捧げ物 | ナノ


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あぁ、堕ちる。

そう思った時には、もう堕ちるところまで堕ちていた。











嘘を吐く一番の秘訣は、自分がそう思い込むことだ。

誰よりもまず自分を騙さなければ、嘘など成立し得ないわけで。


「総司、どこへ行く」


斎藤に声をかけられて、沖田はさり気なく微笑んで見せた。

誤魔化すことに長けた微笑み。

心の中には笑えるような感情は何一つなく、ただ虚しい嘘ばかりが詰まっている。


「うん、ちょっとね」

「…………」


斎藤は明らかに怪しんでいた。

あの事件があってからこっち、いつも皆が自分を見張っていることを沖田はそれとなく感じ取っていた。

仕方無く沖田は肩をすくめ、斎藤に耳打ちする。


「………土方さんにおやつ買ってきてあげるだけだよ」

「…あぁ、そういうことなら行ってこい」

「ふふ。だから土方さんには内緒にしといてね。一君も何か欲しい?」

「いや、俺はこれから師範代を任されている故、遠慮しておく」

「はーい」


沖田はひらりと手を振ると、高下駄をかんかんと鳴らしながら屯所を出て行った。


ごめんね、と少し思う。

騙すのは忍びないけど、でも別に好きでやっているわけじゃない。











「はい、これどうぞ」


沖田は土方の前にお茶と先ほど買ってきた饅頭を差し出した。


「……こんなもんどうしたんだよ」


土方は一瞬だけ書類から顔を上げて言った。


「出掛けたついでに買ってきたんですよ」


嘘を誤魔化すためにわざわざ買ってきた饅頭はこの季節限定で、毎年土方が好んで買っているのをこっそり知っていた。


「……そうかよ」


土方の口元が微かに緩んだ。

礼の類は言わなかったが、かといって文句も言われなかった。

変化は些細なものだったが、沖田は土方の表情に確かな喜びを見出した。

自分としても満足して副長室を後にする。

自室へと廊下を進みながら、沖田は一人嘆息した。


いつから人生は嘘に塗り固められ、歪んで醜いものと化してしまったのだろう。

自室へ戻り、ぴっちりと襖を閉める。

沖田は物入れから"それ"を取り出すと、薄ら寒い自嘲の笑みを浮かべた。



そして数日後の屯所には、やはり同じようにどこかへ出かけて行く沖田の姿があるのだった。











「山崎、今日も宜しく頼む」

「はい、副長」


土方は今日も山崎を部屋に呼びつけた。


「ったく、まだあいつの尻尾は掴めねえのか?」


日にちが経つのに比例して、土方の苛立ちは募っていく一方である。


「申し訳ありません………ですが、正直に申し上げますと、沖田組長が直接話してくれれば、それに越したことは……」

「言ったはずだ。総司に事件のことは一切聞かねえ。総司から話すまで待つ………分かってんだろ」

「…………はい、副長」

「総司の奴、最近じゃ非番の度にどこかに出掛けて行くじゃねぇか。つけてでもいいから、あいつの最近の奇妙な行動の理由を探り出せ、いいな?」

「副長、お言葉ですが、沖田組長はただ息抜きをなさっているだけなのでは……」

「馬鹿やろう!絶対違う!あいつは、………あいつは、こんな生温いやつじゃねぇんだよ…」


土方には、長年傍にいるからこそ分かる勘のようなものがあった。

沖田は、あんな目にあっておきながらただで済ませるような男ではない。

いくら強がっていても、そのうち必ず悔しさや恐怖といった感情をぶちまけて、そこで初めてきっぱりと決着をつけるような奴だ。

そしてまた、相手には必ず少々残虐すぎるほどの仕返しをするのが、沖田総司という男なのだ。

それなのに、今回はどれ一つをとっても未だに行われていない。

沖田はいっそ薄気味悪いほどに明るい笑みを貼り付けて、毎日のようにどこかへふらりと出掛けていくばかりだ。

全ては憶測でしかないが、土方にとってしてみれば、ここ最近の沖田の言動は腑に落ちないもので溢れかえっていた。


「………だって、おかしいだろうが。あんな状態になるようなことがあったってのに、毎日あんな明るくて………お前も見ただろう?あの時の、死ぬんじゃねぇかって程のあいつの状態は…」

