長編2 | ナノ


[10/10]



気の抜けた炭酸のような総司を見続けて、もうすぐ一年になる。

元通りに落ち着いて閑散としている役所の机で、平助は毎日総司を観察していた。

いや、観察というよりは監督と言った方がいいかもしれない。

別段土方から頼まれた訳ではなかったが、彼がいなくなることで、確実に落ち込んで極限状態になるであろう総司を見守るのは、何故か自分の役目のような気がしていたのだ。

もっとも平助とて、土方が"いなくなる"というのがまさかあんな意味だったとは、想像すらしていなかったのだが。


幸いにも、土方から何か言われていたのか、総司は土方の後を追うような真似は一度もしなかった。

少なくとも、平助の知る限りではそうだ。

が、自殺に走らないからと言って彼が元気な訳では決してない。

スタンドが下がったまま、空回りするだけでいつまでも前に進まない自転車のように、彼の時間は一年前で止まったままだった。

腑抜けた顔で、毎日ただ呼吸をしているだけのような総司を見ているのは、正直かなり辛い。

しかしどうやって元気づければいいのか分からないのもまた事実で、平助を始め、周囲の人間は皆手をこまねいて見守ることしかできなかった。



その日も、平助は総司を無理やり昼食に誘い出していた。

放っておくとろくに食事もしないことは、この一年で十分に分かっている。

死んだ魚のような目で黙々と食事する総司を見ていると、土方さえ居てくれたら…といつも思うのだが、もちろんそんなことはもう二度と叶わない。


「総司、野菜もちゃんと食えよな」


恐らく今までは土方が言っていたであろう台詞を投げかけると、総司はのろのろと視線を上げて、微かに微笑んだ。


「まさか、平助にそんなことを言われる日がくるなんてね」

「仕方ねぇだろ!総司誰かが言わないと食わねーし」


誰かという言葉に、総司が露骨に反応する。

一瞬目の奥で光が閃いた後、その表情はいつもの"死んだ魚"に戻った。


「さ、最近よく眠れてるのか?」


取り繕うように聞くと、総司はきょとんと目を丸くして笑いだした。


「何それ。平助こそよく眠れないから身長伸びなかったんじゃないの?」


言われた内容には盛大にムカついたが、元気な反応で何よりだ。

平助は、あの日から数ヵ月間総司がほとんど眠れていなかったのを知っている。

夜の暗闇の中で一人になると、どうしても土方のことを思い出して涙が止まらなくなってしまうのだと、こっそり打ち明けてくれたことがあった。

そうでなくとも、泣き疲れたような顔で仕事に出てくる総司を、平助は何度も目にしてきたのだ。


「お前大概失礼だよな!ったく、こっちは心配してやってるっていうのにさ」

「あはは、ごめんごめん。だけど、心配はいらないってずっと言ってるでしょ」

「それはそうだけど……」

「僕だって、少しずつ成長してるんだから。平助も成長しなよ、縦に」

「なっ……!」


平助がいきり立つと、突然総司が声のトーンを変えた。


「……もうすぐ一年だね」


思わぬ言葉に、息を詰まらせる。


「え?」

「……黄泉がえり。まさか、忘れたわけないよね?」

「ねぇよ!ねぇけど、そうじゃなくて、」

「そうじゃなくて?」

「た、ただ、総司の口からその話題が出るのが意外でさ……」


そうかもね、と総司は小さく呟いた。

その、諦めているのかすでに昇華させたのかイマイチ分からない曖昧な態度を、平助は緊張しながら見守る。

すると、総司も顔を上げ、平助に向かって笑ってみせた。


「黄泉がえり、また今年も起こらないかな?」

「……」

「何であんなことが起きたのか、結局分からなかったもんね」


総司は黄泉がえりが再び起こることを望んでいるのだろうか。

平助が測りかねていると、総司はすんなり答えを言った。


「まぁ、僕はもう、黄泉がえりなんてなくていいけどね」

「そうなのか……?」

「あんなの、ただの虚しい夢みたいなものだしさ」


確かにな、と思う。

総司にとっては、再び黄泉がえりが起きたところで、大切な人たちと永遠に一緒にいられる訳ではないのなら、そんなものは何の意味もなさないのだろう。

