いつもとなにも変わらない朝。
窓の外からチュンチュン雀の鳴き声が聞こえてきて、僕はにゃーんと伸びをする。
今日は待ちに待ったお休みだから、土方さんに起こされて、ご飯もらって、一日中土方さんに構ってもらおう。
そう思ってた。のに。
「んにゃ…ぁ……?」
土方さんの布団の中で急に首が痒くなって、僕は寝ぼけたまま身繕いをしようとした。
げしげしと後ろ足で首の裏をかこうとして、………できなかった。
(え!?あれ!?)
急激に堅くなった体に、動かし辛い足。
何事かと思って足を見て、僕は愕然とした。
「にゃ?!」
そこには、土方さんと同じ、人間の足があった。
恐る恐る他の部位にも目をやると、僕の毛並みは綺麗さっぱり消え失せて、手も、体も何もかもが、人間のそれになっている。
「にゃああああ!?!?!?!?」
びっくりして、慌てすぎて、ついバランスを崩してベッドから落っこちた。
いつもならすぐに受け身を取れるのに、人間の体は鈍すぎて、背中を思い切り打ちつけてしまう。
「にゃぁぁぁんっ!!」
打ちつけたお尻が痛くて、涙目になりながらお尻を押さえると、そこに覚えのある感触を見つけた。
――――尻尾だ!僕の尻尾!!
慌てて意識して尻尾を揺らしてみると、それはちゃんとふよふよ動いた。
よかったぁ。僕の尻尾、残ってる。
猫だったのが嘘なのかと思っちゃった。
安心した。
でも僕、一体どうしちゃったんだ……
おろおろと辺りを見回す。
座っているというのに、猫だった時よりもずっと高くなった視界に、戸惑いは増えるばかりだ。
と、その時。
「ん………そーじ、起きた、のか?」
眠たそうな声が聞こえてきて、僕はびくりと体を震わせた。
「にゃ、にゃあ」
気づいて欲しくて、この状況を何とかして欲しくて、僕は甲高い声で鳴く。
「……まだ早ぇんだから…寝てろ……よ。今日、は…休みだろ……」
「みゃあああ!!みゃあああ!!」
「ったく、うるせぇなぁ……」
髪の毛を掻き毟りながら渋々起き上がって、土方さんが僕の姿を探す。
「あ?…落ちたのか?」
そして、ベッドの下を覗き込んで、固まった。
「みゃ……ぁ…」
土方さんと目が合う。
「……………………」
「……………………」
見つめ合うこと数秒、
「…………………夢だな」
「に゛ゃぁぁぁぁっ!!!」
また元通り横になってしまった土方さんに、僕は激しく抗議した。
「………いやいや。俺はぜってぇ信じねぇぞ。総司が人間になっちまうなんざありえねーからな……うん、ありえねー」
何やらぶつくさ言っている。
「そうだ、総司はどこに行っちまったんだ。総司を探そう。総司!総司どこだ?!」
「にゃー」
「違う!てめぇじゃねぇ!俺が探してんのは猫の総司だ!総司!出て来い!俺を困らせんな!」
土方さんは布団をガバッと捲ると、ドシドシ足音を鳴らしながら寝室の中を彷徨いた。
ベッドの下を覗き込んだり、クローゼットの中をかき回したり。
だから、僕はここにいるってば。
「にゃから、ぼく、ここ」
自分の口から何か出た。
吃驚した。感動した。
僕が人間の言葉を話せるなんて……!!
