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その無表情が面白いと言われたのは家族以外には初めてだったようにシューサクは思う。ただ受け入れられたこの状況に密やかに困惑する。勿論表に出しはしないけれど、そんな心境を読み取ったように《彼女》は呵々と笑んだ。
履歴書を持って友人の紹介で、と面接に訪ねたシューサクを迎い入れたのは異国の空気。どこか懐かしい一面を孕んだレトロなカフェ。壁一面に珈琲の豆が並び、柔らかい光を纏った店内がするりと心に入り込む。カウンターに立っていたのは刺青が這う素肌。ピアスが沢山空いた耳を持ち、惜しげも無く胸元を晒す妙齢の女性だった。そんな中にいやらしさを全く感じないのは、彼女の人柄が表れているということだろうか―シューサクは履歴書を見詰める彼女の目の前で縮こまって俯く。沈黙は暫し。開店前のカフェは静謐な空気を以てして彼の行く末を見守っていた。
店長、である彼女の身体に刻まれた皺の深さに、己より長い時間彼女が生きてきたことを噛み砕くように青年は知る。問いは短いものだった。好き嫌いは無いか、今までこういった仕事はしてきているか、人は好きか。答えは順番に、ノー、ノー、イエスだった。まだ微妙な応対であると窺いながらシューサクは途方に暮れる。
もしシューサクが雇う側であるのなら、絶対にこんな人間雇わないだろうと断言できるようなこの愛想の無さったら。
「んんん、まあ悪くはないな」
さすがはあれの紹介なだけある、と彼女は漏らす。独り言、のようなものだろう。斯くしてシューサクは返事しない。世の中には、腐女子の幽霊以上に見目と中身がとちぐはぐに出来ている人が居る。
彼女は煙草の煙とアルコールで嗄れた声を無理矢理動かしてシューサクの一切の思考を笑ったようだった。若者の初々しさよと低く謳うように微笑んで。
「よし合格、宜しくなシューサク」
と、決断を下した。目を丸くする彼の前で、マスターと呼んで貰おうかと彼女が畏まって言ったものだから、シューサクは終いには吹き出してそれから。彼女に軽く小突かれた。軽く、にしてはじんじんと痛む後頭部を抑えていると―早速、と教えられたのは簡単なラテアート。家で練習してこいと簡単に言い放たれたそれに、なるほど、と彼は頷く。
目を楽しませるものには店員の時間と労力がいることを痛感した。幸いなのは直ぐに出来なくても勿論良いからゆっくり学んでけと言った彼女の大人の優しさか。



以上のようにバイト先もクラスメイトの計らいにより滞り無く決まって、一息吐いていた頃だった。
「ねー。お願いがあるのよ」
上目遣いでしなを作った美少女が、課題をやっていた机から生えるようにしてシューサクを見上げている。一見すれば異様な光景だが、彼女は幽霊なのでいっそ常識的ともいえるこのおねだりの仕方。若々しく無防備に向けられた胸元が変わらず眩しい。美人は三日で飽きると言うが、彼女の無防備さに関しては二ヶ月経った今でも慣れることは無いとシューサクは嘆息をゆるりと吐いて。
「なんですか」
無視も可哀想だろうと短い返事を発せば

