13



「会って確信したんですけど」
平凡の目の前で真っ赤なルビーのような色彩が物言いたげに揺れて、意を決したように、青い瞳が彼を射抜く。シューサク。熱に倒れたことが、アンと彼の二度目の逢瀬になった按配なのだが、その際に彼はコモリとも邂逅を果たしていた。
高頻度で遊びに来ました、と囀る口がもごもごと、彼らしく無い勢いで辛うじて動いている。
話をした喫茶店での出来事から早三ヶ月。季節は春を目前に控えた二月。後期の試験上がりの身体を捕まえて、話を聞いて貰えませんかと丁重な口調で頼み込んできた彼に平凡が従ったのはほんの五分前。
大学構内のカフェテラス。互いに珈琲を買って、液体を嚥下して少しだけ彼は迷っているようだった。二口目、三口目。ゆっくり味わうように飲み込んで視線だけで促せば、揺らいでいた視線がひたりと合う。
彼が言う。落ち着き払った調子で、真摯に声音を落として。
シューサク。平凡極まった、アンにとっては同い年の、先輩にあたる、何とも不運な人間へ。
「結論から言わせて貰います。多分、先輩、感じにくい体質ではあるけど、コモリさんはそれなりに強いものだから。あんまり傍に寄ると少し危ないかも」
それは普段の彼から考えると芯を捉えた言葉だった。丁重に触れた言葉遣いだった。じんわりと、苦味のような気分を味わいながら、シューサクは訊ねる。
「それは、ええと、幽霊とかそんなものに詳しいものに対しての君の考え?」
「少しだけ。俺の家、実家が寺なんですけど。良いもの悪いものに関わらず、存在が違うもの、が物質的に近い、じゃなくて心の距離というか。そんなものが、近づくと良くないってのが昔から言われてきた話で。特に、コモリさんは驚くぐらいに力が強い、から、抗う術も持ってない先輩には良くないかも」
いくら何にも感じない人でも、近寄ってしまえば何も影響を及ぼさない、ということは無いわけで。そう噛み砕いて説明する彼の口調は苦しげに見えてシューサクは目を瞬かせる。
「俺の兄弟だったら、直ぐに引越しをすすめると思うんですけど俺は、したくないし、そんなことできないから」
断言も口にしない、俺の勘も混じってるから、と申し訳無さそうに言葉を留めたアンに視線を逃がして思考の海に揺蕩う。
寂しがり屋の少女コモリ。彼女の存在する理由を探る時が来たのかもしれない、とシューサクの心が囁く。
ここ数ヶ月間抱えてきた懸念。夢を断続的に見る浮遊感。――変わらず誰か、は押入れの中。不安に震えていた。茶色毛の紺色のセーラー服を身に付けた少女は秘密を共有するかのように誰か、に笑いかける。不安の感情。爆ぜたように震える視界。

あれはコモリの忘れている記録じゃ無いだろうか。

徐々に、詳細に、けれども細切れに何度も見詰める光景は、アンの話を聞いて深く確信出来るほどには平凡の中で根付いていた。否、寧ろ、動き出すことが少しだけ遅かったかと不安に眉根を寄せる後輩を前にしてシューサクは考える。
「ねえ、じゃあ、これも聞かせてもらっていいかな?」
「はい」
ややあって、声をかければ美しい色彩を正して彼が頷く。
「ああいう霊って、やっぱりどうにかなりたいもの?」
縛られて苦しいのか帰ったところがあるならそちらがいいのか、と言外に放った質問の意もしっかりと汲んで彼はゆっくりと青空を揺らし、迷った声色で口にする。
女王様、と張り上げる声は無い。
あくまで、コモリさん、と丁重に扱う口振り。
「それは、俺には分かりません。中には、どうしてこうなったのかも分からない、と生死の有無を聞いてくるやつもいるから」
ただ、家の教えに則れば帰るところには還るべきだと言うでしょう。そう告げられた言葉に冷えた思考回路が高速で動き始める。緩やかに、平凡を押し遣る声。大丈夫ですか、なんて。まだ大丈夫だと、シューサクは思う。
何にせよ彼女を知りたいならば、一人、会う必要のある人が居た。
「最後に言わせてください。コモリさんは、悪いもの、では無いです」
懇願するような声。罪悪感に塗れた濡れた瞳が真っ直ぐにシューサクを見つめた。そんな顔はされずとも、彼女を悪いようには扱うことはしない。平凡は返事の代わりに手を伸ばすと、調った赤毛をぐしゃぐしゃと掻き回す。わ、と小さな悲鳴。口角を微かに上げて短く礼の言葉を口に乗せれば、彼は申し訳無さそうにこちらを窺う。
怒りもしない。淡々と、十数ヶ月分の優しさに触れる。心に確かに入り込んだ優しい幽霊。少しだけ騒がしいけれど、救いにも何度だってなって、それで。彼女の知りたい不安、に、存在することを知ることができない暗闇に、光明を照らす事が出来ないだろうかと傲慢にもシューサクは思考する。
珍しい事だった。知りたい、と思う事なんて、シューサクは無かったのに。況してや畑の違う美しい人。今まで生きてきて、そんな人の隣に立ちたいなんて思わなかった。
触れたいとも感じなかったのに。
雑踏にかき消されて息苦しいだけの、生活。その中で人生に射し込んだ灯りは確かに彼女だったから、シューサクは動きたいと想う。そう、うたかた思考する。
従兄弟の兄。麗人は、捕まるだろうかと携帯電話を取り出した。連なるコール音。
『もしもし』
出たのは彼ではなかった。


