04



立って手を動かしながらも、夢を見ることってあるのだろうかとべべは思う。惚けているだけか、立ったまま眠ってるとかそんなことになっているのか、べべは今の自分がどうしているのか、分からない。
脳裏に鮮やかに浮かんだイメージは白と黒。エンター、リターン、と英語で銘打ってあるものには馬鹿なべべにも見覚えがあった。プラスチック製。パソコンのキーがベルトコンベアをごうんごうんと音立てて流れてくる。
レーンは見渡す限り沢山。その間、何人もの、人間が背中を丸めてベルトコンベアを流れてくる彼らを注視する。その中に、べべの叔父が居た。
「おじさん」
「来たかい」
やあやあ此方に座りなよ、と眼鏡をかけた柔和な顔が隣の空席を指し示してくれる。他の人は隣に誰も空椅子なんて置いていないのに、誂えたように、それはそこにあった。ドーナツ型クッションの置いたそれ。座ればしっくりとべべの尻に馴染む。
べべは、叔父を見るのが久しぶりだった。節くれだった手がベルトコンベアの上をそっとなぞるその姿。
何カ月ぶりだろう。
何年ぶりだろう。
でも不思議なことに、久しぶり、をいう気は起こらなかった。代わりに疑問を口に乗せる。
「ねえおじさん」
「うん」
「ここはおじさんの、職場?」
「うん」
背中を丸めて愛しいというように撫でる。その掌には大きめの、パソコンにおける決定権を握るエンターキー。折れ曲がった形に同僚の、毛づくろいする猫みたいな背中をべべは思い浮かべた。名前は眠子、だったっけ。
「僕はね、目が悪いから」
新入りだけど特別に、大きなものを遣らせてもらっているんだと誇らしげに彼が笑った。そうなの、と流れてくるものをじい、と見詰める。べべの目には全てが欠けも歪みもない完璧なキーに見えた。
けれども柔らかい瞳で隙なく、べべの叔父の掌は動き、一つ一つ丁寧に横に弾いていく。
「それはどこが」
「表面端っこ、指の腹が当たるところが斜めになっている。これはいけない。均一に力が分散されないから。上手く、心地よく、決定権が下せない」
「これはどこが」
「欠けているだろう?少しだけど、ここがかけていると、爪の長い女性が使った場合、引っ掛ける恐れがある。それはいけない」
一つ一つの質問にべべの叔父は丁寧に答えるけれど、どうしてもその欠けがいまいち分からなくてべべは頬を膨らませた。
「わかんない」
「はは、現場の仕事なんてそんなものだ」
お前も現場で新しい仕事をはじめたんだろ、と彼が優しく言う。漂流物干物工場ミズクラゲ科。再就職したことを彼に報告したなんて覚えがべべの中には無かったけれど、その通りなので頷けば、
「こういうのはね、慣れだよ」
べべの叔父の声が柔らかく揺らいだ。
「毎日毎日見詰め合って、真摯に向き合って、はじめて満足いく仕事が出来るんだ」
「でも、いつも怒られてばっか。ちぃさんにもノーチェ先輩にも、鳥先輩にも」
「ああ、鳥くんと」
同じ職場なのか良かったね、と彼は笑んで再びキーを持上げた。今度のものは分かりやすく、半分溶けている。ここまではいかんなあと困ったような声。隙間にききき、と甲高い音が響いたような。
不思議に思ったけれど、工場だから機械の音声かもしれないわね、とノーチェを頭を浮かべてべべは頷く。彼は偶に軋むような作動音を響かせるから。
「今の仕事がそんなに不安なら、ここでやってみるかい」
ぽん、と目の前のベルトコンベアにミズクラゲが現れた。いつも、ノーチェが均等に置くように、でも合間にエンターキー、リターンキーを挟んで順繰り順繰り、ごうんごうんと流れてくる。動きががくん、と遅くなり、隣で叔父が笑う。
「やってごらん」
手を伸ばして水中の花、救うように持ち上げて中心を定め、台に押し付ける。平坦になるように、食べるまで眺めるだけで楽しい気持ちでいられるように。
うつくしいものを、うつくしいままに。
ミズクラゲはぷきゅ、っと音立てて静かに萎んでいった。べべの思う様に花開いて、半透明の円が出来上がる。
これまでになく、綺麗な丸だった。
満ちた月のように、真ん丸だった。
「こんな、綺麗にできたのはじめて、」
熱に魘されたように言えば、エンターキーを見つめながら叔父が言う。
「やったじゃないか。べべの中に育ったものが、きちんと積み重なってる」
「うん」
夢中になって形を整える。ちぃに教えてもらったように、ノーチェに教えてもらったように。
爽快だった。失敗せずに満足のいくものが出来る。そして同時に、少しだけ憂鬱になった。
隣でリターンキーをつつく彼、べべの叔父は
「ねえおじさん、」
今ではそんなに滑らかに、手が、動かない筈だったから。
そんな要素を見詰めて、これは夢なのだと、はっきりと分かってしまう。嫌でも、どうしても。だから現実のべべが、こんなにもうまくミズクラゲを拡げることはできない。分かっている。
憂鬱を誤魔化すように声をかけた。かつて仕事のし過ぎで腱鞘炎になって、今では日常生活に支障を来たすほど右手が動かなくなった叔父。
「手、」
「ん」
「よく動くね」
「うん、カボチャも、助けてくれるしね」
「カボチャって?」
「仕事上の相棒さ」
ここに、いる、と脳味噌指して彼が言う。
その言葉がべべの母やべべの祖母を苦しめたことを、べべは知っていた。頭のおかしい人間だと囁かれた言葉。
でも、べべには、そんな彼が羨ましくもあったのだ。
「へえいいなあ」
おじさんは一人じゃないのねとべべがミズクラゲを拡げながら言うと、彼は笑った。
「べべも、出来るじゃないか」
「何が?」
「仕事っていうのは、誇りだよ。職場の仲間は家族だよ。君も、僕にとってのカボチャと同じように、家族が出来るよ」
「そっか」
そう、なったら良いなあ。ぼやきながら普段とは考えられない素早さで職人の動きをするべべの指。現実でもそうなったら、いいのに、と意識がするりと落ちていく。目の前にはいっぱいのミズクラゲ。そして、横には。
横には。頭をぱかりと押し上げて、そっとキーを見詰める小さな宇宙人と、一緒の叔父の姿。驚きと同時に急激な浮遊感が身体を襲う。体を揺らされる感覚。怒鳴り声、揺らされる脳味噌、掌から力が抜けて、そして。
世界がひっくり返った。

