ?」
さすがに空気の重さに気が付いたか、女性が気まずそうに押し黙る。答えが曖昧には認識できたが逃がさないよう、手を自ら掴んで、最近浮かべていない表情筋を駆使し、鬱蒼と平凡は笑んだ。
「説明を、お兄さん」
「ええと、視線が怖いよ、シューサクくん」
「殴られるのが嫌なら、今この場で、それとも」
お姉さん教えて頂けますか、と目の前の女性に平凡が問えば威勢に圧されたか、つっかえながら彼女は答えた。紡ぐ細い声を一字一句、逃さないようにシューサクは耳を澄ませる。

「真心こもり、さんのBL小説で、モデルになっているシュウくんとお兄ちゃん、ですよね?」

ぷつり、とどこかが切れた気配。耳の奥、ごうんごうんと音が鳴り響く。薇の錆付いた人形のように不細工に首を傾けたシューサクを引いていく長い四肢。ライトが網膜を焼いた。沢山の視線。麗人が微笑む誰かが倒れた切れ長の瞳少女に良く似た艶やかさ、混乱は引かない。
説明を詳しくして下さい、と痰の絡まった喉で請うように出来るまでに一時間を要した。視線を向けられるということが、あんなにも疲れることとは。
惚けて混乱しているその合間にも買物は続き、歩き疲れた先のカフェでぐったりと平凡は座り込む。
「珈琲一つ、カフェオレ一つ」
それから、とランチセットを唱える薄い唇に、ウェイトレスが去ってからややあってシューサクは見える。
「いつのまに」
それから、いつから。呻くよう声を絞り出せば困ったように微笑んで麗人は答える。
「一緒に住み始めてから三ヶ月ぐらい、かな。軽い気持ちで小話を書いて、とあるコミュニケーションサイトに投稿したら口コミで広がってね。今や同性愛への価値観が変わる泣ける小説として誉れも高い」
そのおかげで昔よりは本の購入がしやすいから有難いよ、と強かに囀る唇に、脱力感に支配された頭ではろくな文句も言えない。平凡は顎を机に擦り付けたまま、辛うじて残った思考回路で言葉を投げ付ける。
「お兄さんはいいんですか?」
そんな方達の食い物になって、言えば、うん、と快活な返事が返った。諦めと、苦笑。
「構わないよ。慣れてるし、それに俺には大切な妹分が、新しく何かをやる気になったということが大切だから」
「そうですか」
大した聖人君子ですね、と嫌味を口に出そうとしてシューサクは口を結ぶ。彼にあの少女に関することで嫌味を言ってもきかないということは、嫌という程この一年未満の関係の中で身についていた。
ふと、この人ならあの夢が何なのか分かるのではないかという、茫洋とした思い。
暗闇に溺れる夢。絡め取られる泥濘が続く恐怖。紺色のプリーツスカート握り締めて襖の中で待つ。唇に指を充てて微笑む茶色毛の少女。桜の色に染まって淑やかに染まる頬。
隠れていてね、とは。一体、何なのか。
「おにいさん」
「ん?」
菫色が美しく煌めいた。含みを帯びた視線に晒されてシューサクは口をつぐむ。
ともすればそれは、平凡の心を余すことなく吸い込んでぐしゃりと揺れる。夢のことだとか、逡巡や引け目とか、全て悟っているようだと思わせる美しさを保って、こちらを見つめる。調い過ぎたうつくしさ。果てのない紫。ゆらり、と水を讃えて湖面のように揺れる。
刹那、なんだか恐ろしくなりーー次第にどうでもいいような気分になって、薄ら寒さを忘れるようにシューサクは言葉を投げた。
「お兄さん、僕が今何を考えているか分かりますか?」
「んー、疲れた、それからお腹が空いた。それから、早く帰ってコモリの顔を見たい、かな」
どう?と首かしげる愛らしさにシューサクは安堵する。
曰く、そんな簡単に人の考えなど見通せない。
「一部正解で一部まちがいですね」
そっか、残念。そう言って麗人は大して残念がらない表情のまま微笑んだ。

その後真心こもり自身に会いたいという熱烈なファンには何と言ってるんですか、と好奇心で訊けば、病院から出られない病弱な子なんですって答えてると飄々とした嘘。あれが病弱であるものか。まあ、彼の見目を以てすれば胡散臭いものさえも真実たり得るだろうなあと呆れ、その計算高さに舌を巻き、運ばれてきた料理に舌鼓を打つ。
帰ったら幽霊には同人誌お預けの刑に処すことを念頭に置いて。


20140202


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