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どうだった、と扉を潜った途端子犬のように纏わりついてきた透けた身体にシューサクより苦笑は一つ。

「イケメンでした」

でしょうでしょう!惚れちゃった?と豊満な胸を張りコモリは長い裾でにやける口元を覆い隠す。
なんか爛れた考えが隠し切れていませんよ、と無駄足になるのは分かっていながらも口にして、シューサクは部屋の真ん中に座り一息吐いた。どこかしこ、コモリの従兄弟と行く先には視線の群。集まる熱、その中で涼しい顔をしてシューサクを甘やかすのだからたまったものではない。
心労が確かに積み重なる。
際限無き悪意。美に魅了された人間は隣を妬み、対象は平凡ときたものだ。その剥き出しの感情は、頗る性質が悪い。特に彼のせいにするつもりは無かったけれど、シューサクは根っこからもう。くたくただった。
社会人だからと全て奢られてしまったし、となけなしの男のプライドさえも踏み躙られた気分だ、なんて小さくぼやく。たかが妹分の同居人にしては、優遇し過ぎてはいやしないだろうか。社会人の知り合いなんてそんなに居るものでは無いからシューサクには基準が分からない。
否、それとも。
そんなにもこの少女が大切と言うことか、と彼は楽しげに宙に浮くコモリを見つめる。
勿論それだけでなく、従兄弟の彼自身がシューサク個人を気に入ったという現実があるのだが、過剰なスキンシップは未だ流れる血のせいかと信じて止まないどこか惚けた脳味噌を持つ平凡な見目。好意には頗る鈍い。
ぐたり、とそのまま畳に頬を押しつけて横になる。
「シューサクくん、風邪引いちゃうのよー」
と言いながら指折り笑顔のコモリ。この調子だと彼女の中では新たな愛憎相関図の一頁が作られたことだろう。シューサクが引き攣った表情を作れば、そんなに見境無いわけじゃないのよー、ときゃらきゃらと幽霊は愛らしく笑った。長い睫を無垢な乙女のように瞬かせ、飛び出すのはシューサクに対する誉め言葉ばかり。大きい瞳から星が飛び散る。蛍光灯と相俟って眩しげにシューサクの瞬きは連なって。
「あにちゃんはね。見た目もかっこよくて、非の打ち所が全く無いの。凄いイケメンだし勿論既婚者」
「それは、凄いですね」
まま確かに、と目を閉じたままシューサクは応じる。ブランドやファッションに疎いシューサクの目でも一目で分かる、高価な仕立てのスーツ。居酒屋の椅子に引っかけておくことすらひやひやさせられた銀色に輝くカフス。使い勝手の良さそうな革の鞄。本人は全くの無頓着だというのだから全く以て恐ろしい。
思わずハンガー片手に、かけますから貸して下さいと似合わない進言をしてしまった程。その際に、シューサクくんは優しいなあと、またうつくしい微笑み。正直心臓が保たない。
「自慢のあにちゃんなのよ」
不意に瞼越しにも分かりやすく蛍光灯の光を遮った気配。恐る恐る目を開ければふわふわとタオルを浮かして視線の先、シューサクの目に光が直接当たらないよう調整する幽霊の姿。物を浮かせるなんて幽霊っぽいこと出来たんですねと溜息と嘆息も程々に、シューサクは安堵の息を吐いた。

「なんでそんな血筋からコモリさんみたいな難しい人が、」

そしてうっかりと口を滑らせる。
平凡な見目の恩恵とでもいえば良いだろうか、―空気や他人の感情を読むことに長けて居る筈の、気を抜いたゆえの平生では致さない凡ミス。聞き様によっては勿論非難に聞こえただろう。急ぎ、コモリの顔色を窺うが彼女はにっこりと微笑むばかり。
彼女の兄と、よく似た笑い方で。害した色を見せず、うつくしく、煌めくばかり。
「その通り。私も見た目は恵まれてるんだけどねー。中身は残念になっちゃった」
変なことを言わせてしまった、と一匙の後悔は苦々しくシューサクの喉元を通り越していく。眉根を寄せた彼の額をゆっくりと実体の無い指先が辿った。触れていないのに、自然解れてくるような心地の良さにシューサクは息を止める。少女は怒ってはいなかった。ただ、悲しげに菫色の瞳を歪めて。
「生きていたら、もっと、矯正の余地もあったんだろうな」
寂しげにただコモリは囀った。籠に閉じ込められた小鳥のように。


結局その後、シューサクは謝ることも出来ずに最後の失言に関する―コモリの生死だったり、そんな―重要なことを雰囲気で聞きそびれたまま次の日を迎えてしまった。
溜息は呼吸するように体から吹き出して辺りの空気を重くさせる。眉間に皺を寄せ教授が来るまでの合間一人、平凡が机に伏せっていたところで、後頭部に軽い衝撃が一回。振り返ればバイの友人のオレンジ頭。変わらず華々しい笑顔で差し出されたブリックパックを胡乱な瞳でシューサクが見つめれば、奢り、と軽い声が返る。
はて、彼に貸しはあっただろうか。
目を瞬かせれば、苦笑混じりの声がうたう。
損得で動くことが友情では無いでしょうと当たり前のことのように。

