03



かりかりの表面、ふわっとちぎれてほのかな甘みが舌に乗り、すっと消えていく。あっという間の食感に夢中になって、べべが次から次へと頬ばればいつの間にか大皿に乗せていた五枚が消えていた。
漂流物干物工場ミズクラゲ科、午後三時、小休憩の頃合。
ここ一ヶ月で山盛りになった失敗作。、べべ作のミズクラゲを、簡単に休憩室で調理して食べたのだが、これはまた。わたあめのような、焼きマシュマロのような、マカロンやカルメ焼きのような。甘く口の中解け癒してくれるような愛しさにもっともっとと喉が鳴き叫ぶ。
はむはむぺろり、ごくり。

「あれ?」

あんなに山盛りにしてあったのに、と首を傾ければ同じようにのんびりとミズクラゲを焼いたものに箸を刺していたちぃから視線が降り注ぐ。彼女の食欲に、
「あれ、じゃないですよ。全部自分で食べたんでしょうが」
呆れたようにハリネズミの細い声。つんつんとした彩にそうか、と思い直してべべは傾けた首を元に戻した。
真横に立っていた冷蔵庫、のような機械の先輩に空の皿を掲げる。
「ノーチェ先輩、もう少し」
おかわり、と幼く響く。
調理担当はノーチェ。先人達が叩き込んだミズクラゲレシピがその脳内にはたっぷりと詰まっている。
一番シンプルで、一番美味しいらしいです、と彼が銘打ったものは確かに。焼いただけなのだがいたくべべの舌に合った。もう一枚、もうちょっと、駄々こねべべを前にして、困ったように機械が声を顰める。
「べべさん。しかしこれ以上はさすがに」
「……俺の一枚やるから、我儘言わないで下さい」
横からちぃが自分のものより一枚。差し出しながら一言ちくりと針を刺す。
「大体分かってますか?全部あんたが失敗したから製品にはならず、こうして俺達の腹の中に入れるしか無いってこと」
「分かってるよー。でも、美味しくて」
「甘えですよ。そろそろ入って一ヶ月。このまま十枚中一枚失敗しているようじゃ給料から天引きされます」
もぐもぐもぐ、と口を動かしながらべべをじとりと睨みつつちぃは唸る。
ミズクラゲ一枚三万円。驚きの値段を言われたのはついこの間だった。その三万円を作り出す掌なのだと、ちぃの小さな手を見詰めたことはべべの記憶に新しい。
溜息が一つ二つ。重く圧し掛かって、ただでさえ猫背のべべの背中を小さくする。
「この一ヶ月付きっ切りで俺達が教えたのに失敗が出るとか。飲み込み遅いですよ、べべ」
「ちぃさん、その言い方は、」
ノーチェが諌めたが遅かった。確実な一言が、ぐさりとべべの心を抉る。
それは諦観、失望、べべの嫌いな感情だった。

「私だって好きで失敗してるわけじゃないもん」

ぼそり、とミズクラゲを置いて彼女が言えば、ちぃは頭に来たのか目を細める。
「ああそうかよ。でも、これは仕事だからな」
本来なら失敗すんなよって話、と淡々と言う横顔に、ぶわり、とべべの目に涙が浮かんだ。ーーちぃは当たり前のことを言っている。品物を作る仕事なのだから、余りにも失敗し過ぎると給料から引かれるなんて、工場で働く人間としては常識のようなこと。一枚三万円もする高級な品なのだし当たり前の言葉なのだけれど、何だか今日、べべの調子は余り良くなくて。
それ以上言い返す元気も、素直に受け取るような心の強さも微塵も残っては居なかった。
といれ、と誤魔化すようにべべは席を立つ。
誰も止めることは無い。辛うじてノーチェが目をぐりぐりと動かしてべべを労わるように、声を、かけてくれようとしたけれど。べべは先に背中を向けてしまった。



