<3>


そんなある日、悶々としていた悩める青年のもとへ千載一遇のチャンスが巡ってきた。

アラスカで行われた冬季戦訓練から帰ってきたクーパー、上層部への報告を終えて解放されるや否や、探し求めたのは愛しい人の影。

だが、庭の楡の木の下でベンチに座り、傍らに置いた銃になにやらボソボソと話しかけながらパチン、パチンと手の爪を切るハーネマンの頭には、真っ白な包帯が二重三重に巻かれているではないか。

「サージャント!どうしたんスか?その頭?」

驚いて駆け寄ったクーパーに、男はぶすっとした顔で言った。

「はぁあ?お前の目ん玉はビー玉か?ご覧のとおり食らったんだよ、クリティカルヒットを・・・・・・。
クソッ!頭はまだしも腹の傷がズキズキしてたまらん...」

そうぼやきながらペラペラしたオリーブ色のシャツをめくってみせた腹部は、これまた包帯でぐるぐる巻きで痛々しい。
「うわっヒデェ!」クーパーは息を呑んだ。

「それってこんなとこで呑気に爪切ってる場合じゃないですよ。医務室で大人しく寝てた方が......」
「うっせえな!」
目をむいてクーパーを睨み付けたハーネマンは、H&KG36アサルト・ライフルに優しい視線を投げかける。
「こいつの手入れをする時だけはこの樹の下って決まってんだからしょーがないじゃねえか、あ痛たたっ!」

負傷しようと変人ぶりだけは健在だな、とあきれながらもクーパーは言った。
「でも、傷が痛むんなら無理に爪の手入れなんかしなくても...」

「ふふふっ、それがなぁ」とハーネマンはニヤニヤ笑いを浮かべる。
「銃に素手で触る時はできるだけ綺麗な手じゃなきゃなんねえんだよなあ!」

そう言いながら両手を太陽にかざして己の手を仔細に検分すると、陰気な満足を示してG36を取り上げた。

女性の美しい手はしばしば「白魚のようだ」と賞賛されるが、そういうなよやかな手とはまた異なった...とはいえ、男のそれとしては節がほとんど見られない、奇妙なほどに長い指。

手の甲には青い静脈が淡く浮き出してマーブル模様を描いており、綺麗に整えられたばかりの象牙色の爪にはおぼろに霞む半月をいただいて、ハーネマンの指は深海に住まう生き物のようにG36のファイバー強化ポリマー製の肌を這い回る。

その妖艶な動きに心臓をわしづかみにされたクーパーは、苦しくて息ができなくなった。

それでも懸命に呼吸を整えて、体中の勇気を振り絞って呼び掛けると、自分でも飛び上がるほど大きな声が出た。

「サ、サ...サージャント・ハーネマン!」

銃を愛しげに撫でまわしていた男は手を止めて、いぶかしげな視線を投げてくるが構わない。

「は、腹をケガしてるんだったらあの、その...足の爪はどうしてるんッスか?自分で切るのはキツいでしょう?」

己の口から飛び出した台詞のあまりにもの突拍子なさには驚いたが、無言のままうなずくという中庸な反応に背中を押されて、クーパーはさらに信じられない台詞を叫んでいた。

「それじゃも、も、もしよかったら、俺に爪、切らせてくださぁいぃーっ!」

一瞬、周囲の空気が凍結した。
さしものハーネマンも、口をぽかんと開けて銃を抱きしめたまま硬直している。
ああ、俺の馬鹿野郎!言うにこと欠いて一体何を叫んでるんだ!

「爪?...爪って...この爪か?」
唇を固く結んだままうなずいた。
「それを...お前が切りたいって?」
もう一度コクコクとうなずいてみせる。

「なんだそりゃ......」

長い沈黙にいたたまれなくて、クーパーは女の子みたいに失神してそのまま永久に記憶を失いたくなった。だが、返ってきたのは意外な言葉。

「ふーん、えらくご親切なことで」
ハーネマンは銃を愛撫しながら怪しげな笑みを浮かべた。
「じゃクーパー伍長のご厚意に甘えることにするかな」

そして回りを見回すと、思わせぶりに小声になる。
「ここじゃ何だからあとから俺の部屋に来ればいい」

やった!青年は思わず固くこぶしを握りしめた。
脳裏にはSAS時代に胸に刻んだフレーズがよみがえる。これぞ“WHO DARES WINS”ー「果敢に攻める者が勝利する」だ!

クーパーの頭の中ではすでに、ピンク色にかすむ桃源郷が見渡す限り広がっていた。

<4>につづく

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