6



朝日が酷く強烈に、目を焼いた。射し込む木漏れ日に否応無しに微睡んでいた意識を刺激され、平凡は目を覚ます。そこかしこに転がる酒の空き缶。足の低いテーブルには空っぽの鍋。汚れた洗い物の数々。中途半端に放り投げてある酒盛りの跡。
珍しく酒気に溺れて惰眠を貪るオレンジ色の毛玉―否、頭。
何気なく置かれていた彼の手の甲が内股の、丁度際どいところに中っていたことはこの際無視する事にする。彼だっていつでも計算高く色欲に塗れている訳ではない。きっと寝返りをうつ合間に置かれてしまったのだろう。そのうつくしい手。ゆっくりと床に払い落とし、シューサクは部屋の惨状を改めて見回して一言。言わんこっちゃない、と小さく呟いた。
その、睡魔を叩き起した低音に、宙に浮かぶ幽霊が応じる。

「昨夜は凄かったのよ。おはよー、シューサクくん」

その変わらない明るい様子にシューサクはゆっくりと息を吐いた。
昨日の、あの、一瞬だけ見せた彼女の泣きそうな瞳。潤んだ菫色よりは今が大分良いと心中で囁いて。
「お早うございます、コモリさん」
片付けをするために、家主はのっそりと起き出す。寝癖もひょこんと顔を出し、とにもかくにも洗顔ぐらいは済ませようと寝ぼけ眼で流しに歩みを進める肉付きの薄い身体。ふよふよと愛らしい幽霊の髪が靡く。朝日を背にして二人揃って水に向かう。
「昨日、」
「はい、」
答えながらシューサクは流水を掬って顔に叩きつけた。冷たい液体が身に凍みる。鋭く舞い踊った寒気に、夏を前にした気温だというのに、少しだけ背中を震わせた。湿気は多いがこのところ、異常気象のせいか季節に見合った気温ではない。誠に残念なことに。
寒さも暑さも別段シューサクは苦手ということは無かったが、中途半端な気候は背中がむず痒い気分になる。途切れた幽霊の声。愛らしいコモリの逡巡に、鈍いながらも気が付いて。顔を拭いて向き直る。真っ直ぐに視線を合わせれば彼女ははにかんで続きを紡いだ。
「とても、たのしかったのよ」
脳味噌に染み込んだ甘い声に、シューサクは瞬くような躊躇いをふと思い出す。
友達で、良いのと震えた表情。私が触れて良いのと問うような華奢な肩の戸惑い。大丈夫、とその時見て見ぬふりをして背中を押した。シューサクの友人、そして同居する風変わりな彼女もまた。
「それは、良かった」
少なからずもう、シューサクの世界の一部なのだと面と向かって言うことはきっと無いけれど。代わりに柔らかい笑みを浮かべてゴミ袋を取り出した。お客さんが寝こけている内に片付けを済まさなければ。授業が午後からとはいえ、弛んでいる生活は少々宜しくない。
ジャージに包まれた白い体が引っ付くように背中に負ぶさった。幽霊のため重さは無い。
ふと生前の彼女の友達、や私生活が気になったがシューサクは目を瞑った。容赦無く片す鍋。取り皿を冷やしてカーテンを全開にする。薄かけを最後の良心だと告げるように広げて友人の身体にかけて。
ともだち。泣きそうに、そして嬉しそうに表情を歪めた少女。まだ、きっとそのことを本人に聞くには早い。そう考える程度には、シューサクは人付き合いに慎重なのだ。可笑しいことに、何も考えて居ないような振りをしているけれど。


男女分け隔てなく愛を謳う友人はシューサクが片付けを終えて一時間後、ゆるりと目を覚ます。長い睫毛に涙すら連ねて愛らしい欠伸の様子。伸びやかに筋を調えた身体はしなやかにうねって、いやらしく陽光に映えてみせる。うつくしさと夜の鮮やかさを灯した肢体。時折見える赤い痕に情欲をそそられる人はきっと多いだろう。シューサクはぴくりとも食指が動かないが。
寝ぼけたようにゆらゆらと、視線が宙を彷徨ってコモリを捉える。ゆっくりと現状を咀嚼するように眼球の拡大する動きは一回。次いで、部屋の中を見回して、綺麗に整頓された机を見て自らの体にかけられた薄かけを認める。終着点はシューサク。うっすらと透けた体を連れたまま、歯磨きをする彼を認めて―大きく安堵したように彼は微笑んだ。調った顔立ちで微笑まれると、コモリ同様心臓に悪い。美しさとは罪である、なんて。
「はよ、シューサク」
「おはよう寝ぼすけ」
「ふははっ、お前に朝一番、そう言われる日が来るとはなー」
案外疲れていたのかしらと改めて薄かけを肩に掛けて、ぼやく薄い唇。横目に彼の起床を認めて、うがいを成した平凡は水を差し出した。
「珍しく潰れたな」
「ん。早めにお暇しようかと思ってたんだが、楽しくなっちゃってダメだった」
まあいいよ、と労わるようにシューサクは彼に視線を遣った。疲れていたのならアルコールのまわりもきっと早いだろうから。
飲み始めは楽しそうであったものの、どこかぎこちなかった友人の態度。酒とは平生の嫌なことやふとした過去の傷を抉って攫っていく。シューサクの脳裏に蘇るのは身体を使って金を稼いでいると言い切って疲れたように眠る、友人の身体。きっと昨日明かした彼の秘密、は一般的には少々刺激的である。しかし、それが彼を避けるような理由にはならない。
「ほら、大学行くぞ。講義あるだろお前も」
「ん、伝承論T」
「そうそう。支度しろ」
そんな二人のやり取りを楽しげにコモリは見詰め、微笑んだ。仲が良いのね、との言葉に、そうかもしれませんと息を吐く。彼にはコモリの声は聞こえない。ともすれば一人で話しているような光景に、ひたひたと友人は歩み寄って、美しく笑んだ。
「二人共、ありがとな」
友人が屈む。先程まで猫のように床で転がっていた長い四肢。ふわりとシューサクの額に降りた薄く柔らかい感触。惚けたように動作を見送って、上がった黄色い声にげんなりと肩を落とす平凡。
おかずなのよ、やめて下さい、ついにホモが目の前でめくるめく生の美しい光景を、勘弁して下さい、あああ有難う、感謝もやめろ生々しい。そんな掛け合いが騒がしく鼓膜を擽る。忍び笑った友人の姿は確りとシューサクの視界には入っていて。
「後で覚えてろよ」
「なんのことやら」
歌うように囀って洗面所に消えた線の細い体を、恨みがましいという目でシューサクは見送った。


後々出発の際にも、行ってらっしゃいのちゅーと称して二人からシューサクは唇を奪われ目を白黒させたことは改て記載することでも無いだろう。況してや少しだけ友人には舌を入れられただなんて口にも出せない。溢れた唾液を舐めとる舌が余りにも官能的過ぎて。ぐわりと眩暈。色男はくつつと笑う。
コモリの夜の闇に描く愛憎劇はバイの友人に会ったことにより益々激しく艶やかな物語へと変容し、シューサクが頭を抱えたのは最早笑い話である。


20140107


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