こんな行動捻くれて、ばたばた床で暴れる子供と変わらないな、とべべは鼻水すすりながら思う。
少し薄汚れた白いスニーカーで長い廊下を歩む。とん、とん、とん、と情けない足音。心がぽっきり折れそうだった。流されるがままに生きているからこそ、べべは痛いところを突かれると直ぐに嫌になる。昔からの癖だった。駄目な癖だ、分かっている。べべはずずびと鼻水をすすった。今回も出てしまったな、と心中で情けなく思考する。
トイレはミズクラゲ科の入り口にある鉄格子を横に折れれば直ぐにあった。でも今日は、少しだけ遠くに行きたくて、ミズクラゲ科より一番遠くのトイレに足が向く。

「げ」

そしてそんな時ほど嫌な人間に遭遇しやすいものだった。
もじゃもじゃ頭の鳥が、べべの目の前で煙草片手に眉間に皺を寄せる。胡乱に、嫌そうに視線が宙をさ迷った。
そんなに嫌いなら見えない振りをすればいいのに。そう思いながらもべべは隣をすり抜けようと横に寄る。
しかし狭い廊下のこと。
確りと、直ぐに捕まってしまった。服をぐい、と捕まれて足が空回る。
「あによ、先輩」
蛙が潰れたような声でべべが答えれば、尚彼の眉間に皺が寄った。
「どこ行くんだ、おとろし」
おとろし。神社の鳥居の上に乗っかっている生首。一度だけ見せてもらった絵が鳩を食べそうな険しい顔をしていたのを思い出して、そんな未だに意地悪なことを言うのだとべべは嫌になった。
妖怪の名前があだなって、立派ないじめだと捻くれたことを思う。
「トイレよ」
「そんな顔でか。素材良くねえのにその顔、余計に不細工に見えるぞ」
もう、うるさい、だから、おこんないでよ、そんな怖い顔で。そんなことを拙く言った気がする。切らした息を整えて、べべは俯いたまま自分のつま先を見詰めた。灰色に汚れたゴム、何かの液体を零した真っ白なスニーカーは黄色く変色している。見ていたら余計に悲しくなってきた。
不細工で仕事もできなくて、だから、ちょっと逃げてしまいたい。
叶うならば、仕事を辞めたい。
いつものように、辛いなと眉根を寄せる。早く帰りたい。
少しの沈黙。べべの肩が震えそうになった頃、跳ねっ毛を纏めていた頭、それを、髪型を整えていたゴムごと鳥の掌が掻き混ぜた。
「とりせんぱい、ぃ、」
情けない声だ。べべが名前を呼べば鳥が笑う。
「行くな。大方ちぃと何かあったんだろ」
「うるさい」
「どうせ正論でも言われたんだろ」
「うるさいよ」
放って置いてよ、ますます決壊しそうな泣き声で言えば。
「放って置けるか馬鹿」
舌打ちと共にそんな言葉を投げられ、急ぎ足で彼の身体がミズクラゲ科の鉄格子を押す。顔をひょっこりと中に差し入れて、ちょっと出てくるぞマル、って。
丸丘のことかなとべべはあの豊満なまん丸の体を思い出す。達磨みたいにふくよかな身体。中に幸せの詰まったような。
「ほれ行くぞ。トイレ、一番遠いとこまで行くんだろ」
モチさんが後でうるさいから一人で行かせない、とふいと直ぐに振り返りそっぽ向いたせいでべべには鳥の表情が窺い知れない。でも。なんとなく。一緒についてきてくれるということに、少しだけべべは安堵した。泣きそうな時に一人になるのが嫌だった。だからこそ。
「別に鳥先輩が、来なくてもいいのに」
一人じゃないんだ、良かった。そんな可愛い一言は口には出さないけれど。
とぼとぼと彼の後姿を見ながら歩く。涙を堪えながら。彼が慰めてくれないことなんて知っているから。泣き言は言わなかった。
社会人だし、と思って首を振る。ーー嫌な奴に弱いところを見せたくなかった、だけだった。べべの意地。
無言でべべと鳥は長い廊下を歩む。様々な扉を構えた科の目の前、視線を微かに感じたけど、一切を気にすることなく歩き続けた。
遠いトイレ、はミズクラゲ科と正反対、三十分ほど歩いたところにある。
入り口に程近いトイレだった。
帰る事だって可能なのに。
逃げ出す事だって。
その二つが頭を過ぎっていないわけじゃなかった。べべは酷く馬鹿で、逃げることに関しては狡猾だ。
でも。べべは用を足して一粒溢れた涙を拭って直ぐに出る。鳥の薄汚れた青いスニーカーの隣に飛び跳ねるように並び、