「おい!おい!べべ!」

聞き慣れた声に身体が跳ねる。鈍痛を訴える頭を押し留めて、顔を上げれば、覗き込むちぃの姿。どうしたのと首を傾げれば、どうしたもこうしたも、と彼が訴える。
「あんたの!」
「はい」
「作ったやつ、ここ、一レーン」
行って帰ってきて、ぶつぶつ言いながらなんか、と彼は言って声を絞り出した。
「すげえ、綺麗で」
でもなんか怖くて、声かけても反応しないし、具合悪いのかもって。
そう告げる顔がどんどん険しくなってきてべべは申し訳なくなった。
「ゆめを、見てたの」
おじさんの夢よとべべが伝える声の細さといったら。ちぃは眉根を寄せて、優しく声を柔らかくする。それは彼にしては珍しい、べべははじめて見る弱さ、だった。
「べべ、あんた疲れてるのかも、しれません。ちょっと、休憩行ってくれば」
「え、でも、まだ仕事」
「いいから」
お願いだから、縋るように言われてべべは恐る恐る頷く。そんなにも顔色悪くして頼まれては、何も言えなかった。ただ先程までの残滓を伝えるかのように頭が微かに響く。痛みが残る。休憩室まで付き添ってくれようとするノーチェを押し留めてべべはふらりと地面を蹴った。
それよりもちぃさんの方が重症かもよ、と機械に伝える声もまだ細い。−−私ってこんな声してたかしらと半分夢うつつ。
ずきずき、と。頭が痛む。
ふと、休憩室に向かいながら、べべは叔父がどうしているのか最近聞いていないなと思った。