彼は一年前に全てを失ったのだ。

生きる目的も、生きていたいと思える理由も。

それでも総司が生きようとしているのは何故なのか。

逆にそれが不思議でもあった。


「まぁ、とっても良い夢なんだけどさ。目覚めたくなくなっちゃったら困るでしょ」


そうだな、とは平助には言えなかった。

総司が目覚めたくないことなど、とうに分かりきっている。

それでも頑張って生きているからこそ、健気で、痛々しくて、見ている方が辛くなってしまうのだ。

平助が何も言えないまま会話は途切れ、皿が空になったところで食事も終わる。

二人は会計を済ませ、食堂を出た。


「そういえば、今日夕方から雨らしいぜ。総司傘持ってる?」


仕事に戻りがてら平助が聞くと、総司は首を横に振った。


「えー、持ってないのかよ!?」

「だって、天気予報なんて見てないもん」

「ほんっとお前ってヤツは……!」

「お前ってやつは、何?」

「いや、その、まぁ、何でもない」


あ、誤魔化した。と睨まれる。


「ったくもー、仕方ねぇから、一緒に帰ってやることにするよ!」

「えー?平助と一緒に帰るの?僕傘に入れてなんて一言も頼んでないけど?」

「お前ほんとムカつくやつだな!そこは恭しくハイありがとうございますって言っとけよな!」


はいはいと煩そうにしながら、総司は仕事に戻っていった。

総司も成長している、か。

それは強ち間違いでもないのかもしれない。



***



果たして、夕方からバケツをひっくり返したような土砂降りの雨になった。

大気が湿気を抱えきれなくなったらしい。

これでもかというほどに屋根と地面とを叩きつけている。

が、長引きそうな雨でもなかった。

土方が戻ってくる直前も、こんな雨が降っていたかもしれない。

懐かしく思い出しながら、仕事を終えた総司と平助は、二人並んで砂利道を歩く。

一つの傘に入るには雨が強すぎて、お互いシャツが濡れて変色してしまっていた。

すごい雨だね、と話しかけてくる総司の声もよく聞こえない。


「ねぇ、――――かない?」

「え?何て言ったんだ?」


平助は隣を見上げて問いかける。


「お墓参りに行かないかって言ったんだよ!」


雨音に負けじと怒鳴り返してくる総司を、平助は呆気に取られてまじまじと見つめた。


「この雨で!?」

「いけない!?」


いや、行くのは百歩譲って構わないが、行ったところで献花も焼香もできないであろうことは火を見るより明らかだ。


「行ってどうするんだよ!?」


押し問答を続ける間にも、総司はどんどん墓地に向かって歩いていってしまう。

平助が傘から飛び出してしまっても容赦なしだ。


「別にどうもしないけど。毎月行ってるから」


小さく呟かれたはずの総司の言葉は、不思議と平助の耳にすんなり飛び込んできた。

平助は妙に納得して口をつぐむ。


「平助はお彼岸以来行ってないでしょ?」


ちょうど良い機会だよね、と疲れたように笑う総司から、目をそらすことができなかった。



坂道を上り、墓地に入る。

土方の墓は、遺された者の配慮から近藤の隣に作られた。


「去年はさ、土方さんと一緒に、近藤さんのお墓にお花あげたんだ」


未だに強い雨の中、総司と平助は並んで墓を眺める。

以前、土方に話したことがある。

墓に手を合わせる行為に、何の意味があるのかと。

しかし、総司はその答えを苦しいほどに痛感していた。

近藤が亡くなった時も、土方が亡くなった時も。

そうすることでしか、安らげなかった。

何をしていても彼らのことが心にあるから、彼らと向き合うことを許されるこの純粋な瞬間にしか、安らぎを見いだせなかったのだ。


「俺さ、土方さんなんて刺しても死なないくらいに思ってた」


平助は総司の顔色を伺いながらポツリと言った。


「僕もだよ。土方さんて、致死のウイルスばらまかれても、生肉大好きなゾンビパラダイスに放り込まれても、何故か一人だけ生き残っちゃいましたっていうタイプの人だと思ってた」