「かえる」

と一言。
だって鳥は此処まで一緒についてきたのに、彼が一人で帰るなんて。寂しいじゃない、と言い訳は宙をふわふわとシャボン玉みたいに滑空する。
そうか、と鳥はぼさぼさ頭を揺らして背中を向ける。途中古びた売店に寄って、オイル臭い掌を持つ売り子から受け取ったアイスをべべに渡し、
「糖分足りてねえから、お前は余計に馬鹿になってんだよ」
余計な一言まで付けて、食え、と命じる。
鋭いぎょろぎょろした眼光。本当に、獲物を狙う鷹とかそんな恐ろしい鳥を連想して、普段のべべなら下を向いていたかもしれない。
今は腫らした赤い目をぎろりと不細工に向けてアイスを受け取る。
「今の一言でありがとって言えなくなった。鳥先輩の馬鹿」
「うるせえ。不細工馬鹿」
「うるさい、ピヨピヨ鳥馬鹿」
ばか、ばか、そう子供みたいに言い合っていたら何だか笑えて来た。くすす、とべべが噴き出すと、缶ジュースを五本次いでに買った鳥の背中がアイスを銜えながら、ぽすぽすとスニーカーの踵潰して先を歩む。サイダー味を下で転がしながらべべは後を追う。
「とりせんぱ、」

「お前なんて失敗してなんぼだろ」

べべの声は続かない。
雑音を裂くように、はき、と言う。彼の真っ直ぐな声。
「元々器用じゃねえんだ。そんなとこ突かれたぐらいで泣くなよ。面倒」
な、な、とようやく声が出たべべに覆い被さるように言葉。
「馬鹿みたいに笑って仕事しろよ。ヤスさんがお前を合格って言ったんだから充分に素質はあんだよ。早く慣れろ」
そんだけ、と青いスニーカーが廊下を踏んだ。
あれ、とべべは置いていかれたような気分で目を丸くする。

「ねえ、鳥先輩」今のって、今のって。
ねえ、と何度も耳の奥数秒前を反芻して。

「なぐさめてくれたの?」

答えは鳩尾への拳一発だった。
しっかり力を加減されたそれ、を柔らかい腹で受け止めて、それでも棒アイスは口から落とさずにべべは鳥の後を追う。
「へへえ、ありがと」
「別にうるさい不細工」
「人が素直にお礼言ったら言ったでまたそういうこという!鳥先輩ばか!」
「うるさい調子に乗るなおとろし」
「いい加減そのあだ名」
やめてよ、という前に。べべの耳が変な言葉を捉えた。

「おい墓場から死人どもが来てるぜ」

それは本当に、本当に、小さな声だったけれど、あふれ出た汚濁に声を飲む。言いたいことが、音無く胃袋を通り抜けていった。
そしてそっと、鳥の横に並ぶ。
「鳥先輩、今の何あれ、」
「いい。無視しろ」
彼はそのまま、何も言わなかった。

その後、ミスクラゲ科に戻りちぃに謝罪をして事態が丸く収まったことにより、単純な性格のこと。興味は薄れたのだが、その言葉は静かに、べべの心の端に息ずいていたのだった。



20140804


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