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「コモリさんって」
さりげなく。さりげなく、手探りの質問をそれ、と悟らせないようにシューサクは口にする。あれから数日が経って、今日はバイの友人にコモリを紹介するという話を本人に打ち明けようという、朝だった。
一晩中眠りを知らない透けた身体が、届いた薄い本をめくっていた動作を止めてシューサクに視線を送る。どうしたのと声無き催促。菫色が艶やかに朝の白い光で煌きを帯びる少しの時間、彼女を見つめてゆっくりと青年は声を絞り出した。

「もう、死んでるんですか?」

何も知らない合間は無垢な天使。美少女で役得と人は思うだろう。蓋を開ければ腐りまくった―少し困った女の子。趣味嗜好も人間らしいってばらしい、けれど。シューサクはあのまま有耶無耶に飲み込んでいたことをでろりと吐き出した。悩んでいるのは性に合わない。
コモリはもう人間では無い。死んでる―そういえば死んでる、のか。でも幽体離脱とかそんな不思議な出来事も世の中には存在していて。
ずっと疑問に思っていたことを訊ねてみればあっけらかんとした返事打つように空気を揺らす。
「わかんないのよ」
「分からない?」
「うん。分からないなりに、そんなものなのかなって今ではあにちゃんも私も納得してるんだけどね」
そう拙く言うコモリに目眩一つ。なんと適当な。
目頭を抑えたシューサクに何て事もないと主張するようにコモリはふわふわと黒髪に指先を絡ませて告げる。
「分かんなくても何とか、やれてるし。悠々自適な生活だし」
「なんて適当な」
「ふふ。もうね、何年になるかなー。十年とか?暫くこんな状態だから。哀しむのも嘆くのも。最初の方で疲れちゃったのよ」
物憂げな幽霊に続こうとした突っ込みの言葉も引っ込んだ。シューサクは歯ブラシを咥えたまま沈黙する。原因も分からないまま突然幽霊、だなんて。考えてみれば複雑な人生である。否、今では幽霊生か。
目を伏せたシューサクに、焦ったようにコモリの明るい取り繕うような声。
「気にしないでー。焦ったのは本当に始めだけだったのよ。だってオタクだって事、親には秘密だったし。パソコンのデータとか同人誌とかどうしようかと」
らしい、言葉。若干大げさな身振りが入ったがそのフォローに笑みがこぼれる。優しい言葉。思いやりのできる幽霊。ひとまずうがいをして向き直りシューサクは平生通り突っ込みを入れた。
「全く。ぶち壊しですね。一気に気が抜けました」
「え、酷いのよー」
そんなものでしょう?って愛らしく彼女は首を傾げる。その可愛さに複雑だった思考がどこか逃げていき、残るは告げるべき来訪者の事実のみ。
「今日、コモリさんに会いたいって人が此処に来るんです。見えるかどうかは分かりませんが、会ってもらえますか」
案の定、コモリは爛々とした瞳で食いついた。
誰なの、と話に聞くだけだった彼女のおかずが飛び込んでくるのだ。嘘は良くないとシューサクは正直に明かす。友人の、うん、バイの、あああ、と。何だか一層喜色ばんだ彼女の頬は体温がないにも関わらず薄桃色に染まっている。
「攻め!」
「やめませんか」
受け答えもいつものことだった。それだけじゃないけど、と宙で遊んでいた肢体がくるりと方向転換。床に、人間のように降り立って、シューサクを中腰に上目遣いで見つめる。
「うれしいのよ」
「嬉しい?」
「うん、だって、今までの人は怖がるばかりで。こんなにも仲良くなることって無かったから」
十年かけて芽吹いた幸運ねと重ねられた唇は、透けていて。感覚は勿論無かったが離れた途端に合った菫色で、何を、されたか理解できてしまう。次いで言ってしまえばシューサクは呆然と何も抵抗することは無かったけれど、健常な青年の身体を害するには十分な衝撃だった。
赤面する頬を抑え、急ぎ鞄を背負って行ってきます、と背を向ける青年。外まで出たところで振り返ると桜の木の傍のこじんまりとした二階のベランダから手を振る小柄な姿。微かに振り返してシューサクは歩を進めた。
頬の赤みはまだ引かない。


大学のキャンパスはいつだって騒がしく姦しい。そこかしこに人間の群ができてグループを作り出す。シューサクは、シューサク含め彼の友人たちは本当に。自由に動き回るから群れを作ることだとか、そんなことに利点を感じないのだけれど―会話相手が居るという事はごく稀に救いになることもあるらしい。
今日は、まさにそれだったようだ。
恋して居るみたいだね、なんて揶揄の声は心臓に悪い。顔の熱はとっくに引いたはずだったのに思わず身構えてしまったシューサクに、彼は「あ、図星?」なんてへらへらと笑いながらシューサクの隣に寝転がる。
「講義始まるぞ、友人」
「知ってるよ。でも、少し眠くてさー」
うだうだと顔を上げようとしない彼の怠惰加減に呆れがさして、ノートは貸してやらんぞと冷たく言い放つ薄い唇。この合間蹂躙された唇の柔らかさ、はすっかり忘れてしまったかのようにバイの友人の隣で言葉を紡ぐ。
不意に、見つけた違和感。
彼から。目を瞬かせてシューサクはその正体の片鱗を見つける。うなじに咲いた紅い花。転々と、しかし執拗に。誇示するかのように吸いついた白い肌。
溜息は一度。今の相手はそんなにも、独占力が強いのかとと何気なく(勿論嫌味のつもりで)シューサクが零せば友人は顔を少しだけシューサクに傾けてうっすらと艶やかに笑んだ。
「うんにゃ」
「ん?相手じゃないのか?」
「ん、昨夜のは。お金くれるオトーサン」
息を飲む。驚いた?と鼓膜を抜ける響く枯れた声。射抜かれるような視線。荒んだ瞳の色。
こんな奴の友達やめたい?と続けて問われる声は空っぽだった。鮮烈に網膜を焼く太陽の色。沢山ピアスの開いた耳をなぞって、シューサクは目をゆっくりと細め彼のオレンジ色の頭を撫でる。
「別に」
「そっか」
本当に、と問う声無き問いに応えるようにシューサクは髪を梳く。
「だってお前は僕を笑わなかったから」
だからお前は僕の友達だ、と澄まして答えた横顔に嬉しそうな音が落ちる。ありがと、とあぶくに溶けるような声に彼は人魚姫のようだな―なんてロマンチックな詮無きことをシューサクは想った。


