「沖田総司」
「はぁい」
名前を呼ばれて、壇上に上がる。
演壇までの数歩を一歩一歩踏みしめるように歩きながら証書を持った近藤先生に笑いかけると、近藤先生は今にも泣き出しそうに顔を歪めた。
「あの……小さかった総司が…こんなに……大きくなって…」
本人としては声を潜めてるつもりなんだろうけど、マイクに全て拾われている。
「………近藤さん、聞こえてる」
そう言ったのは、マイクから少し離れた位置、近藤先生の横に陣取っている"教頭先生"だ。
つられるように視線を向けると、彼はいつも以上に堂々とした威厳と存在感を放ちながらも、照れたような、何とも言えない微妙な顔でこちらを見ていた。
どこかこそばゆいのはお互い様。
淡々と別れるには、少々思い出が濃すぎる。
笑っていいのか泣いていいのかよく分からなくて、僕はすぐに視線を逸らした。
そのまま証書を受け取って、何食わぬ顔で自分の席まで戻る。
「ふぅ…………」
次々と生徒の名前が呼ばれていくのをどこか遠くで聞きながら、僕は心の中に土方先生との思い出ばかりを溢れさせていた。
昔から知り合いではあったけど、高校に上がったところで、今までのような単なる幼なじみから教師と生徒に関係が変わり、何だか不思議な感じだったこと。
嫌いが好きになり、好きが恋情に変わったのはいつのことだっただろう。
毎日のように古典準備室に通い詰め、仕事を邪魔しては怒らせて。
テストに描く落書きのレパートリーも、三年間でだいぶ増えた。
しょっちゅう引っかかった補習も大抵は二人っきりで、からかうのがすごく楽しかったことも。
何から何まで覚えている。
高校二年生の半ば頃に、土方先生に告白して。
土方先生が意外にも承諾してくれて、付き合い始めて。
……ほんと、長い夢を見ているようだった。
今日で幕を閉じる、長い長い夢。
夢から覚めた僕は、一体どうなるんだろう。
全てが曖昧な記憶となって、薄れて、霞んで、いつかは消えちゃうのかな。
鮮やかで、失いたくない、大切な思い出なのに……。
そんなことばかり考えていたら、不覚にも泣き出しそうになってしまった。
だって、もう―――……
もう、お別れだから。
高校を卒業しても、土方先生が僕を恋人にしておいてくれるとは思えない。
あの先生のことだ、僕のことがほっとけなくて、三年くらいなら面倒を見てやろうって、そう思ったに違いないんだ。
そうでなくても忙しい人で、普段から余り会えなかったし、メールや電話も僕からするのがほとんどだったから、毎日顔を合わさなくなったら、自然と疎遠になるのは目に見えている。
だから、今日が最後の日。
「斎藤一」
「はい」
…あ、一君が呼ばれた。
一君は相も変わらずぴしっとしていて、土方先生に負けず劣らず堂々と壇上に立っている。
優等生で大学もいいところへ進学が決まっているから、この後の代表生徒にも選ばれていたはずだ(練習や説明は例の如くサボっていたからよくわかんないけど)。
一君、誇らしそうだなぁ。
そう思って土方先生を見たら、土方先生も嬉しそうな笑顔で一君を見つめていた。
「……………」
そーだよねぇ。
やっぱり、優等生が旅立っていくのは嬉しいものだよね。
…僕みたいな、問題児とは違ってさ。
僕は、あんな風には笑って貰えないもん。
きっと心の中では、やっといなくなってくれる、とでも思ってるんだよ。
僕は慌てて上を向いて、溢れそうになった涙を堪えた。
僕が泣くなんて、気持ち悪いもんね。
「藤堂平助」
「は、はい!」
泣かない泣かないなんて思っていたら、緊張しているのか、思い切り裏返った平助の返事が聞こえてきて、僕は思わず笑みを零した。
平助とも、色んな思い出作ったなぁ。
一君と三人で、ほぼ毎日お昼を食べて。
ゲーセン行ったりカラオケ行ったり、それなりに青春を謳歌した。
日頃から怠惰でやる気のない僕ではあったけど、運動会では一君と競って燃えたし、文化祭では喫茶店なんかもちゃっかりやった。
部活も一緒だし、苦汁を舐め合って厳しい練習にも耐えきった。
……何だか、あっという間だったなぁ。
これからみんなそれぞれの道に進んでいったら、確実に今までと同じようには会えなくなる。
卒業くらいでなよなよするなんて僕らしくないけど、荘厳な式の雰囲気に呑まれて、女子の啜り泣きを聞いてたら、柄にもなくしんみりしちゃうのも無理はないと思う。
どうしていいか分からなくなって思わず目を泳がせると、壇上の教師席に座って、肩を揺らして号泣している永倉先生が目に飛び込んできた。
「ぷ…………」
所謂男泣きが余りにも似合いすぎてて、どうしても笑いがこみ上げてしまう。
噂では毎年決まって泣いているらしいし、ある意味では薄桜学園の名物だ。
その横では原田先生がいつものように余裕たっぷりの笑みを浮かべていて、この二人ももう見納めかなぁと思ったらまた悲しくなった。
そのうちに近藤先生の、泣いている所為でほぼ聞き取れない長い演説が始まって、僕は懸命にそれに耳を傾けた。
近藤先生は、僕が一番尊敬する人だ。
これだけは譲れない。
もう、あのあったかくて大きい手で撫でてもらえることもないだろうけど、絶対に近藤先生のことは忘れない。
……そして、土方先生のことも。
それから仰げば尊しだの校歌だのを歌って、卒業式は終わりを迎えた。
とうとう最後まで泣くことはなかったけど、僕なりにすごく感動する卒業式だった。
一つの節目として、別れの場として、心が引き締まるような、そんな気持ちになった。
………ただ悲しいだけ、とも言うけど。
会場を出るとき後ろ髪を引かれる思いがして、もう一度だけと壇上を振り返った。
担任でもない土方先生には、きっともう会うこともないだろう。
…まぁ、僕から挨拶にでも行けばいいんだろうけどさ。
そんなことしたら、未練たらたらみたいで嫌だしね。
「…………………」
土方先生は、いつになく優しい顔で卒業生たちを見ていた。
目が合うことはなかったけど、それでも見納められたからよしとする。
だってさ、先生っていうのは、毎年何百人も生徒を送り出して、また新しい生徒を迎えて…っていうのを何年も繰り返してるわけでしょ?