あれはなんだったんだろう。夢と現実がうっすらと被ったような感覚。綺麗に並んだミズクラゲ。嬉しいけれど、どっと疲れたような心地だった。
「ちぃさんにも心配かけさせちゃったしなー」
物思いに耽る。休憩室で項垂れる貧相なべべの背中に、どん、とぶつかる大きな影。ぐにょんと衝撃を吸収されるような気分。餅村はもう少し固い感触であったように思うので、これは違う人物だな、と思いながら押され押されて不細工に唸る。
「ぐえ」
蛙が潰れたような声を絞り出す馬鹿なべべに尚伸し掛るものは、柔らかく、弾力のあるものだった。
なんなの、と涙目になりながら振り返ろうとして余計に潰される。
べべが何をしたのだと言うのだろうか。
「ちょっとあんた」
邪魔、と頭上から野太い声が低く響く。体格、声の低さ、なんとなくの声の波長で人物のあたりをつけた。
真ん丸お腹の丸丘。
休憩室は狭い。ミズクラゲ科フルメンバーで空間が埋まってしまうのは当たり前のように、次いでそんな場所に調度品が置いてあるものだから、余計に狭くなっているようにべべは思う。そんな中、冷蔵庫の近くで惚けていたべべが悪いのだろうがそれにしたって、
「もう少し、避けてくれても」
それか声をかけてくれても、とべべがぼやくと案の定反論が来た。
「馬鹿じゃないの。あんたこそもっと端っこに居なさいよ。少し小柄だからって調子に乗らないでよね」
いやいや、と声を飲み込んで丸丘を窺う。
なんとなく、棘のあるような。
なんとなく、べべの存在自体を疎んじているような。
そう思いながら再び、潰されるがまま、べべは唸る。
「小柄とかって、なおしようが、ないよーな」
「ほんっと、くそ生意気」
馬鹿のくせに、と意味不明なことを喚いて目当てのものをとったのか、丸丘が退いた。確かにべべは馬鹿だけど、これが彼女とのファーストコンタクトの筈だった。そんなこと言われる筋合いないわ、と疲れきった頭でべべは思う。
お団子にしたもっちり茶色頭、ほっぺが鮮やかに色付いてマスカラ付けた睫毛が踊る。ピンク色の口紅が愛らしく唇に乗っていた。
こんなに可愛くしてるのに載せた言葉は真っ黒け、脳みその端っこで元気なべべが言う。
「初日から生意気。こっちは別に人なんていらなかったのに」
「でもお仕事でしょ?」
人が足りないから人が補充されたのではないだろうか。
餅村も、久しぶりの新人だとべべに言っていたのだし。図星だったか丸丘が鼻を鳴らす。ふん、と鼻息で埃が舞った。
「あんたに言われるまでも無くね!仕事ってのは重々承知。でもね、あんた生意気なの。鳥と初日からなんか意味有りげな雰囲気出すしほんと目障り」
「……わたし、馬鹿だからわかんないけど。丸丘さんは、鳥先輩が好きなの?」
「餓鬼ねアンタ」
ふん、と鼻鳴らして丸丘はひそと笑う。

「好きなんて、可愛いもんじゃないわ」

好き以外ならなんなのだろう。でも疑問を挟む間を丸丘は与えてくれない。それよりも、と大きなお腹擦って言う。
「あんたよ、あんた!私は女だからってだけでそれ以上何も努力しないようなのが大嫌いよ。虫唾が走る。社会人何年目よ!」
もっと自分を磨きなさいよ不細工、と吐くように言い捨ててどすどすと丸丘は行ってしまった。残されたべべは不思議そうに首を傾げる。
確かにべべは女で、化粧なんて何もしていなくて、そのせいで隈だって酷いし、ほっぺにそばかすだってあるけれど。
「それを人に言われるのは、どうなのかな」
ぽつんと休憩室に疑問溢れた声が響く。ぼんやりと視線をさ迷わせて、不規則に響いた頭痛に眉根を寄せた。
「休憩、しよ」
突っ伏して、うとり、と瞼を伏せる。頭は不思議の出来事、逃走するように再び夢の中。


20140809


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