翌朝、総司を除いた幹部全員が、朝餉の席に勢揃いした。
「どうだ、総司は大丈夫そうか?」
何も知らない近藤が、心配そうに聞く。
「傷口が痛むようでずっと寝ています」
口を噤んだままの土方の代わりに、斎藤が答えた。
「そうか……随分深く斬られたんだな」
近藤がハの字眉毛で呟く。
近藤は、今日から暫くの間出張に行くことになっていた。
一週間以上帰って来られないので、留守の間の総司の容態が心配なのだろう。
「あぁでも、総司がいない間の剣術師範と巡察は俺らが交代で上手く遣り繰りするから、心配しねぇでくれ」
永倉が快活に言うと、近藤は無言で頷いた。
「負担を増やしてしまって申し訳ないがよろしく頼む。まぁ、トシがついているし、大丈夫だと思っているんだが……」
「あぁ……近藤さんは何も心配しねぇでしっかり仕事をしてきてくれ。こっちのことは俺に任せてくれていい」
箸を動かす手は止めないままで、土方は淡々と話した。
「そう言えばトシ、総司とは仲直りできたのか?」
近藤の言葉に、土方はちらりと視線を上げた。
ざっと辺りを見渡すと、皆が顔を強ばらせているのが分かった。
「……あぁ、至っていつも通りだが…っていうかそもそも何で仲違いしたことになってんだよ」
土方は不機嫌そうな声を装って、近藤を見た。
すると近藤は慌てたように取り繕う。
「あ、いや…一昨日の総司の態度が妙だったからな、トシと何かあったんじゃないかと思って」
「……別に何もねぇよ。少なくとも、近藤さんに心配されるほどのことは何もねぇ」
土方がまた辺りを一瞥すると、案の定他の連中は不穏な空気を漂わせていた。
無理もない。
今土方は、局長、そして親友を欺くという、前代未聞の不始末をやってのけたのだから。
しかしそれも一重に、出張に行く近藤を気遣ってのことなのだ。
出張中の気負いは最小限に抑えてあげたい。
総司が足を怪我したことだけで充分だ。
仕方あるまいと、土方は自分に言い聞かせた。
「そうかそうか、何でもないならいいんだが……昔からお前たちが喧嘩すると、仲直りまで一筋縄ではいかないからな、心配していたんだ」
「そりゃあ昔の話だろうが。今更引っ掻き回さねぇでくれよ」
土方は苦笑することで誤魔化した。
冷や汗がべっとりと背中を伝っている。
「それじゃ、後で総司の所に顔だけ出してから出掛けることにしよう。昨日は出発の準備で忙しくて、見舞ってやることもできなかったからな」
これには全員が慌てふためいた。
近藤には、総司の声が出なくなったことすら伝えていない。
近藤が帰ってくるまでに、万事丸く収まっていればいいと、そう思っていたのだ。
「あー、近藤さん、」
「総司は多分、その………」
「何だ、総司がどうかしたのか?」
皆の要領を得ない対応に土方は溜め息を漏らすと、徐に立ち上がって言った。
「じゃあ、俺は一足先に総司の様子を見てくる。朝飯も運んでやらなきゃならねぇからな」
「しかし副長、」
「何だ、斎藤」
「俺が行きましょうか。部屋も近いですし」
「いや、いい」
土方は斎藤に目配せした。
近藤に、総司との仲がいたって普通だと信じ込ませる為にも、今行くのは自分であるべきだ。
「……分かりました」
斎藤は土方の意図を汲み取ったのか、大人しく引き下がった。
「ではトシ、出発前に顔を出すからと伝えておいてくれないか?」
「……あぁ、分かった」
土方は広間を後にした。
*
「総司、入るぞ」
了承も待たずに、土方はさっと総司の部屋に入った。
「っ……!」
起きていたのか、横たわっていた総司が吃驚して飛び起きる。
「別に長居しねぇし、何も言わねぇから安心しろ」