お土産は用意してるよと軽いうたうような声が降り注ぐ。ならば僕に何か買えと背中からせっつく近所のコンビニ。夕方の早い時間帯にはまだ店内の客は少ない。尚更目立つのだろう―レジの青年は目つきも悪くシューサクと友人の遣り取りを胡散臭げに見詰めていた。視線が突き刺さるようで、痛い。悪巫山戯も大概にするかと無言で菓子を籠に突っ込む。友人の微かな悲鳴。
あの後一時限を終え、部室(シューサクとバイの友人は映画探訪会、というお気楽サークルに所属している)にそろそろと移動した身体は奥のソファを占領して横になった。寂れたサークルだからそんな行動もまま別に良いのだろうが、数少ない先輩が来た瞬間にはさすがにシューサクも肝を冷やした。友人は健やかに眠ったまま動かない。尤もそんな杞憂など露知らず、来た彼らの先輩は「最近映画見た?」「ああ、ええとこのアクションものを」「いいよね」ぐらいの会話しかシューサクと交わさず、黙々と本を読んでいた。
終には出て行く際に奥を一度だけ見つめると。「お疲れさんだね。お大事に」と颯爽と去って行ってしまったのだが。
冷や冷やしたよと正直に伝えたシューサクにバイの友人はどこ吹く風。ああその先輩ならよく話すからよくして貰ってる気にすんな、と返事したのみだった。
そして帰り道。どうせなら酒盛りしようぜと買い込んだお菓子と缶チューハイ。一、二本飲んだら帰るしさと口ずさむ彼を前に本当かなと頭を抱えずにはいられない。
「ヤダー。疑ってんの?シューサクったら」
「まあ、ええと。君はザルだから大丈夫そうだとは思うけど」
「分かってんじゃん。ままそういうこって」
冷蔵庫の中身まで洗いざらい聞き出して今日は鍋だなとぼやく形の良い唇。血色は朝に比べれば良くなった方だが。
シューサクは彼の背中を見つめる。
薄い身体。骨が浮き出ている背中。真っ白な肌。髪を際限無く痛めた見目。
不意に彼はどうして、という考えがシューサクの頭をよぎる。

どうして彼は、こんなにも平凡なシューサクに良くしてくれるのだろうか。

コンビニより徒歩三分。
四月当初から変わらない襤褸アパートの外観。見つめる先には葉っぱを見事緑色に染めあげた新緑の桜。見事なもんだなあと声が伸びやかにうたう様を聞きながらシューサクは階段を昇っていく。踊り場から数えて三つ。ちょうど真ん中の扉がシューサクの部屋、なのだが。
その扉のノブに大きなビニール袋がお腹を膨らませてぶら下がっていた。
「何だそれ」
「白菜と、ネギ」
「おおお!すげーじゃん」
きっと此処にこれをかけたのは大家の人の良い彼女だろうけど。
千里眼か、と密やかにシューサクは突っ込み鍵を取り出して解錠した。

おかえりなさいなのよ、と声。ふわふわと浮く少女の姿。

朝のまま見目麗しい彼女にただいまと声をかける。バイの友人は扉に鍵をかけて、室内の現状に目を見張った。そこには同居人であるコモリが、いて。
視線が、菫色と、確かに交わる。
「お、おお」
「ん?この子がそうなのよ?シューサクくん」
「そうですね」
「めっっっっっちゃかわいい!うらやましいなシューサク!」
最後は間抜けな雄叫びだった。
「残念ながら声は聞こえないな!でも可愛いなー!」
「声聞こえないのはきっと幸いですよ」
「なにその言い方!」
こんなに可愛いのになあと指先がさりげなくコモリに向かって伸ばされる。一度大きく跳ねた細い方。菫色が、戸惑うようにしてシューサクを見た。
そんな縋るような瞳で見ないでほしい、と思いながらシューサクは、とって食いはしませんよと幼子をあやすように言う。動物の取り扱い注意的な言霊に気まずそうに目を伏せるシューサク。待ての雰囲気を感じ取って動きを止める友人。宙のコモリ。
膠着状態。
けれど、その言葉は徐々に彼女に、染み渡ったようで。
彼女からそっと、透ける指、が伸ばされた。感触は無いものの、シューサクの視線の先で確かに絡み合って。
唇を読みやすいようにだろうか。区切って、彼女が挨拶をする。
「あたし、コモリ。シューサクくんがお世話になってます。仲良くしてね」
瞳は微かに潤んで、無垢な少女のようだった。



20131215


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