「通販で薄い本買って欲しいな」

とコモリらしい、揺るがない欲求。
薄い本、と包まない声色に呆れを滲ませて肝心な部分を訊ねる。
「お金は?」
「私の従兄弟に連絡してくれればお金は出るのよ」
本当にこの幽霊は抜け目がない。というか肉親が居たのかと驚き半分、彼女の存在を見知っているような存在が―本当に?という疑い半分で彼女より教えて貰った電話番号にシューサクは電話する。呼び出し音は三回。
第一印象は良い声、の男性。支えながら
「コモリさんの、」
言えばその短い声色で全てを察したらしい。ふふ、と優しげに笑んだ様子に頬を染める。何だか照れさせるような、そんな労りの声。
『うちの可愛い妹分がごめんね』
と彼は一頻り爽やかに笑った後に、いくらぶん、と訊ねてきた。シューサクが視線でコモリを見遣れば立てられた指は三本。その旨を彼に伝えれば、さらりと彼は『三万か』と一人暮らしには驚きの値段を口遊み、振り込みの口座等義務的な諸々を口にする。いや、待って欲しい。シューサクだって一人暮らしをする大学生だ。譲れないところがある。
況してや初対面。怖いことだって。
「あの、銀行口座、とかは」
『ああ、そうか。君からしたら俺はまだ知らない人、だものね』
彼はシューサクの用心深さに頷き、こんな世の中だものね、と電話口で優しく声を溶かした。何だか疑うことも申し訳ないような反応だったけれど、世の中には何があるか分からない。ゆっくりとすみません、と述べると簡単に次の方法が示された。
『じゃあ、直接会おうか。何時が暇かな?』
コモリの従兄弟。宙に浮かぶ見目麗しい彼女が、あにちゃん、と電話口の近くで囁く。その親しげな様子と喜色を讃えた瞳を横目に、明日、とシューサクが暇な日取りを伝えれば。彼は仕事を定時で切り上げるからと言い於いて、ボロアパートより最寄りの駅前に十八時と指定した。是非も無し。シューサクは頷いて礼を述べ電話を切り上げようとする。
この数分の合間に金銭感覚が崩壊してしまいそうだった。
三万円とか、大金じゃないのだろうか。
『まあ夏とか冬に比べたらね』
夏や冬はもっと多いのか。
彼はシューサクの複雑な心境を悟ったらしく、くすくすと電話の向こうで笑ってこう、締め括る。
『今回はいい人に今回は恵まれたようで良かった。コモリを、宜しくね』
鼓膜を擽る低く、優しい声に。電話を切った後も暫く動けないで居るとコモリがふにゃんと笑う。
「良い声でしょう!きっと、直接会ったら惚れちゃうのよ」
「それだけは断じて無いからネタにするのは勘弁してくださいね」
顔を引き攣らせて釘を刺すようにシューサクが言えば、幽霊はどこ吹く風。返事はせず、はにかんだ微笑みを讃えて、透けた腕をふわりと首に絡み付かせる。
「ありがとなのよ」
「別に良いですよ」
「ふふふ。シューサクくん大好き」
「はいはい」
この性格には完全に馴らされてしまったなと噛みしめるようにシューサクは目を閉じる。山盛りの課題を前にして囲われるように回された透けた腕。はじめこそ振り払って眉根を寄せていた動作も、今や動揺を彼女に見せることもない。暗闇で彼女がシューサクの友人たちの名前を使って愛憎眩しい相関図を描くことも慣れてしまった―寧ろこんな思考回路なのかと目を剥くことも多くなった。驚きと発見と。決して彼女の思うようには現実はならないけれど。
ジャージに包まれた細腕。浮かぶ様子に、コモリは間違うこと無き幽霊で女の子なのだなあと惚ける彼は決して非日常を歩む変態などでは無いと主張したい。たとえこの状況に慣れてしまったとしても。
なんて、尤もそんな主張、誰も聞かないとは思うけれど。


シューサクは一昨日の出来事をそんな様に振り返りながら、締め括りの言葉を茫洋思考する。現実逃避も甚だしい。
目の前にはスーツをしっかりと着こなした麗人の姿。見目の麗しさはこうも親類へと伝播するものなのだろうか。落ち着いた声は周囲の異性―に限らず同性の鼓膜をも惹き、視線は先ほどからこのテーブルに釘付けだった。
出来得ることなら、一刻も早く、此処から逃げ出したい。
同時に突き刺さる嫉妬の視線に、平凡を固めた見目を持つシューサクは俯く。こんなにも、突き刺さる悪意は久しぶりだった。まるで幼子のような識別方法。美しさというものは別け隔てなく人を狂わせるのだろうか。
コモリの従兄弟です。短く紹介の挨拶は程々に、お茶しない?と小首を傾げる姿は少女にそっくりだった。図らずも。だからこそ頷いてしまったのだろう。全く愚かなこと、と三十分前の自分を殴ってやりたい気分だった。

「おにいさん」

「うん?俺ばかり喋ってしまったかな?」
「いや、その、帰りたいのですけれど」
主に視線が怖いので。
主に貴方が眩しいので。
そんな言葉を飲み込んで、控えめに進言すれば。
「何か用事でも?」
空かさず問う声。
「いえ、」
そこで嘘の一つでも言えれば世の中もう少し上手く渡っていけるだろうとシューサクは後悔する。
「じゃあ良いね。周りはスルーする方が吉だよ」
ひきつり笑い一つ。こんな視線に慣れているのか、対応が酷く大人だった。凡人には耐えられないんですけど、と小さく抗議の声を上げれば畳み掛けるように彼より一言。
「一人暮らしなんだよね。夕飯奢ってあげるから、どこかにご飯食べに行こうか。これも何かのご縁だと思って甘えてね」
いや確かにそうですけれど。魅力的なお誘いですけれど!
ゆったりと微笑む笑顔は百万ドル、なんてそんな巫山戯たキャッチコピーがシューサクの脳裏に浮かぶ。分かり易くちらつかされた食物の気配に一人暮らしの習性がすっかりと身に付いた彼は降参して、両手を挙げた。もうどうにでもして下さい、紡げば彼は酷くうつくしく、満足気に微笑む。それで宜しいと引き寄せられ額に口付けられた。悲鳴は一回。
はて、過度のスキンシップも遺伝子レベルで伝播するのだろうか。
殊更突き刺さる視線に見ぬ振りをしながら、今度雑学を多く知るバイの友人に見えた際に訊ねようとシューサクは心に決めた。


20131128


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