「…お前、触れることはできるのか」
「はい?」
椅子に座った少年を見て土方が問うと、彼は不思議そうな顔をした。
「お前は、この世のもんに触れられんのかってことだ」
「あぁ、…はい、触れられますよ?別に、"オバケ"じゃありませんからね」
少年はやけにオバケを強調して言った。
相当根に持っているようだ。
「ほら、ね?」
そう言って、今度は土方の手を、包帯の上からつんつんとつついてくる。
が、局部麻酔が効いているのか、さっぱり感覚が伝わってこない。
「あー……分かんねえ」
「えー?全くもう…」
ぶつくさ言いながら、少年は今度は土方の頬をつんつんと触った。
「ね?わかりました?」
「あ、あぁ……」
少年の体温の温かさに、土方は内心驚く。
まさか血が通っているのだろうか。
本当に、姿かたちはただの男の子だ。
先ほどの一件がなければ、絶対に人間だと信じ込んでいただろう。
「……で、何から話せばいいですか?」
「ん、あぁ、自分で好きなとこから説明してくれ」
「僕、そういう頭の良さそうなことって苦手なんですよ。理論的な話とか、順序の良い説明とか」
少年は、少しだけおつむが緩そうだ。
「じゃあ、お前が天国に行ったとこからだ。そこから話してくれ」
土方は目を閉じて指示を出した。
いい加減、頭が疲れてくる。
「えっと、僕が死んだとこからってことですか?」
「あ?お前、死んだのか?」
「そうですよ?だから言ったじゃないですか。僕は元人間だって。まぁ、何で死んだのかは覚えてないですけど」
「マジかよ…じゃあお前、成仏したってやつか?」
「だから……!!」
また怒り出しそうになる少年を、土方は慌てて制した。
「悪い悪い、お前は一遍死んで、天使になったんだな?」
「そうですよ?でも、天使にはなれなかったんです」
「は?」
「未練がどうとかって神様に言われちゃって。それで、ここには置いてやれないからって、天国を追い出されちゃったんです」
「おいおい……」
どこまでも軽い口調で話す少年に、もっと真剣に受け止めろと諭す元気も湧いてこない。
「ほんと僕、どんな最期だったんだろう。相当酷かったのかなぁ」
「そりゃあお前、キリスト教ならアレじゃねぇか?自殺」
「え?そうなんですか?」
「はぁ?お前そんなことも知らねぇのかよ。っていうか、神様ってのはそういうことを教えてくれなかったのか?」
「なぁんにも?っていうか、自殺なんですか?」
「あぁ、キリスト教ってのは、自殺した奴のことは天国に入れてくれねぇらしいぞ」
何故こんなところで宗教について説明することになっているのか。
つい自嘲の笑みが漏れる。
「へぇ……」
少年は、目を見開いて驚いたような顔をした。
「でも、土方さん」
「あ?」
「あの、僕が自殺するような子に見えます?」
少年に聞かれて、土方は一瞬真剣に考えた。
そして、考えるまでもなかったと口を開く。
「まぁ、見えねぇよな」
「ですよね!」
そう言ってパッと顔を明るくして笑う少年を、土方は半ば呆れ顔で眺めた。
どこからどう見ても、悩みがあって思い詰めるようなタイプには見えない。
…とは言え、生前の彼がどんな性格だったのかを知る術は皆無だが。
「まぁ自殺じゃなくても、未練がどうこうって言われるってことは、気持ちのいい死に方ではなかったんだろうな」
「ふむふむ」
「ていうかお前、生前の記憶がねぇのかよ」
「はい、全く。だから、名前も年齢もなーんにも知りません」
「マジか……」
「あ、でも!名前は神様が教えてくれましたよ。僕、そうじって言うみたいです」
「そうじ?」
「はい。あとまぁこんな見た目だし、性別と年齢くらいは推測できますけどね」
土方は再び深々と溜め息をついた。
死後の世界というのはどれほど破天荒なのかと呆れ返る。
これでは無法地帯もいいところだ。
が、生前の記憶が全くないというのも寂しい話だと、少し哀れむ気持ちも湧いてきた。
「じゃあお前、寂しいだろう。家族とかも探せねぇってことだろ?好きな奴が生きてたとしても、見守ることすらできねぇじゃねぇか」
あっちの世界に生きている奴を見守る制度があるのかどうかは知らないが、ふと目の前の少年――そうじが不憫になって土方は言った。
「まぁ、そうですけど…」
「は……ちょっと死ぬのが嫌になったな」
「えー、記憶ないくせによく言いますよ」
「……それを言われるとぐうの音も出ねぇ」