総司は怒ることも傷つくこともなく、穏やかに笑っている。

そんな表情を見るのは実に久しぶりで、平助は思わず目を瞠った。

ここに来ている時だけは、総司も素の自分を出せるのだろうか。


「ゾンビパラダイスって何だよ」

「何かのゲームになかったっけ?」

「ゲームねぇ」


ゲームなら良かったんだけどな、とは口に出せなかった。

死んでも死んでもゲームオーバーになるだけで、プレイヤーはまたセーブポイントからやり直せる。

しかし現実にセーブポイントなどない。

黄泉がえりは奇跡だった。


「なんだかさ、土方さんて死んでも死んでも出てきそうだよね、代替機が。土方歳三、歳四、歳五って。ちゃちゃっちゃっちゃちゃっちゃ!って。土管工の兄弟みたいに」

「ぶはっ……何だよそれ」


本人の墓の前で、笑うでもなく至って真面目にそんなことを言うなど、だいぶ失礼ではないだろうか。

まるで、本人を前にしたかつての総司のような言動に、平助は懐かしさを覚えた。

いや、実際今総司は土方と話しているのかもしれない。

そして土方も、何てこと言うんだと腹をたてつつ、あの鋭い目を優しく細めるのだろう。


「まぁ、強がっても自分に嘘はつけないんだけどね、空元気でも出してないとほんとやってらんないからさ、誰かさんの所為で」


総司はブツブツと呟きながら、徐にズボンのポケットに手を入れると、中から土方が好んでいたタバコを取り出した。


「はい。月に一本ですからね」


そう言って箱から一本取りだし、雨でびしょ濡れの墓前に無造作に供える。

これでは向こうで火をつけたくてもつかないだろうと平助は思う。


「月一って……あのヘビースモーカーの土方さんがねぇ」

「もしかしたら、今頃禁断症状出て苦しんでるかもね」


平助が思わず苦笑すると、総司は満足気に口許を歪めた。



墓からの帰り道、雨足は行きよりもだいぶ弱くなっていた。

墓を出たきりだんまりを決め込んでいた総司が、坂を下りきったところで突然口を開く。


「きっと僕はもう、これ以上不幸になることなんかないんだよね」


果たして肯定していいものなのか、平助は考えあぐねた。

その間にも、総司は独り言のように訥々と言葉を紡いでいく。

きっと、毎日こうして自問自答を繰り返し、何とか現実を受け入れようと努力してきたのだろう。


「だって、後は幸せになるしかないもんね。僕にとっては死すら不幸ではないんだから。やっとあの人たちと同じところに行けるっていう喜びなんだ」

「それは、あんまり喜べねぇけどな、俺としては」

「まぁ、安心してよ。死なないから。土方さんと約束したんだ。僕は幸せにならなくちゃいけない」

「そうだったんだ」


それは初耳だ。


「いつか向こうに言ったときに、うんと誉めてもらうつもりなんだ」

「…そうだな」

「あ、虹だよ」


突然総司が声をあげた。

つくづくマイペースな男だ。

傘を傾けて、下から覗き込むようにして空を見上げている総司に倣って、平助も顔を上げてみた。


「ほんとだ」


虹だ。確かに虹が出ている。

いつの間にか雨も止んでいた。


「なんというか、そこまで珍しいものでもないのに、見つけると嬉しいよなぁ」


涙の後でしか見つけられない小さな幸せ。

お前は幸せになれと言ったいつぞやの土方の言葉を彷彿とさせるようで、総司は暫く虹を見上げたまま立ち尽くしていた。

下を向いたら、涙が溢れてしまいそうだったのだ。


「…土方さんは、まだ死んでないよ」

「えっ……」


盛大に面食らって訝しそうな顔をしている平助に、総司は確固たる意思を持って伝える。


「土方さんのことは、僕がずっと覚えてる。この村のみんなが忘れちゃったとしても、僕だけは、僕が死ぬまで忘れない。土方さんが死ぬのは、僕が死ぬ時だ。だから、土方さんは生きてるよ、ずっと」

