「うん、元気………え?…あ、うん、ちゃんと食べてる…遅刻はちょっと………あ、怒らないで……」
ベッドに寝そべりながら、電話越しの声を聞く。
大好きな声は穏やかで、ずっとこちらの心配ばかり。
「それより、土方さんは?一人で寂しくないですか?女の人と、浮気したりしてない?」
『ばーか。お前のことが心配で、おちおち浮気もしてらんねぇよ』
「ひ、酷い!僕のこと、子供みたいに。こっちは全然心配いらないから、浮気でもしてみたらどうですか」
『いいのか?ずっとシてなくて溜まってるしな。本当にするぞ?』
「もーやだ!土方さんのどアホ!何でそういう意地悪しか言えないの?!三途の川渡ってきてください」
『アハハ………悪い、総司。だが生憎と、俺の頭にはお前のことしかないよ』
「………口じゃなんとでも言えますもんね」
『本当だ。お前の不安な気持ちだって、ちゃんと分かってるよ』
「………………」
『けどなぁ、俺だって不安なんだからな?お前に変な虫がひっついてねぇか』
「ひっついてませんよ。僕は相変わらずです」
『そうか……愛してるよ、総司』
「…………ぼ、くも…愛して、ます…」
それからすぐに電話は切れたものの、沖田は暫くただぼうっと携帯を眺めていた。
土方さんが転勤になって、いわゆる遠距離恋愛というものを始めてからまだ二週間くらい。
最初は、行くなだの僕も行くだの散々我が儘を言って土方を困らせたものの、毎日メールをするし、電話もできるだけかけると言ってくれた土方を信じて、一人で大人しく待っていることにした。
それでも数日は、学校から帰ると一人の部屋が寂しくて、めそめそ泣いたりしていたものだ。
やはり、物理的な距離が遠いというのは、近くにいるけれどずっと会えない状況が続くのとは心境がかなり違う。
土方が今いるところまでは、飛行機に乗らないと絶対行けない。
どんなに会いたくても会えないというのは、会えないからこそ愛しさが積もるというか、それだけで寂しくなるものだった。
だけど、この生活にもようやく慣れてきた。
約束通り、土方からは毎日電話が来ていたし、顔は見れないけれど、声が聞けるだけでも幸せだと思う。
それでも、未だに夜眠る前や朝起きた瞬間なんかは胸がぽっかり空いたような気持ちになって、早く赴任期間が終わらないかと、日々心待ちにしていた。
そんなこんなで、1ヶ月ほど経過した、ある日のこと。
いつものように後は寝るだけの状態になってから、沖田は土方に電話をかけていた。
が、いくら鳴らしても出ない。
まぁ忙しいだろうし、そんなこともあるだろうと、その日は潔く諦めた。
次の日。
今日は土方からかかってきてもいいんじゃないかな、なんて期待しながら、沖田は一日中携帯を睨んでいたが、やっぱり連絡はない。
次の日も、その次の日も。
「電話くらいしてくれたっていいじゃん、馬鹿………」
意地を張って、土方からかかってくるまでこちらからは電話しないでおこうと決め込んでいたのだが、一週間が経った時、もう我慢できなくて、沖田は怒り心頭で電話をかけた。
ワンコール、ツーコール……
待てど暮らせど土方は出ない。
どうしたんだろう、何かあったのかもしれないと、先ほどまでの怒りも一転、今度は心の底から不安になってきて、沖田はメールを入れた方がいいかと思い直す。
そして、電源ボタンを押そうとしたその時。
突然電話が繋がった。
「あっ!土方さん!?」
驚いて叫ぶように名前を呼ぶが、受話口からは騒音しか聞こえてこない。
「土方さん……?もしもし?」
不安に掻き立てられながらも、ようやく繋がった電話にドキドキしていると。
『ほらぁ、通話ボタン押しちゃったよー?』
聞き取り辛くはあったが、甲高くて耳障りな声が聞こえてきた。
明らかに女性の声だ。
間髪入れずに、土方の焦ったような声も聞こえてくる。
『あっ馬鹿!なに勝手なことしてんだよ!』
『いいじゃん別にー。男でしょこれ?なに、友達ー?』
『いいから返せ!』
『おい土方、何を騒いでいる』
『あっ社長、すみません…』
なにこれ……
沖田には無頓着に進められている会話に、口を挟むこともできない。
社長、ということは、会社の飲み会か何かなのだろうか?
