総司のことは気になったものの、いつものように仕事が山々と滞積していた土方は、一人部屋に籠もり机に向かっていた。
というよりも、何かをして気を紛らわせていないと、とても耐えられそうになかったのだ。
昨日、島原に向かった時点で、何となくこうなったら嫌だという予感がしていた。
そして、嫌な予感というものは、大概現実になるもので。
自分と総司の仲が破綻したことよりも、足を負傷しただけでなく、声まで失ってしまった総司が気になって、心配で心配で堪らなかった。
そして、そうさせてしまったのが、他でもない自分自身だということがまた、土方を苦しめるのだった。
あの時、島原の廊下を一目散に走っていった総司を見て、咄嗟に止めなければ、と思ったのに、少しも身体が動かなかった。
たかが、終わりにしようと言われただけで。
触らないでと言われただけで。
どうしようもなく、心が痛んだ。
今まで何人も女と関係を持ち、色恋ごとで知らないことは何もないと思っていたほどだったのに、あのような痛みは初めて知った。
自分で思っているよりもずっと深く総司を愛していて、もう総司なしではいられないのだということを、あの時初めて実感した。
実感したと共に、いくら総司のためとはいえ、彼をないがしろにしていた自分に酷く腹が立ったし、非常に大きな喪失感に苛まれた。
頭が真っ白になって、普段隊務でどんなに厄介ごとが起きようと卒なくこなしてきたことが嘘みたいに、もう何も出来なくなってしまった。
あの時の、総司の苦しそうな、それでいて何もかも悟りきったそうな儚い顔が、頭から離れないのだ。
悔いても、謝っても、何を言っても、もう元には戻れないのか……?
そんなことを堂々巡りに考えていると、襖の向こうから声がかかった。
「副長、山崎です」
土方は思考を止めて入室を促した。
「仕事中に申し訳ございません」
「いや、いい。それより何かあったか」
土方は緊張した面持ちで山崎を見た。
「は、実は、昨日沖田組長が襲撃された件でちょっと。早めにお知らせした方がよいかと思いまして……」
「何だ、やつらと関係してたか?」
「ど、どうしてそれを……」
土方の言葉に、山崎は驚きを隠せない。
「いや…ただの勘だ。あの時総司があそこを通ることを知っていたのは、常に付け狙っていたからだと考えるのが妥当だろ」
「はい、確かに。仰る通りです」
土方は深々と溜め息を吐いた。
「俺が……帰しちまったからな」
「そんな、副長の所為ではありません。副長はすべきことをしたまで、全ては偶然に起こったことです」
「偶然、か」
「沖田さんは生きているんですし、それよりも今後のことを考えるべきです」
はきはきと答える山崎に、土方は苦笑した。
そう言えば、山崎はあまり総司とそりが合っていなかったような気がする。
「山崎お前、総司のことを、あまり悪く思わねぇでやってくれ。あれはただ餓鬼っぽいだけなんだ」
「いえ……沖田組長のことは…尊敬しています。私生活はあまり褒められたものではありませんが」
それは暗に、土方に対する態度が酷いと言っているように聞こえた。
土方は再び苦笑すると共に、不意に物寂しい気分になった。
このまま総司の声が戻らなかったら…いや、それ以前に、総司との関係が元に戻らなかったら、もう二度と下らない悪戯をされることもないだろう。
そう思うと、酷く遣る瀬ない気持ちになるのだった。
「心中お察しします。さぞ…心配でしょう」
土方が黙って畳の目を眺めていると、山崎が遠慮がちに言った。
「あぁ……そうだ、な………心配だ」
真実を知り、土方の心を理解できる立場にあるのは、今のところは山崎だけだ。
「お前にも、仕事ばかりさせちまってすまねぇと思ってる。ありがとな」
土方の言葉に、山崎は微かに顔を綻ばせた。
「いえ、副長こそ。あまり仕事ばかりしていると、倒れてしまいます」
その言葉に、土方はまた総司のことを思い出した。
思えばよく、土方の体調を心配してくれていた。
一見生意気を言ってからかっているだけのようで、その実仕事ばかりの土方のことを気にかけてくれていたのだ。
そういう素直ではないところが、総司らしくて…意地らしかった。
「おい、山崎」
「は、」
土方は拳を握り締めながら言った。
「絶対に、総司を守るぞ」
山崎は突然の土方の言葉に少し驚いていたが、やがてこくりと頷いた。
*
夜が更けてもまだ机に向かっていた土方の頭を占めるのは、相変わらず総司のことばかりだった。
一向に進まない筆を置くと、そろそろ寝るかと、土方は重い腰を上げた。
押し入れから布団を引っ張り出して敷いていると、再び襖越しに声が掛かった。
「土方さん、いいか?」
遠慮がちに開けられた襖の向こうから、永倉、斎藤、藤堂、原田が恐る恐る土方を見ている。
何となく用件を察した土方は、寝るのを諦めて溜め息混じりに入れと呟いた。
「すまねぇな、夜遅くに」
「どうした、幹部が揃いも揃って」
白々しくも聞いてやると、四人は顔を見合わせて黙り込んでしまった。
単刀直入に話も切り出せないのか、と情けなく思いながら、土方は仕方なく別の話題を出してやった。
「どうだ、総司の奴は」
土方は、あの時沖田に拒絶されてから、律儀に総司の要求を呑んで、一度も総司の部屋に行っていなかった。
だからこそ、どうしているか心配で仕事もろくに手につかない始末だったのだが。
「あ、いや………」
「元気、なんだろうけどさ…」
「足も、膿まずに済んだみてぇだしな」
ちらちらと顔色を伺うように視線を送られて、土方は居心地が悪くなった。
「なぁ、土方さん……」
原田が、遠慮がちに口を開いた。
「何だ」
「…俺たちに、どうしても言ってくれねぇのか?」
「………何のことだ」
「その……仕事の内容のことだ」
土方は顔を上げて四人を見据えた。
「……やっと本題に入る気になったか」
「い、いや、俺たちだって遠慮して、な?」
「あぁ、聞いちゃ悪いのかとか、どうしても言えないのかとか、色々考えたんだぜ?」
土方は黙って聞いていた。
「でも、なぁ、俺たち…仲間だろ?」
「俺たちって、そんなに信用がねぇのか…?」
「俺、何かできることがあったら何でもやるぜ?」
「副長、こういう時こそ皆で力を合わせるのが得策かと思われます」
土方はふう、と息を吐いた。
いずれは言われるだろうと、覚悟していた。
この四人は試衛館からの仲だから話しても大丈夫かと、土方はずっと思案していたのだ。
「いいぜ、話す。但し、口外無用だ」
土方は開いていた障子をしっかり閉めると、重々しく口を開いた。
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