「…………………」
土方さんは振り返って、ベッドのすぐ下でぺたりと座り込んでいる僕をじっと見つめた。
それから突然ほっぺを抓ったり、ぺちぺち叩いたりした。
「だいじょぶ?」
僕が喋るとまた更に目を見開いて、眉間を抑えてしゃがみこんでしまった。
「頭痛ぇ………」
僕は四つん這いで土方さんの傍まで行って、いつもしているみたいに鼻先を擦り付けて甘えてみた。
が、土方さんはうずくまったままだ。
「ひじかたさん、ぼく、そーじ」
尻尾でペシペシと叩いてみる。
が、土方さんはびくともしない。
「にゃんでこーにゃったかぼくしらにゃい。にゃけど、ひじかたさんとおしゃべりできてうれしい」
一生懸命話してみたら、ようやく土方さんが顔を上げた。
「……………お前、本当に総司なのか?」
「ほんとーに、そーじ」
「そう、か……」
土方さんはどこか疲れたような顔をして、ぎこちなく手を伸ばしてきた。
猫だった時の毛並みにそっくりな栗色の髪の毛を、恐る恐る撫でられる。
僕は気持ちよくて目を細めた。
「そうか……総司なのか……」
土方さんは、ようやく目の前の現実を受け入れる覚悟を決めたらしい。
そっと僕の身体を抱き寄せると、じっと顔を覗き込むようにしてきた。
「………やっぱり、お前総司に似てるな」
目がそっくりだ、と土方さんは笑う。
「そーじって、だれ」
「総司ってのはな、前の人生で好きだった奴だ」
「まえの、じんせい?」
遠い目をする土方さんを、僕は至近距離でじっと見つめた。
「あぁ、人間には、前世ってのがあるんだよ。っていうか猫にもあるんじゃねぇのか?前の人生での生き様によって、魂は六道ってのをぐるぐる廻るんだ。んで、畜生になったり、また人間になったりする」
「じゃあ、ぼく、そーじだったの?」
「さぁな………記憶、ねぇんだろ?」
「にゃい………です」
「そんな寂しそうな顔するなよな」
土方さんは、僕の頭をわしゃわしゃと撫でた。
それが気持ちよくて、僕の耳がピクピクと揺れる。
「ひじかたさん、そーじのこと、好き?」
「ん、………あぁ、好きだ」
「ぼくのことは、好き?」
「もちろん、大好きだぞ」
「もしにんげんのそーじがいたら、そっちのほうが好き?」
「………どうだろうな…」
はっきりと答えてくれない土方さんに、だけど本音は分かるような気がして、僕はシュンとしょげ返った。
尻尾はだらりと垂れ下がり、耳も力なく折れ曲がる。
「…………人間の総司にはまた会いてぇ気もするが、今はお前がいてくれるから幸せだ」
「ほんと?」
「きっと、お前が総司の生まれ変わりなんだよ。ありがとな、俺ンとこに来てくれて」
「ひじかたさんが、ひろった」
「はは、そうだな」
土方さんはやっと優しい笑顔を見せてくれた。
「やれやれ………それにしても、何だって半獣化なんざしちまったんだろうな」
「なー!」
「まぁ、お前に分からねぇんなら俺に分かるわけがねぇし。飯にするか」
「めし!」
僕、知ってる。
めしっていうのはご飯のことだよ。
土方さんは素っ裸だった僕にブカブカのTシャツを被らせてから、上手く歩けない僕のことを抱き上げてくれた。
子猫と違って重いな、なんて言いながらも、抱っこしたままリビングに行く。
「ここに座って待ってろよ」
そう言ってソファーに下ろされた僕は、キッチンに向かう土方さんをじっと見つめた。
寝癖で後ろの髪の毛がちょっと跳ねてて、完全に休日モードの土方さんは何だか可愛らしい。
なんて、猫が言うのもなんだけど。
やがて戻ってきた土方さんが手にしていたのは、マグカップに入ったホットミルクだった。
もくもくと湯気の立つそれを手渡されて、取り敢えず両手で掴んでみる。
そのまま顔を寄せてべろを突っ込もうとしたら、慌てて止められた。
「待て待て!お前は猫舌だろうから、しっかり冷ましてから飲め!」
「さま……?」
「ほら、………こうやってな、ふーふーってするんだよ」
「ふーっ」
「そうそう」
教えられるまま何度もふーふーしていると、土方さんは苦笑していい加減にいいんじゃないかと言った。
恐る恐るべろを入れてみると、いつもとは違って何だか温かい。
「あったかいです」
「そうだな。美味いか?」
「うみゃいです」
「よかったな」
土方さんは微笑んでから、僕の隣に腰を下ろした。
それには構わずミルクに夢中になって、懸命にべろで掬っていると、やがてミルクにべろが届かなくなってしまった。
それでも頑張ってべろを伸ばし、顔をマグカップに突っ込もうとしていると、気付いた土方さんが、慌てて僕からマグカップを引き離した。
「あーあー。ったく、顔に跡ついちまってんじゃねぇか」
「あと?」
「マグカップの跡が、丸くついてんぞ。それから、鼻にはミルクがついてる」
言われて鼻を見ようとするけれど、どうしても見えない。
土方さんは喉の奥で笑いながら、鼻の頭を指で拭ってくれた。
「あのな、それは舌で舐めるんじゃなくて、飲むんだよ」
「のむ?」
「口開けて、マグカップをゆっくり傾けてみろ」
言われた通りにしてみたら、喉の奥にミルクが入ってきた。
「にゃんか、きた」
飲み終わってから土方さんに向き直ると、土方さんはお利口さんだ、と頭を撫でてくれた。
僕は嬉しくて、キュッと目を閉じる。
「ひじかたさん」
「ん?どうした?」
「ぼく、ずっと言いたかった。ひじかたさん、だいすき」
土方さんは驚いたように目を見開いて、それから嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
「俺も好きだよ、総司」
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