総司から電話がかかってきたのは、ちょうど近藤の家から引き上げてきた時だった。
髪の毛一本でもいいからと血眼になって家中探し回ったのだが、"黄泉がえり"に役立ちそうなものなど何もなく、土方は意気消沈していた。
最早、墓荒らしに乗り出すことくらいしか方法がなくなってしまった。
が、流石の土方も、友人の墓を掘り起こすことだけはしたくない。
かと言って、せっかくのチャンスをむざむざ無駄にしたくもない。
近藤に謝って、総司と近藤を再び逢わせてやりたい……。
そんなことばかりぐるぐると考えて、実家に帰る気にもなれず、土方は夕暮れの中を宛てもなく歩き回っていた。
もう日はかなり傾いている。
明日には、ここを発たなくてはならない。
土方に、時間はほとんど残されていなかった。
そんなところへ、電話がかかってきたのだ。
何を話せばいいかも分からないまま、何か黄泉がえりに関して急展開があったのかもしれないと、土方は力なく通話ボタンを押した。
『土方さん……?』
電話の向こうの声は、酷く震えていた。
今にも泣き出しそうなほど―――いや、実際泣いているかもしれない。
それほどに、か細く弱々しい声だった。
「どうした、何かあったのか?」
そういえば、今日総司は直接県警に呼び出されたとか言っていた。
何か、とてつもなく重大なことでも発覚したのだろうか?
土方が思わず身構えるほど、総司は酷く怯え、取り乱していた。
『土方さん、今どこにいるんですか?』
「……近藤さんの家から帰るところだ」
一瞬迷った後に、土方は正直なことを告げた。
ここまできて、総司に隠す必要もないだろう。
『何でまた………っまさか、近藤さんのこと、黄泉がえらせようとして…!?』
「あぁ」
短く肯定しながら、土方は道端に転がっていた大きな石に腰掛けた。
何だか急に、立っているのが辛くなったのだ。
『………もういいんですって言ったのに』
泣き笑いしているような鼻づまりの声で、総司は言った。
何がそんなに悲しいのか、土方には分からない。
「総司………お前、何があった」
徐々に総司の不安が伝染してきて、思わず声をひそめる。
真夏だというのに、妙に自分の周りだけ空気が冷えたような感覚がした。
『僕、土方さんに会いたいんです』
総司からは的を射ない解答が返ってきた。
これは暫く調子を合わせてやらなきゃならねぇな…と土方は腹を括る。
「会いてぇ、か」
『今から帰るんで、家で待っててくれませんか?』
「それでもいいが、今日は祭りに行くんじゃねぇのか?だったら会場で落ち合った方が早いと思うんだが」
土方の提案に、総司は「会えれば何でもいい」と返してきた。
跳ねっ返りの彼にしては珍しく、実に弱気で素直な返事である。
嬉しいような、どこか不安感が拭えないような複雑な気持ちになりながら、土方はできるだけ優しい声で電話を切った。
きっと、県警で何かあったのだ。
もしかしたら、黄泉がえりとは全く関係のない、個人的な用件――例えば近藤絡みのことで呼び出されたのかもしれない。
いつだって飄々としているあの総司が取り乱すなど、それ以外の理由は考えられないだろう。
土方の中で、最早その疑惑は確信に変わりつつあった。
そしてちょうどその時、土方の体が平衡を失ってぐらりと傾いた。
***
「これ、土方歳三さんの物で間違いないですか?」
遡ること数十分前。
無事県警本部に辿り着いた沖田は、通された会議室のような部屋で、思わぬものを突きつけられていた。
定期入れ――濃い紫色をした革製のそれは、赤黒い、何か不吉めいたものがこびりついて、酷く汚れていた。
「どうです?ちょっと酷い状態なんですが、分かりますか?」
沖田には見覚えがあった。
これは、他でもない、自分が買ったものだ。
もう十年近く前のことだけれど。
土方の誕生日にあげようと思って、わざわざ遠くのデパートまで赴いたのだ。
色も、沢山並んでいた中から、店員が困り顔をするほど悩んで、土方に似合うものを選んだ。
分からない訳がなかった。
これは、間違いなく土方のものだ。
沖田は刑事の質問に首肯することすらできないで、真っ青になって固まっていた。
これ――この、べっとりこびりついてるのって、明らかに血じゃないか。
一体誰の血だよ。
何で土方さんの定期入れについてるんだよ。
そもそも、どうして土方さんの定期入れが、こんなところにあるんだよ。
沖田は、色々なことを考えては一々青ざめ、最終的には立っていられなくなって、近くの椅子に座り込んだ。
「大丈夫ですか?沖田さん?」
名前を呼ばれて、沖田はハッと顔を上げた。
「あの………ハイ、それ、は…土方さんので……間違いないと思います…」
「そうですか……」
それが何を意味するのか、沖田は十二分に予想できた。
