仕事で外出した帰り、たまたま前を通りがかることになってしまったそこは、俗に言う発展場というやつだった。
声をかけられでもしたら面倒だと、土方は足を早めて通りを歩く。
しかし運の悪いことに、道端で通行人を眺めていたそういう職の奴に捕まってしまった。
「お兄さん、ちょっと、どう?」
「あ、いや……俺は…」
体裁よく断って、さっさとその場を離れてしまいたかったのだが、こういう時に限っていい言葉が思い浮かばない。
尚もしつこく食い下がってくる相手に困惑しきっていると、不意に耳慣れた声が聞こえてきた。
「あー!先輩、やっぱりこんなところにいたんですね!どうしたんですか?迷子ですか?」
「……沖田?」
振り返れば、普段とはがらりと雰囲気の変わった沖田が立っている。
こんな時間に、こんなところで何をしているんだと咎めそうになったが、先輩だの何だの訳の分からないことを羅列され、土方はひたすら混乱した。
「お前、せんぱ……」
「ねー、僕約束の場所はあっちだって言ったじゃないですか。早く行きましょ?」
慌てる土方をよそに、沖田は土方の手をぐい、と引っ張った。
「じゃ、そういうことなんで。お兄さん、ごめんね?」
「あ、いや…………」
呆気に取られて見ている相手には構わず、沖田は土方の手を引いたまま、どんどん大通りの方へと歩いていく。
「ちょ、おい、待てよ!」
土方が何を言おうがまるで無視だった。
「っおい!沖田!」
発展場からかなり離れたところまで来て、ようやく沖田はその歩調を緩めた。
「お前一体どういうつもりだ。大体俺は先輩じゃなくて……」
「分かってますよ、土方せんせ」
沖田は溜め息の混ざった笑いを漏らした。
そうだ、お前は俺の生徒だろうと、土方は沖田に向かって頷く。
「でも、あぁでも言わないと、職業がバレたら厄介じゃないですか」
「……お前、何でそんなに詳しいん…」
「ていうか僕、先生のことを助けてあげたのに、怒鳴られるなんて心外だなぁ」
「あぁ…そりゃ……ありがとよ」
やはりこいつは、あの時俺を助けてくれたのか。
土方は一人納得して、沖田に感謝の言葉を述べた。
しかし、感謝はしているのだが、どうしても腑に落ちない点がいくつかあった。
「…それにしても、お前何であんな場所にいたんだ?もう10時過ぎてんだぞ?」
「10時って…僕もう子供じゃないんですけど」
「場所が悪いだろ、場所が」
「まぁね」
「それに、お前のその格好……」
土方は、沖田を上から下まで眺め回した。
普段の学校とはかなり違って、黙っていればとっくに成人しているようにも見える。
着ている服の趣向の所為か、今日の沖田は酷く大人っぽかった。
下半身にくるような、やけに甘い香水の香りもして、まるで別人のようだ。
実は沖田総司の兄です、と言われても、全く驚かないだろう。
「お前……一体何してたんだ?」
「……別に何も?」
「何もってなぁ……目的もなくこんなところに来ねぇだろうが」
「………僕もう行きますね、向こうで姉が待ってるんで」
「そうか。ならそこまで送ってやる」
「……べ、別にいいですって!じゃ、先生ももう絡まれないように気を付けてくださいねっ」
足早に去ろうとする沖田の腕を掴んで、土方は沖田を睨みつけた。
「お姉さんなんざいねぇんだろ?」
沖田は一瞬怯えるような表情を見せた。
「…います、よ?」
土方を見つめるその目が少し揺れている。
「教師を騙せると思うなよ?」
土方は沖田の腕を掴む手に、ぐっと力を込めた。
「…痛い、です」
「当たり前だ。痛くしてるんだからな」
「っ離してください!」
「離してほしけりゃ、質問に答えろ」
沖田は土方を恨めしそうに睨んだ。
それは決して教師に対してするような顔ではない。
「……大っ嫌い」
「何だと?」
「先生のそういうとこ、大嫌いなんですよ!」
「俺の、何が嫌いだって?」
「おせっかいで、過干渉で、必要以上に教師としての責任を持とうとして、いい教師ぶってるようなところが!つまりは全部大っ嫌いなんです!」
心からの嫌悪を込めて言ってのけた沖田を、土方は呆気にとられて暫し凝視した。
あの、いつもへらへら笑っているような沖田からは到底想像できないほど、凄まじい剣幕だった。
それからようやく言われた意味が分かった時、土方が抱いたのは怒りだった。
それで、気が付いたら手が出ていた。
パシンと小気味よい音が響いて、手にじんじんとした痛みが走る。
自分が沖田の頬をひっぱたいたのだと分かった瞬間、教師としてあるまじき行為をしてしまったと、底知れぬ罪悪感がこみ上げた。
しかしその罪悪感ですら、沖田の言う"いい教師ぶっている"ことから感じるものなのかもしれないと思うと、どうしようもない憤りを感じるのだった。
実際、沖田が言っていることは正しかった。
自分の行為には、全て"教師だから"という理由がついている。
沖田はそれを指摘しただけなのだ。
余りにも正論すぎたからつい手が出てしまったと、こういうことなのだろう。
土方はどこか客観的に自身の行いを分析しながら、赤く腫れた頬を押さえて、激しい怒りを漲らせた目でこちらを睨んでいる沖田を見据えた。
「…手を出すなんて、人間としてどうなんですか」
どうしても、謝罪の言葉が出てこない。
土方は喉の奥に言葉を詰まらせた。
「何とか言ったらどうなんですか!」
声を荒げる沖田を、土方は険しい顔で見返した。
道のど真ん中で何やら物騒な雰囲気を醸し出している土方たちは、よく目立っていた。
そうでなくとも、沖田が大声を出して土方を罵っていた時点でかなり目立っていたのに、土方が手を出したとなると尚更だ。
一体何事かと、道行く人たちが奇異の目で二人を盗み見ている。
「……場所を変えるぞ」
ようやく土方の口から出たのは、そんな言葉だった。
「何でですか!僕にはもう先生と話すことはありません!」
「このまま何もなく帰すわけがねぇだろうが!」
土方が怒鳴ると、沖田はまたもや怯えたような、悲しそうな、何とも言えない寂しげな顔をした。
それがまた土方を苛立たせ、遣り場のない怒りは、土方に冷静な判断を失わせた。
別に、明日学校で呼び出してもよかったのだ。
しかし、土方は沖田の手首を掴むと、自宅に向かってずんずんと歩き出した。
「ちょっと!今度は何をする気ですか?!」
不信感を露わにして沖田が後ろから叫ぶのにも構わず、土方は益々足を早めた。
「じっくり話を聞かせてもらうだけだ」
「だから言ったでしょ?あなたに話すことはもう何もないって!」
「俺はあるんだ。黙ってついてこい」
土方の有無を言わさない様子に、沖田はようやく抵抗することを諦めたようだった。
急に大人しくなると、土方が手を引くまま、沖田は半ば観念したようについてきた。
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