「お前、なんかすげえ最悪なタイプの男に掘られたような顔してるから」

冗談にしては、質が悪い。尚且つ、彼が呟けば実体を伴った悪い響きがする。無言のまま封を切り、ずびずびと嚥下する茶色の液体。珈琲牛乳百円。あのバイト先で出すものとは大違いの人工的な甘さが広がった。量産品らしい甘い風味が咥内を蹂躙する。しかしその甘さは今のこんがらがった思考回路には癖になりそうだとシューサクは身を起こして。
「友人殿」
「何だよシューサク殿」
「過剰なスキンシップとは遺伝子レベルで伝播するものか?」
なにをいきなり、と訝しげに表情を歪ませた彼にシューサクは昨日のコモリの従兄との邂逅を話して聞かせる。
大層美形だったこと、夕飯を奢ってもらったこと、口ではないとはいえ―キスされたこと。男女分け隔て無く身体を開く軽薄な美の答えは至ってシンプルだった。
「うんにゃ、違うだろ。例えばオレはこんなんだけど。姉貴はスゲー真面目のかちかち人間。潔癖。無垢で、いつまでたっても処女みたいな反応」
肉親を表すにしては露骨な物言いに絶句。ずるるとヨーグルト飲料のブリックパックを飲みながらはふ、と彼は一息吐いた。
周りの視線はこちらに向いている。
また。良くも悪くも人は、と同じ事を思えども授業開始直前だからか、さしてその視線は気にならなかった。直接攻撃する機会はこんな隙間の時間には無いだろうと高を踏んで居るためだろうか。だとすれば、シューサクという人間もだいぶ感覚が鈍っているのだろうと思う。
バイの友人の姉は既に結婚していて、二児の出産も間近だとのこと。年の近い姉は、真面目過ぎて彼が心配になるくらい男っ気が無かったとのこと。遺伝子レベルに於ける過剰なスキンシップの伝播はあるのかというシューサクの質問に淡々といやらしく白い液体を飲み込んで舌が回る。
「きっとそれは単にシューサクが好みだったっていう話じゃねえの」
気味が悪いことを言わないで頂きたい。
げんなりと、ストローを放してへの字に曲げたシューサクの唇に、するりと調えられた彼の指が這った。
「たとえば、こんな、風にさ」
「うん」
彼の指先がふにふにと唇を押して形全体をなぞりそっと咥内に爪が入り込んだ。口の中は今甘いんだけど、と何も言わずシューサクは好きにさせる。バイの友人も見目通りの馬鹿では無い。何かしらの結論を言いたくて、こんな方法をこちらに示しているのだろうとシューサクは動作の一つ一つを見逃すことの無い様、目を開いてなされるがまま。
「オレがお前を誘うとする」
「うん」
「分からなけりゃこんな風に露骨に誘うだろ。後はその人みたいにキスとか」
「そうなのか?」
惚けた口調。反応も、こんな鈍けりゃなと茫洋と思考し友人は周囲に見せつけるようには暫くその唇の柔らかさを指先で堪能する。視線が集まっていることなどとうに知っていた。後で、シューサクが変に絡まれないようにと釘をさりげなく刺していく。生きていく上で得た手練手管。いやらしい夜の手法。持てる武器を総動員して、牙を剥く。ゆったりと彼は微笑んで。
そんな友人の気遣いは露知らず。不意にぼんやりとした制止の声が響く。この状況誤解されそうだからやめないか、なんて平凡の感想。
遅いっての、と沸き上がる愉悦を隠し切れない発色の良い美。うつくしい端正な顔に笑みを思い切り張り付けて瞳を歪めた。薄い唇を終いにとふやりと押して一度は手元に指を戻す。
「まあそういうこと、なんだけど。それとは別に、その同居人さんのおにいさん?は浮気しそうなタイプでは無さそうだし。単に女子がべたべたするようなあれじゃね。気にすることはねえって。同居人さんもべたべたするようなタイプなら尚更だ」
「確かに言われてみれば、べたべたするタイプだな。そうか、そういうことか」
他人との距離感が掴めない、的な―なるほどなるほど、と声がほんわりと空気に溶けていく。他にも何か悩みを抱えて居そうだなと友人は訊ねる代わりに、シューサクの愛想のない猫っ毛をかき混ぜる。
梳く指が、綺麗だと誉められたのは情事の時だ。そして商売だとか友好関係だとか関係も何も無く、衒いもなく。顔よりも先に指が綺麗だと、シューサクが初対面でバイの友人に言ったのは稀有な記憶。そんなことを言い切ったのは近しいものの中でただの二つしかない。一つは勿論、目の前のシューサクだったと記憶を愛おしむように慈しみの視線。
口から飛び出すのはただ単に軽い声。
「あ、そうだ。今度その同居人くん?ちゃん?可愛いんだろ?紹介してよ」
「え」
鳩に豆鉄砲。そんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。シューサクの真ん丸な視界で太陽の色彩がにっこりと笑む。
「バイト先紹介したじゃん。採用決まったってオレ、マスターに聞いたし」
「そっか。まあ、…いいけど」
迷いは束の間。果たして友人にコモリは見えるのだろうかとシューサクの躊躇いは一瞬。
悩むなんて柄ではない。投げるなら変化のないストレート。
ややあって、

「君、霊感ってある?」

シューサクの最善たる、間抜けな問いだった。何とも阿呆な。それでも紡がずには居られなかった心地の彼に呵々と笑い声は一度。
「何それ、出んの?」
「うん、」
というよりも。

「同居人がその類で。幽霊なんだけど」

ぶふっ、と勢い良くシューサクの言葉を受けて友人は液体を飲み込んで噎せた。その背中をさすっている内に講義開始の鐘が鳴る。咳込む細い背中。薄い感慨。大丈夫かと訊ねる教授の声。集まる視線。密度の濃い様に、シューサクは眉尻を下げて応えた。大丈夫です、と。空気は依然変わらないまま。


20131208


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