CIEL MAIL

幸福と不幸


 クルスが立ち去ったあと、お墓に残っているのは、リコルひとりだけとなってしまいました。いつものリコルであれば、怖がってすぐに空の世界に帰るのですが、今日は違うようです。先ほどのクルスとの会話を思い出し、考え事をしているようです。
「海の世界へ送られる手紙は、いつも不幸な手紙ばかり。でも、空の世界に送られてくるのは、幸福な手紙。だから、海の世界に住むマソは、空の世界に住むウラノスが許せなかった。でも、それには、ちゃんと理由があった。このことを、マソに伝えよう。そうすれば、きっと……」
そう言って、リコルは海の世界へ向かおうとしました。そんなリコルの前に人影が現れます。
「理由があれば、わかってくれると、本当にそう思っているのか。お前は本当に、お人好しだな」
「カナル!?」
自分のひとりごとを聞かれ、驚いたリコルは、思わず声をあげてしまいました。
「しょうがない。おれもお前に協力してやるよ。もう、嘘の手紙は書きたくないんだ」
その言葉を聞いたリコルは、嬉しくなり笑顔で応えます。
「ありがとう! カナルがいてくれれば、ぼくも心強いよ」
リコルはカナルと手を組み、マソに説得を試みることにしました。

 海の世界は、相変わらず、青く澄み渡っています。リコルとカナルは、マソの姿を探していました。
「マソ。ぼくたちの話を聞いてほしいんだ」
マソは、見つかりません。それでも、リコルは、マソがどこかで聞いていることを信じ、話を続けます。
「空の世界に送られてくる手紙が幸福な手紙なのは、元々、空の世界に住む人々は善良な人間だったから。そして、海の世界に送られてくるのが不幸な手紙なのは、罪を犯してしまった人間だったから。だから、しょうがなかったんだよ」
リコルが歩きながら、どこかにいるであろうマソに向かって、話しました。
「そうか。ならば、そんな醜い心の人間は、やはり滅ぼさなくてはな」
リコルとカナルの前に、マソが現れました。しかし、リコルの声は、マソには届いていませんでした。
「なあ、マソ。もう、こんな勝負、終わりにしないか? 幸福か不幸か、どちらが勝っているかなんて、もう答えが出ているじゃないか」
カナルの吐いた、その言葉は、マソにとって、裏切りともとれる言葉でした。
「ほう? すなわちそれは、わしに負けを認めろと、そういうことじゃな。カナル。おぬしには失望したのじゃ」
マソはそう静かに言って、カナルのほうへ音もなく近付きました。そして、マソはカナルの心を支配しようと、心を黒く染め上げました。それは、一瞬の出来事でした。
「うっ……。なに、を……」
突然の出来事に、カナルは成すすべもありません。リコルはどうすることもできません。
「なんて弱い娘なのじゃろうな。戦うこともできぬのに、このマソ様に立ち向かおうとするとは。なんておろかなのじゃ」
リコルは、自分がいかに無力な存在なのか、思い知りました。
「ごめん、カナル。ぼくのせいだ……。ぼくがカナルを巻き込んでしまったから、カナルはこんな目に……」
リコルの目には、大粒の涙が溜まっていました。
「いいや、おれはおれの意思でお前についていっただけだ。お前に非はない。だが、リコル。お前は、そんなに簡単に諦めてしまうような、ちっぽけなやつだったのか?」
カナルにそう言われ、リコルは、はっとしました。そうだ、こんなことをしている場合ではない。ぼくの力でどうにもできないのなら、大事な人の力に頼ろう。リコルは、そう決心しました。
「そうだよ。リコル。君には、仲間がいるじゃないか。それも、大事な家族が」
「そうです! ウラノスさまがついていれば、何の問題もありません! ついでにボクのことも忘れないでくださいね」
リコルの前には、ウラノスとわたぐもがいました。
とても頼もしい味方がそこにはいました。
「ウラノス! カナルが大変なの! 助けてあげて」
カナルは今も苦しみもがいています。ウラノスは、空の神様である“浄化”の力をカナルに使いました。カナルは、最初は苦しんでいる様でしたが徐々に顔色が戻っていきました。ウラノスは、マソにもその力を使おうとしましたが、激しく抵抗されてしまいました。
「そんな力で、わしをどうにかできると思うのか。ウラノスよ」
「君は、いつも不幸であることを望んでいたよね。それはどうしてだろう」
少しずれた会話にマソは内心、イラつきながらもウラノスの問いに応じました。
「不幸であれば、これ以上、落ちることは、なかろう? しかし、幸せでいるとな、いざ、不幸のどん底にたたきつけられたときの悲しみや苦しみは、はかりしれない。ずっと幸せでい続けることは不可能であろう。それならば、不幸であることを最初から望んでいたほうが、楽ではなかろうか。それが、最終的に導き出した、わしの答えなのじゃ」
「それは、とっても悲しいね」
そう答えたのはリコルでした。マソは怪訝そうな顔でリコルを見ています。
「ぼくは、幸福のほうがいいとは思うけど、だからといって不幸であることも否定はしないよ。いいことばかりだと、幸せだーって気付けなくなってしまうから、嫌なこともたまには必要なんだと思う。ぼくは今まで、自分がどんなに幸せだったのか、知らずに生きてきたけど、ここ最近、嫌だなって思うこともあって、幸せは当たり前じゃないんだなって、気付くことができたよ。幸せを感じるためには不幸を感じることが必要なんだよ。ずっと幸福なままがいいか、不幸なままがいいかっていうのは、どちらも何も感じていないっていうことだよ。それっておかしくない?」
「そんなこと、考えもしなかったな。わしは、考えること、感じることを放棄していたというのか」
マソは、自分が今まで望んでいたものは、不幸なのではなく、何も感じない“無”なのだということに気付いてしまいました。そして、今までの自分の行いが、なんだかどうでもよく、まさに“無”を感じることになりました。


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