「あ、あの!総司!」
はぁ。
僕は深々と溜め息を吐いた。
今日でもう何回目だろう。
うんざりしながら振り返ると、そこにはクラスメートの女の子。
「……なに?」
「あの、さ、総司ってさ、土方先生とよくしゃべってるよね?」
ここまで全て、僕の予想通り。
今日だけでもう十回近く耳にした同じ導入文句に、僕はやれやれと肩を落とす。
「…それで?僕と土方先生はよくしゃべってるし何だか仲が良さそうだから、代わりにチョコを渡してくれないかって?」
僕がすらすらと先読みしてあげると、その女の子は首まで真っ赤になってしまった。
あーあ。
そんなんじゃ土方先生は振り向いてなんかくれないよ?
「うん、ま、そ、そうなんだけど……」
相変わらずもじもじとしているその子を僕は冷め切った目で見つめた。
いいよね、君は。
女の子だし。
結果はどうであれ、チョコを渡すことはできるもんね。
例え玉砕したとしても、好きですって伝えたところで、気持ち悪がられはしないもんね。
…僕には、チョコを渡すことはおろか、好きって伝えることすら許されないんだから。
ほんと羨ましいよ。
せっかく資格があるのに、ほんと、何で自分で渡さないかな。
「…いいよ。渡しといてあげる」
「えっ!いいの?」
僕が手を差し出すと、その子はぱっと顔を明るくさせた。
「いいって言ってるでしょ?早く貸してよ」
早くしろと催促すると、その子は不意に手作りらしいチョコの包みを引っ込めてしまった。
「ちょっと。どうしたの?」
「……だって。総司、ちゃんと渡してくれる?」
「え?」
「総司が食べちゃったり、捨てちゃったりしない?」
僕はぴたりと固まった。
……何で分かったんだろ。
固まったまま女の子を眺めると、心底不安そうな顔をしてこちらを見つめている。
僕は、今朝から続く女の子たちの「土方先生へのチョコアタック」にほとほと閉口しているところだった。
まぁ、土方先生はやたらおモテになるから、そんなのは今に始まったことじゃないんだけど。
だけど何故か今年は、毎年繰り広げられるそのアタックに、僕まで巻き込まれることになってしまっている。
理由は、僕がいつも古典準備室に入り浸っているし、土方先生の怒号も平気で交わしているから、らしい。
土方先生はイケメンだけど、確かにちょっと頭がお堅いし、些か怖すぎるところがあるからね。
チョコを渡したりして、生徒が何やってんだ!とかお前になんか興味ねぇよ、とか言われでもしたら女の子は絶対に傷つくだろうし、土方先生に直接渡せないのも分からなくはない。
でも、だからと言って、僕を仲介人にしないでほしいんだよね。
………僕だって土方先生のことが好きなんだから。
これは誰にも言えない…っていうか、言えるわけがないことだけど、決して報われることのない片思いを、実はずっと続けていたりする。
男だし、生徒だし、生意気だしっていう三重苦。
女の子たちと同じ土俵にすら立てないっていうのに、そのライバルたちから仲介を頼まれる僕って、ほんっと可哀想だと思うんだ。
自分で渡す勇気もない子なんか、早く玉砕しちゃえばいいのに。
そんな不穏なことを思いながらも、僕は今朝からもう九人、土方先生へのチョコを預かってあげていた。
それはもう十人十色で、やたら大きかったり、可愛らしくラッピングされていたりするチョコたちを、九個も。
だけどまぁ、それを僕が素直に土方先生に渡すと思ったら大間違いで。
全部自分で食べるか、もしくはゴミ箱に捨ててやろうと思っていた。
だって、当たり前じゃない。
ライバルのチョコをおちおち渡すような馬鹿な真似はしてられないし。
自分で渡そうともしないチョコなんて、どうなってくれても構わないし。
僕ってほんとやな奴。
下手すると超性格の悪い女子よりも、性格が粗悪かもしれない。