なら、たった一人の生徒のことなんて、忘れて当然だからね。
卒業しちゃえば、それでもう終わり。
土方先生の記憶から僕は消える。
……だけど、それでもいいんだ。
僕が先生のこと、ずっと忘れないから。
教室に戻ってからもずっとそんなことを考えてたら、担任の原田先生に名前を呼ばれた。
「何ですか?」
傍に歩み寄りながら聞くと、先生は「どうした、しんみりした顔をして」なんて聞いてきた。
あれ、そんなに顔に出てたかな。
「………そりゃあ…卒業ですからね、一応」
「何だ、会えなくなると寂しい相手でもいんのかと思ったぜ」
原田先生は意地悪くも、ニヤニヤ笑いながら聞いてきた。
「い、いますよ………平助とか…一君とか……」
「は、そうじゃねーだろ?もっと違う奴だろ?」
「はぁ?」
原田先生は、いかにも"分かってるんだぜ"という顔で言う。
僕はどんぴしゃな指摘に少しムッとして、顔を逸らすことしかできなかった。
「まぁ何はともあれ、総司が無事卒業を迎えられて、俺はほんと嬉しいぜ」
「………えへへ、ありがとうございます」
「一時期はどうなることかと思ったもんなぁ」
遠い目をしてしみじみと言う原田先生に、僕もうんうんと頷いて同調する。
「まぁ、サボって足りなかった単位分の課題は、ちゃんと全部出したからね」
「そんな偉そうな顔をして言うなよな」
原田先生が軽く頭を小突いてくる。
その様子があまりにも明るいから、僕は面食らって思わず聞いてしまった。
「ねぇ?原田先生は悲しくないの?」
「ん?」
「もう会えなくなるのに、どうしてそんなに明るくしてられるんですか?」
「そりゃお前………別に、もう二度会えねーなんてことはないだろ?」
「でもさ、毎日顔合わせてたのに……」
「いいんだよ、これから輝かしい未来に向かって旅立ってく奴らに、新八みてえに辛気臭え顔して、寂しいだなんて言えねーだろ」
「ふーん。なんか、思ってたより淡白…」
「いやいや、それが大人の愛情ってもんだ。俺は笑顔でお前らを送り出してやりてえんだよ」
「大人の愛情ね」
思わずふっと笑いが漏れた。
原田先生らしいと思う。
……土方先生も、大人の愛情なんてものを持ってるのかな。
あの土方先生が、愛情?
笑っちゃう。
「そういや総司、」
「はい?」
「さっき、全部課題出したとか言ってたよな?」
「え、はい。言いましたけど、ていうか出したし」
「いや、今お前を呼びつけたのはだな、実はこれを渡したくて……」
そう言って原田先生が出してきたのは、土方先生からのメモだった。
「なにこれ」
そこには、終わってない課題があるから帰る前に古典準備室に来い、なんて書いてある。
「お前、うっかり何か忘れてたんじゃねーのか?」
「えぇ!?そんなはずない!ちゃんと確認したもん、古典なんかの所為で留年したくなかったし。第一、卒業証書貰ってるのに今更課題とか、話がおかしくないですか?!」
訳が分からない。
もう成績表だって、単位だって貰ったのに。
それとも、そういう口実で呼び出して、別れ話を切り出すとか?
……うわぁ、有り得そう。
「まぁ、悪いことは言わねえから、行ってみろよ、な?」
「うん…………」
原田先生は笑顔で僕の背中を叩いてくれた。
その直後、話が終わったと思ったのか、女子という女子がよってたかって原田先生に群がった。
きっと最後に写真でも一緒に取ろうという魂胆なんだろう。
輪の外に放り出された僕は、どこかぽかんとしたままその光景を見ていた。
……まぁ、古典の所為で卒業取り消しとか洒落にもならないし。
行くだけ行ってみよう。
最後に、散々からかってあげてもいいしね。
僕はフラッシュの光とはしゃぐクラスメイトで騒がしい教室を後にした。
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