そんな総司を見て、宥めるように土方は言った。
「腹が減ってるんじゃねぇかと思って、朝飯を持ってきた」
ほら、と土方はお盆を差し出す。
それを総司は、困惑した顔で眺めた。
どうして自分を捨てたはずの土方が、こんなにも優しいのか。
それがどうしても理解できなかった。
そして、また偽の愛情に傷つくのは嫌だと、自分の殻に籠もろうとした。
「何か食え。じゃねぇと体調まで悪くなるぞ」
土方は一向に動く気配のない総司に痺れを切らし、溜め息を吐きながら食事を布団の横、総司がすぐ取れる位置に置いた。
「…まぁいい。絶対食べとけよ」
それから付け足すように言った。
「総司、これから近藤さんがここに来るかもしれねぇ。出張前に、一度顔を見ておきてぇらしい」
近藤という名に、総司は大袈裟に体を震わせた。
それを見ながら土方は続ける。
「けど、近藤さんには何も言ってねぇ」
総司は、不思議そうに首を捻った。
「お前の声が出なくなったことも、俺たちの間にあったことも、近藤さんは何も知らねえんだ」
総司は微かに眉間に皺を寄せる。
「分かるだろ?近藤さんに余計な心配をさせねぇためだ」
土方が総司に労るような視線を送ると、総司は困ったように眉を下げた。
それから小さくこくりと頷いてみせた。
「よし、いい子だ。こちらでも上手く対処しておくが、もし近藤さんが来たら、辛いだろうが寝たふりでもしとけ」
総司はまた頷いた。
それを見て、土方はすくっと立ち上がった。
それを総司が目で追う。
「じゃあ………………俺は行く」
土方は何か言いたそうに口を動かしたが、結局何も言わずに部屋を出て行った。
*
「あ、土方さん」
「おぉトシ、総司はどうだった」
土方が広間に戻ると、全員が一斉に土方を見た。
土方は少しだけ返答に躊躇してから、静かに口を開いた。
「それが、寝ちまってて駄目だった。何回か起こしたんだが、疲れてんのかまるで起きる気配がねえ」
「そうか……」
寂しそうに口を噤む近藤を見て、土方は胸がきりきりと痛むのを感じた。
しかし、今の総司を近藤に合わせるわけにはいかない。
「ったくあの寝坊助……」
そう言う土方の声が微かにもの寂しさを孕んでいたことには、土方自身ですら気付かなかった。
「いや、いいんだ。総司が元気ならいいからな。いっぱい寝れば、その分早く治るってものさ」
近藤は快活に笑った。
「じゃあ、俺は行ってくることにしよう」
「あぁ、留守は任せてくれ」
それから皆で近藤を見送った。
「いやぁ、ひやひやさせられたぜ!」
近藤が行ってしまうと、一番に藤堂が口を開いた。
「仕方ねぇだろ、近藤さんは総司のことが大好きなんだから」
「いや逆だろ」
「お前ら軽口を叩いてる暇があったら仕事しろ、仕事」
土方がぎろりと睨みを利かせると、皆が静まり返った。
「分かってるだろうが、近藤さんが帰ってくるまでに片を付けなきゃならねぇんだ。時間はあまりねぇぞ」
「では早速、俺は市中見回りをしてきます。永倉、行こう」
「あ、おい!待てよ!」
永倉が斎藤を追いかけて廊下を走って行く。
「俺と平助は総司の見張りだったな」
「おっしゃ、やってやろーじゃねーか!」
土方は頼む、と頷いて自室へと足を向ける。
それから藤堂と原田を振り返って慌てて付け足した。
「おい、総司がちゃんと飯食ってるかも見てやってくれ」
原田は苦笑しながら頷いた。
「出たな、過保護土方さん」
「どこが過ぎた保護なんだよ。当たり前のことだろうが!」
土方は怒鳴り散らしてから、ずしずしと足音を立てて退散した。
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