CIEL MAIL

生前の記憶


クルスは、生前の頃について、話し始めました。人々に裏切られ、最後には、十字架にかけられて死んでしまったそうです。リコルは、空の世界しか知らずに育ってしまったため、自分がいかに幸福であったのか、知ることになるのですーー。
「俺の本当の名前は、白黒久留子」
「しらくら、くるす?」
「変な名前だと思うか? 髪が長くて、名前もこんなだから、女の子みたいだとクラスの連中は俺をからかうんだ。いじめられていたんだろうよ」
「いじめ?」
「そう。おまけに白黒家は死神の血を持っていて、教会のやつらから目をつけられてしまった。気付いたら俺は十字架にかけられて、死んだのさ」
クルスは、十字架の墓を見つめていました。リコルには、クルスの気持ちがよくわかりません。けれども、死神の血なんかよりも、十字架にかけようとする人々の心のほうが、よっぽど恐ろしいと思いました。クルスは話を終えると、突然、リコルの首をしめ始めました。
「俺は、幸せに生きるやつ、幸せを願うやつ、神を信じるやつが大嫌いなんだ。だから、人は神を信じない。神も人を信じない。手紙なんて必要ない。それでいいだろう?」
「クルス……! やめて……くる……し……」
「苦しいか? 俺の苦しみは、こんなもんじゃないだぜ? この程度の苦しみ、絶えてもらわないとなあ」
「は……ッ! リコルさまが危機に直面していらっしゃる! やめなさい!」
わたぐもは、クルスを止めようと突進します。
「痛くも、かゆくもねえなあ」
わたぐもの必死の抵抗も虚しく、クルスは涼しい顔をしています。
「やめなさい」
この声は、わたぐもの声ではありません。この声の主はーー。空の神様、ウラノスでした。
「やめなさい。彼女は、私の娘のような存在だ。彼女を苦しめるのは、やめてくれないか」
「なんだよ、お前。今いいところなんだ。……って、くそ、……く……!」
クルスは何やらまた苦しみ始めました。そして、リコルの首から手を離しました。リコルは、ぐったりとしていて、気を失っています。ウラノスは、リコルを抱きかかえました。クルスは、さっきまでの様子と違い、困った表情で笑っています。
「すみません、僕、何かしたんでしょうか。たまにやらかすんですよね」
「覚えていないのか」
「すみません。結局、いつも、僕が悪者なんですよね。でも神様。彼女は、空の世界の住民だと思い込んでいるようですが、彼女も元は人間だったのでしょう? 何も知らない彼女があなたを信じるというのも、かわいそうな話ですね」
そう言って、死神の少年、クルスは去っていきました。


死神の少年、クルスが去ってから、いったいどれだけの時間が経ったのでしょうか。 ウラノスは、家に帰り、気を失ってしまったリコルを休ませることにしました。
「うーん……」
「こんなにやつれて……。かわいそうに。やはり、彼に会わせるべきではなかった。手紙の配達もやめさせるべきなのかもしれない」
「リコルさま……」
ウラノスとわたぐもは、リコルの様子をずっと見守っています。早く目を覚ましてほしいと、そう願うばかりです。

***

リコルは、夢を見ていました。
「あれ? ここはどこ?」
「どこって、学校じゃない。ほら、授業に遅れちゃうよ。行こう!」
(すごい! ぼく、学校に来ているんだ! でも、どうして? さっきまで、ぼくは、えーと……)
リコルは、地上の学校に来ていることに驚きと感動を抑えられません。けれども、目の前の彼女が誰なのか、わかりませんでした。
「わたぐも? どこにいるの?」
…………。
「ねえ、そこにいるんでしょ? 返事くらいしなさい!」
しーん……。さっきから、わたぐもの姿が見当たりません。リコルのそばには、いつも、わたぐもがいました。 いつからいたのか、それは覚えていません。ただ、隣にはいつも、わたぐもがそばにいて、家に帰るとウラノスがいる。それが、リコルにとっての当たり前の日常でした。今は、なんだか急にひとりぼっちになったような、そんな寂しさをリコルは感じています。
この夢は、リコルの生前の記憶でした。 ただリコルには、これが生前の記憶だとは、わかりませんでした。 元々は、地上で生きていたなんて、彼女には知るよしもなかったのです。




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