土方は再びこめかみを抑えた。
頭の中が理解仕切れていない情報で溢れかえっている。
「でね、だからとにかく僕は堕天使なんです。分かってもらえました?」
「……分かったことにしねぇと頭がパンクする」
「よし、そのいきです土方さん」
にっこりと笑うそうじに、出てくるのは溜め息ばかりだ。
本当に、彼がただの幻覚だったらどんなにいいだろう。
「それで?……堕天使なんかが、俺に何の用だ。さっきお前、命の恩人だからどうとか言ってなかったか?」
「あー。まぁ、そうそう、そうなんですよ」
そうじはふう、と大きく一つ息を吐くと、改まったように土方を見てきた。
そのもったいぶった様子に、土方は眉を吊り上げる。
「僕、貴方のこと、助けちゃったんですよ」
土方は、今更もう何も驚かなかった。
その妙に引っかかる言い方だとか、どうやって助けたのかだとか、突っ込みたいところは山ほどあったが、いちいち相手をしてはいけないということは、この十数分で悟りきっていた。
「そうか。そりゃありがとな…………とでも俺が言うと思ったか?ちゃんと分かるように説明しろ」
「だからね、よくよく考えてみるとですね、堕天使みたいな疎まれるべき存在が、どこの馬の骨とも知らない人間のことを助けるなんておかしな話じゃないですか」
「そう、なのか?」
「そうですよ!だってそもそも、堕天使たるもの、人間に限らず生きとし生けるものの命を救うなんて、そんなだいそれたことしちゃいけないんですから」
半ば支離滅裂…というかいまいち趣旨が掴めないそうじの説明を、土方は再び目を閉じながら聞いていた。
でもまぁ、そうだろうな。
どこの堕天使が人助けをするっていうんだ。
地獄の事情は知ったこっちゃねぇけど、地獄の住人が命を救ったなんてのは、一度も聞いたことがねぇ。
あぁ、違うな、カンダタとやらは蜘蛛の命を助けてたな。
だがまぁそれは"宗教が違う"。
「そりゃ、地獄のルールかなんかか?」
「ルールなんてもんじゃありませんよ。絶対に破っちゃいけない法律みたいなもんです」
地獄にも法律があったことに、土方はかなり驚いた。
どこまでも無秩序で、阿鼻叫喚の空間だと思っていたのだが。
「その法律、みんな守るのか?」
「守ります守ります。破りたくなるような内容じゃないですし。むしろ、破った人を僕は知りませんよ」
「なのにお前は前代未聞の不祥事を起こしてまで馬の骨を助けたってのか?何でそんな馬鹿なことをしたんだよ」
馬の骨と言われて少なからずショックを受けたのは事実だが、そうじ相手にいちいち腹を立てていたらきりがない。
「それが、僕にもよくわかんないんですよね〜」
「はぁ?」
本当に、どこまで馬鹿なのだ、この少年(堕天使?)は。
土方は呆れ返ってそうじに目をやった。
別にからかっているわけではなさそうだ。
真剣に、分からないという顔をしている。
「何かね、僕たちのところに貴方の魂が来たとき、咄嗟に身体が動いてたんです」
僕たちのところというその表現に、土方は薄ら寒い思いをした。
それは要するに、地獄ってことだろう。
俺の魂は、一回そんなところまで行ってたってことかよ。
そこまで考えて、ふと疑問が湧いてきた。
「ちょっと待て、俺は何で地獄行きなんかになったんだよ。あれは事故だったって聞いたぞ?それに俺は神様の審判だって受けてねぇし……」
何を馬鹿なことを言っているのだ。
神様の審判って何だよ。
段々と正常な会話からズレていっていることに肝が冷える。
「あのね、貴方はまだ死んではいなかったんです。地獄ってのはね、天国とこの世界の間にあるんですよ」
「間?」
「生きているわけではない、確かに死んでるんだけど、天国には行けない人たちがいる場所ですからね。要するに、宙ぶらりんなんです。別に、地底深くにあるわけじゃないんですよ。だから、死にかけてる人っていうのは、天国に行くわけにいかないから、必然的に地獄を通過する羽目になるんです」
「何だそれ。そんなの初めて聞いたぞ」
「うん、でもね、ほんとですよ。生死の間をさ迷った人が見るのって、大体地獄の風景ですもん」
「…三途の川やお花畑がか?」
「だから、それ宗教違います」
「ああ」
これはいよいよ、この超常現象を信じざるを得なくなってきた。
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