心では全面的に拒否していたが、受け入れざるを得ない現実が目の前に横たわっている。
刑事が悲痛そうな顔を作ったのを見て、沖田の中の絶望は更に大きく膨らんだ。
「実は……」
続きなど聞きたくない。
耳を塞いでしまいたい。
ここから急にハッピーエンドが訪れそうな気配など皆無だというのに。
沖田の心はメリメリと引き裂かれるように痛んだ。
「沖田さんには、本当にお辛いことだと思うのですが、実はこの定期入れは、ガードレール横の崖下の斜面から見つかったんです」
「崖、下……」
「えぇ…それで、……」
刑事は辛そうに眉尻を下げ、声を詰まらせながら喋った。
「数日前に降った雨の所為で、地面が酷く濡れていたんですよ。そうでなくとも、あそこの道は勾配がある上、急カーブですからね…前々から事故が発生しやすい箇所ではあったんですが…」
沖田の耳には、刑事の説明など半分も入ってきてはいなかった。
勾配、急カーブ、事故………事故。
「因みに、これも後部座席に残っていたものなんですが…」
呆然とする沖田の前に、刑事が新しいビニール袋を差し出す。
それは、一見したところでは何だか分からないほどに血で汚れて潰れてしまっていたが、よく目を凝らすと、銘菓と書かれた箱だというのが見てとれた。
そういえば、土方が帰ってきた初日に、お土産がないとか何とか言っていた。
あれから彼は、コレを探して回ったんだろうか?
沖田はすっかり忘れていたからもちろん探していなかったが、土方も探してるような様子はなかったような気がする。
「……お悔やみ申し上げます」
お悔やみって何?何を悔やまなきゃならないの?
土方さんはどこ?
土方さん、今朝まで、そりゃあ近藤さん絡みのことでは悩んでたけど、あんなに元気そうにしてたじゃないか。
確かに生きていたじゃないか。
キスだって抱擁だってしたんだから。
沖田は混乱して、定期入れとお菓子の箱を見つめた。
土方は確かに温かかったし、発する言葉や仕草も一つ一つが本物だった。
ならば、目の前のこれはなんだと言うのだ。
そこまで考えて、沖田はハッと顔を上げた。
まさか…………。
心はその可能性を否定したがったが、証拠品用のビニールに入れられた定期入れと銘菓の箱、そしてそこに付着している物を見れば、何が起きたのかは火を見るより明らかだった。
「そんな………」
土方さん、やっと帰ってきてくれたんじゃなかったの?
過去を清算して、その上で、今でも好きだって言ってくれたじゃないか。
そりゃあまたすぐ遠くに行くとは言っていたけど、アレはこんな意味ではなかったはずだ。
こんな……次元も時空も通り越したような、本当に、二度と会えなくなるような、そんな意味ではなかったはずなのに。
それとも、彼は最初から知っていたんだろうか――?
沖田は呆然と虚空を見つめ続けた。
土方の遺体は、崖下でひしゃげて潰れていたタクシーの中から見つかったそうだ。
殆ど人通りがない上、事故の目撃者すら皆無だったために発見が遅れたのだという。
土方は新幹線を降りてからタクシーを拾い、それで実家まで戻ろうとしたらしかった。
これらは全て、霊安室で刑事が教えてくれたことだ。
沖田はそこで土方の顔を見せてもらったのだが、血まみれだったはずの遺体は既に綺麗にされており、あちこちにできている掠り傷も、全て目立たないように処理してあった。
普段から白かった肌は一層青白く陶器のようで、その美しく整った顔立ちを一際目立たせている。
……本当に、ただ眠っているだけのように、安らかで綺麗な顔をしていた。
死の瞬間、土方は一体何を考えていたのだろう。
どうしてこんなにも穏やかな顔をしているのだろう。
沖田は理解できなかった。
試しに、滑らかな頬に触れてみる。
が、そのゾッとするような冷たさにさっと手を引っ込めた。
これは土方ではない、何か別のモノだ……。
自分の知っている土方は……あの、温かい土方は、一体どこに行ってしまったというのだろう?
もう二度と、あの温もりを感じることはできないのだろうか?
沖田の心を、静かに絶望が包み込んでいく。
「本当に、お悔やみ申し上げます」
刑事は繰り返しそう言った。
後からノブが夫と共にやってきて、土方の顔を見るなりワッと泣き崩れたりもした。
今まで彼女が泣いたところなど見たこともなかったが、それを目の当たりにしても尚、沖田には全てが現実離れしたフィクションのように思えていた。
否、そう思わないことには、息すらできなくなりそうだったというのが正しい。
土方自身も、黄泉がえりだったなんて。
そんなの、馬鹿げた冗談だろう。
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