「そう、だな……俺も、忘れない。みんな、絶対忘れねぇよ」

「そうだよね。僕一人じゃないよね」


二人は頷きあって、どこか清々しいような気持ちになりながら再び歩を進めた。

雨はすっかり止んでしまい、今やもくもくとたち込めていた雲も吹き飛ばされて、傾いた太陽が濡れた地面を干上げる勢いで照りつけ始めている。


「あっちぃな」

「ジメジメするね」


言葉少なにのんびりと歩きながら、二人はやがて各々の自宅への岐路までやってきた。

総司は傘を器用に括ると、平助にハイと差し出した。


「傘、ありがとね」

「え、あ、うん?」

「何?その"僕がお礼言うなんて意外です"みたいな顔は」

「いや、まさしくその通りだし」

「失礼だね。僕だって平助には感謝してるんだよ、これでも」

「そ、そりゃあどうも……」


平助はもじもじと頭をかいた。

総司の言葉に込められた意味には、十分すぎるほど気付いていた。


「……じゃ、また明日ね」

「おう!またな!」


総司はひらひらと手を降ると、平助に背を向けて歩き出した。

凪いだ風が穏やかに木々を揺らす。

濡れた地面からむわっと雨土の匂いが立ち上ってくる。

思えば一年前も、蒸し暑い中を一人でこうして歩いていたような気がする。

黄泉がえりのことで頭がいっぱいだった。

もしかしたら近藤にまた会えるかもしれない、そうしたら、土方もまた戻ってきてくれるかもしれない。

突然変異起こった異常現象の所為で、何故か全ての願いが叶うような気になっていた。

しかし、土方は本当に帰ってきた。

彼は変な思い込みで自分を責め立てていたからきっと分かっていなかっただろうが、総司は心から嬉しくてたまらなかったのだ。

過去のことなどどうでもいい、ただ土方がいてくれるという、それだけで良かった。

何しろ、ずっとずっとまた会いたいと願い続けていたのだから。

そして一年経った今も、総司の思いはさして変わってはいない。

土方に会いたいと、二度と叶わない思いを抱えながら、それでも生きていくしかないのだと、懸命に自分を奮い立たせているだけだ。

変わっているようで何も変わっていない、しかし、変わっていないようでどこか変化している……。

そういう一年を積み重ねて、少しずつ成長していくのだろう。

いや、成長していきたい。

いつか、また必ず会える日はくるはずだから。





「総司」


ふと、懐かしい声が聞こえたような気がして、総司はゆっくりと後ろを振り返った。





がっつり死ネタ書いてしまいました……。

不快に思われた方、本当にごめんなさい。
でも、黄泉がえりの映画を見たらもう涙が止まらなくて、すっごい感動したんです。
これ土沖でやりたいなーってずっと思ってました。
あと、主題歌が土沖っぽくて、サビ聞いてると江戸に残された総司の気持ちになってものすごくしんみりします。

土方さんに黄泉がえってもらったのは、総司にも遺される立場になってもらって、幕末で土方さんが抱えたであろう思いを経験させてみたかったからです。いつも土方さんが辛い思いをしてばっかりなので、個人的に彼が先立つバージョンを見てみたくなってしまって……
でも書いてみて思ったんですけど、やっぱり死ネタは苦手です(笑)
もう土方さん毎年毎年しつこいくらい黄泉がえってきて、総司にいい加減大人しく眠っててよ!って言われればいいよ……

ここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました!




*maetop|―




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