試験期間という立場を汲んで大きな間を空けてのシフトを組んだのは、店の責任者たるマスターの彼女だった。まだ寒い時期、震える肩を抱いて店に飛び込んできた客に笑みを浮かべ、柔らかく、その時ばかりは彼女の低音が溶ける。
いらっしゃいませ、お好きなお席へ。
項のタトゥーに目を瞬かせる男も女も、その声色と店の中に満ちた珈琲の芳しい香りに惹かれたように途端に従順になる。珈琲こそ日本の合法的な麻薬、だよなあと珈琲をいれる彼女を横目に、その声音を聞きながら会計の済んだテーブル席を片付けていたシューサクにカウンター席から手招き。
銀灰色に瞬く美しさ。眼鏡をかけた須藤がため息混じりに隣を指差す。
「はあ、ええと、お客様」
「いいから座れ」
マスターから許可は貰ってるから、と言われれば従うより他無い。彼女へ視線で助けを求めるが、矢張り瞳が言うことを聞いておけと語っていた。勤務中なのだけれど、良いのだろうか。一抹の不安とともに、須藤の隣に腰掛ける。
店内の客はテーブル席に一組と、須藤一人のみ。
店が混み始めたら立ち上がって働けば良いか、なんて。シューサクものんびりと思考しているところに、須藤が本を閉じて珈琲を寄越す。
「飲め」
「え、」
「奢りだ。さっきマスターに作ってもらった」
泡の立ったマキアート。ここまで良くして貰って良いのだろうかと平凡が不安に瞳を揺らせば、いいから、と声。仕方なく口にすればするりと喉元を通り過ぎていく。喉が酷く渇いていたのだろう、と目元を綻ばせる。湯気の向こうから穿つように言葉が飛ぶ。
「接客態度最悪」
「すみません」
「いつも、死んだ魚の目してるけど今日は余計に、最低」
「はあ」
そんないつも死んだ魚の目なんてしているだろうか、覇気がないとは言われたことがあったが新しい表現だ。シューサクは俯いて流れるように音を聞く。来客のベルは鳴らない。先程まで空間を支配していた本を捲る音も、会話も無い。マスターは珈琲を提供し終わった後で、いつの間にかカウンターの向こうへ、明日の仕込みでもしに行ったのだろうと思考が煙る。ぼんやりとしている意識に、
「なあ、何かあったんだろ」
全身に響く言霊。
驚いて目を見開き、彼を見れば。お前の阿呆くさい友人に調子おかしいから見てやってって言われたんだよと不遜な声。確かバイの友人は本日はバイトだった筈で、顔を合わせたのなんて試験前の十分足らずだったのに。
見抜かれていた。動揺も、全て。シューサクははくはくと打ち上げられた魚のように単音を繰り返す。
「あ、ああ、え、」
「んで来てみれば案の定顔色悪いし。お前の友達は《身内が末期がんだって言われた時みたいな顔してる》なんて言ってたけど。胸糞悪い例えだよな」
でも、当たってるな何があった、なんて。
ゆっくりと労わりの感情を込めて言われてしまえばもう駄目だ。
するり、と言葉が口先から滑る。重いものを含んでこのまま、あの部屋に帰るのかと悩んでいた事項。シューサクの乾いた口内、声が少し遅れて付いてきて。
「アンさんに、見てもらったんです」
「おう」
「それで、色々わかって、まずはお兄さんに連絡を取ろうと思ったんです。携帯にかけて、」
数回のコール音、後に出たのは。
「彼の、奥さんでした」
短く告げられた挨拶の言葉、用件を訊ねられ、一緒に住んでる高校生の妹さんのことで、と言葉を濁すと。淡々と、顔を顰められた気配。
鼻が詰まる。彼女が返した言葉は間違いなく、この一年近く培ってきたものを、引っ繰り返す言葉。
「いないって言われたんです、」
「は?」
「そんな親類、いないって言われたんです。一緒に住んでるなんて、やめてください、詐欺はお断りしますって」
「いや、待て、理解が、」
だって、俺もお前も見えるよな、と言われてシューサクは俯いたまま頷く。
そう、居るし、見えるし、話も出来る。ならば。

「コモリさんって、誰なんですか?」

つっかえていた言葉を吐き出した。言葉を失ったままの須藤の瞳にシューサクが写る。死にそうな顔だと笑ってやりたい気分だ。


20140214



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