じゃあ、この女の人は社員?
考えた途端、沖田は気持ちがすーっと冷めていく音が聞こえたような気がした。
『もっしもーし。沖田総司様ですかぁ?』
不意に大音量で、上機嫌な女の人の声が聞こえてきた。
明らかに遊ばれているが、言い返す余裕がない。
『おい!早く返せよ!』
土方が怒鳴っているのが小さく聞こえる。
そりゃあそうだ。
女の人はただの男友達だと思っているかもしれないが、こんなことをしているのがバレたら、実は一番厄介な相手なのだ。
一刻も早く取り返して、弁解の一つや二つしたいだろう。
どうしても外せない接待だったんだ、とか。
それか、社長がいるらしいし、社長に言われて断れなかったんだ、とか。
理由なんかどうでもいい。
土方が乗り気だったかどうかも、最早どうでもいい。
ただ、自分にはメールの一つも寄越さないで平気にしていることが、許せなかった。
『あれぇ?総司くーん?いないのー?』
「……………」
『総司くーん?』
もう切ろう。
そう思って、携帯を耳から話そうとした時。
『総司くん、いつもトシにはお世話になってまーす。彼女の○○って言いまーす』
「っ………」
沖田は何も考えずに電話を切った。
総司!という土方の声が聞こえたような気もしたが、もうどうでもいい。
切った途端、騒々しい店の音がぷっつりと途絶え、一人ぼっちの静寂に包まれる。
最初にトシと呼んでいた時から、何か変だとは思っていた。
けど、まさか本当に浮気されてたとはね…。
沖田は自嘲の笑みを浮かべた。
まだ1ヶ月とちょっとしか経っていないのに、もう浮気された。
土方の心を、自分の元に留めておけなかった。
そんな自分に腹が立ったし、悲しくもあった。
だから、遠距離になるのは嫌だったんだ。
土方の心が離れないでいてくれるような自信が、自分にはなかったから。
すぐに心移りされると思ったから。
まぁでも、やっぱりそうだった。
所詮はそれだけの関係だったということだ。
浮気するなら、せめてバレないようにして欲しかった。
もう、傷つくのは御免だ。
沖田は立ち上がると、すぐに荷物を纏め出した。
最終の便にギリギリで滑り込んで、離陸した飛行機から地上を眺める。
真っ暗で殆ど何も見えなかったが、都会の明かりは遠くからでも煌々と輝いていた。
別れてくれ、と言われる覚悟はもうした。
どんなに弁解され、謝罪されても、許さないで突き放す覚悟も決めた。
あとは実際に会って、面と向かって話をつけるだけだ。
飛行機に乗り込むまで、しつこいほど土方から電話がかかってきていたが、今更何なんだと全部無視した。
今までどれだけかけても繋がらなかったくせにさ。
どれだけ心配したと思っているんだ。
キャビンアテンダントに飲み物を持ってきてもらっても、まだ気持ちは収まらない。
この飛行機にだって、バイト代を全てつぎ込んで、やっとのことで乗ったんだ。
土方もいなくなるというのに、これから暫くの節約生活を思うとうんざりした。
この僕を恋人にしておきながら、浮気するなんて………とそこまで考えて、沖田はふと思った。
いや、最初から自分は土方には釣り合わない存在だったんだ。
何よりも、男だし。
生意気だし、我が儘だし、迷惑をかけてばっかりだし、よく怒らせるし、我ながら酷い奴だと思う。
それにも関わらず、愛しているよと言ってくれた土方の言葉が今では白々しく聞こえるほど、沖田はすっかりいじけていた。
もう、いい。
あんな人、好きにならなければよかった。
飛行機の中でだけは絶対に泣くまいと、沖田は唇を真一文字に結んで目を閉じた。
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