自分でもそう思ったけど、僕は渡すこともできないのに!って悔しかったんだから仕方ない。
だから、そう。
この子の言うとおり、捨てちゃおうと思ってたんだけど。
ズバリ言い当てられてしまって、僕は慌てて否定した。
「ま、まさか。人の恋路の邪魔をするつもりはないよ」
「ほんとかなぁ…嘘吐いてない?総司って甘いもの好きだから、勝手に食べちゃったりしない?」
「ち、ちょっと君、失礼じゃない?人に面倒なこと頼んでおいて、その言い方はないと思うんだけど」
「あ、うん…ごめん」
「そんなこと言うなら渡してあげないよ?ていうかそんなに心配なら、自分で渡せばいいじゃん」
「む、無理!それだけは無理!お願い総司!土方先生に渡してきて!」
頭を下げてまでお願いされたら、流石の僕も突き放すことはできなかった。
「はぁ…分かった。必死な君に免じて渡してあげることにする」
「きゃあ!総司!ありがとう!」
僕はその子からチョコの包みを受け取った。
「総司、ほんとありがとう!……はいこれ、お礼って言ったらなんだけど…」
「…え?」
その子は鞄の中から一回り小振りな包みを取り出して、僕に向かって差し出した。
「え、何これ賄賂?僕にくれるの?」
「うん、ハッピーバレンタイン」
「うわ、思いっきり義理じゃん。でもまぁ、ありがと」
僕は苦笑いしながらその包みも受け取った。
「じ、じゃあ、お願いね?」
「はいはい。今から渡してくるよ」
またチョコの宅配を頼まれない内にと、僕は足早に古典準備室に向かった。
まぁ、このチョコを作った女の子たちのうち誰か一人でも土方先生のハートを射止められるとは思わなかったし、せめて渡すくらいはしてやろうと思い直したんだ。
……流石に捨てちゃうのは可哀想だと思ったしね。
僕が土方先生を好きなように、(まぁ好きな気持ちだけは誰にも負けてないとは思うけど)、この女の子たちだって土方先生が好きで、必死に頑張ったんだから。
その気持ちは悪いものじゃないし、僕がどうこうしていいものでもないと思った。
…見せるだけ見せて、その場で僕が食べちゃってもいいか、と思ったのは内緒だけど。
古典準備室に向かいながら、僕はさっきの女の子がくれた包みを開けて、中に入っていたチョコを口に放り込んでみた。
女の子たちがどんなにすごいのを作るのか、ふと気になったんだ。
「…わ………」
それはトリュフチョコだったけど、口に入れた途端にカカオの香ばしい香りと甘さが口中に広がって、滑らかな口溶けでほろりと溶けていった。
ブランデーを使っているのか、微かに酒気も漂ってくる。
正直、美味しいとしか言いようがなかった。
女の子ってのは、こんなにすごいのが作れるのかと悲しくなる。
(でも、ちょっとお酒が効きすぎかな……あの人お酒ダメだし。それに多分これじゃあ甘すぎる……)
心の中でつい辛口な審査をしてしまうのは、どう考えても単なるやっかみだ。
僕は、鞄の底で眠る、僕お手製のチョコを思って溜め息を吐いた。
……一応、作ったんだ。
渡せないなんてそんなことは百も承知だったけど、何もしないのも気が引けたから、一応作るだけ作ってみたんだ。
ネットで調べて。材料を買って。慣れない作業に台所中を散らかしながら、それでも何とか完成させた。
甘いものが苦手な先生のための、ビターチョコ。
形も歪だし味だって何の保証もないんだけど、それでもありったけの心だけは籠めた、僕なりのチョコレート。
作り終わった時は、これなら何とかいけるかもって思ったんだけどな。
……でも、こんなに美味しいのを作られちゃったら、僕のチョコの出る幕はないや。
僕は今更ながらに切なくなって、とぼとぼと廊下を歩いていった。
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