「はい、最初に応急処置をさせていただいたので…」

「なら、おかしいと思わねえか?あんな酷い目に遭った奴が、明るくしてられるかってんだ、普通」


「いえ、それは……………」


山崎は困ったように視線を逸らした。

やはりおかしいのだ。

総司のあの笑顔は、絶対に偽りの物だ。



沖田が攫われたのは、今から丁度一カ月程前のことだった。

子供たちと遊んでくると言ったきり沖田が夜になっても帰ってこないことに、土方が一番最初に気付いた。

子供と遊んでいるはずの沖田が、いつもお決まりの遊び場である境内にいない。

それから毎日、隊総出のような形で沖田の捜索が行われた。

が、沖田はなかなか見つからず、手がかり一つあがらないまま何日もが経過する。

いくら強者の沖田と言えども流石にもう駄目なのではないか。

大半の者がそう思い始めた頃、沖田は今までの苦労が全て嘘だったかのように、何事もなく救出されたのだ。

最初に行方不明になってから、約一週間後のことだった。


何故沖田を救出できたのか。

それは他でもない、沖田を攫った張本人が、直接文を寄越してきたからだ。

屯所に投げ込まれていた差出人不明の文に記されていた場所に行くと、沖田が打ち捨てられていた。

……そう、打ち捨てられていた。

今の状態にまで回復したのが奇跡だと思えるほど、救出された当時の沖田は半分死にかけのような状態だった。

くしゃくしゃに乱れた髪と着物。

薄汚れた身体。傷だらけの顔、痩けた頬。

傷や青痣は身体中に散らばっていて、その凄惨な様子は目も当てられないほど。

数日間は意識もなく、漸く意識が戻ってからも、熱を出したり嘔吐を繰り返したりと、それは酷い有り様だった。


ところが、尋常ならざる事態が起こったのは明らかなのに、沖田は"何もなかった"の一点張りで、何を聞いても答えなかったのだ。

斬られた訳でも、何か秘密を吐露してしまったわけでもないらしい。

分かったのはその程度で、後は全てが謎だった。

一旦沖田がそうなってしまうと誰もそれ以上問い詰めることができず、ついこうしてだらだらと時間だけが経過して今に至る。

沖田の外傷こそ治癒したものの、事件の真相と、沖田が心にどんな爆弾を抱えているのかは、沖田自身にしか分からないことだった。


「いいか、何としてでも総司が隠してることを暴け」

「は…………」

「そうじゃなくても、最近あいつは変な咳を繰り返してばっかりだったからな……心配なんだよ」

「…心中お察しします」


沖田が攫われてからというもの、副長の仕事は専ら沖田を手にかけた犯人探しとなっていた。

土方が他のことに全く手が着かなくなり、ひたすら犯人探しに勤しむことを咎めるものは誰もいない。

沖田の、普通なようでいてどこか余所余所しい様子に心を痛めているのは、何も土方だけではないということだ。


「お前がもうこれ以上出来ねぇって言うなら、俺が行くからな」

「ふ、副長!」


とその時、押し殺した声で言い合う二人の元に、今一番望まない客が訪れた。


「失礼しまぁす」

「総司………」

「あんれ?山崎くんもいたの。僕邪魔だったかな」

「い、いや………」


土方は慌てて取り繕った。

沖田のことだから、どうせ気配を押し殺して廊下で聞いていたに違いないのだ。

とはいえ此方も細心の注意を払って密談していたわけだから、恐らくははっきりと聞き取れないのがもどかしくて、直接乗り込んできたというところだろう。


「……お前何しに来たんだよ。今日は非番だったか?」


土方は、沖田が来たことでぴりぴりしている山崎を宥めるためにそう言った。

言外に用がないなら出ていけという意味をこめたのだが、どうやら沖田には伝わらなかったらしい。

いや、恐らく沖田のことだから気付いていて敢えて無視したのだろう。


「うーん、暇なんで土方さんを構いに来ました」

「お前は構って貰いてえだけだろうが……」


土方は眉間に深々と皺を刻んだ。

全く馬鹿げている。

こんな奴のことを調べようとしているなんて、考えるだけでも無駄な気がしてきた。


「お前、今日は菓子を買ってきてはくれねぇのか?」


土方は一歩踏み込んだことを聞いた。


「はい?……土方さん、僕をなんだと思ってるんですか?この前はたまたま買ってきてあげましたけど、僕だって毎日毎日甘味処へ行ってるわけじゃないんですからね?」

「そうかよ」


案の定沖田はのらりくらりとかわしてしまったが、土方の胸の懐疑は確固たるものとなった。

沖田は、やっぱり何かを隠している。


土方は少し思案すると、山崎に二、三耳打ちし、副長室から退がらせた。

それから改めて沖田に向き直る。


「お前、大丈夫か?」

「はい?」

「いや、………事件からこっち、妙に元気だからよ…」

「元気……?」

「違うか?」

「僕は普通ですけど?」


それより、と沖田は急いたように身を乗り出してきた。


「土方さん、山崎さんと何話してたんですか?」


やはり、それが聞きたかったのか。

土方の予想通りの質問をしてくる沖田に、土方はぎりぎりと奥歯を噛んだ。


「何でお前に話さなきゃならねぇんだよ」

「えー?別にいいじゃないですか。減るもんじゃないし」

「よくねぇよ。じゃあ聞くが、俺がお前と何話したか山崎に一々話してたら、お前は嫌だろう?」

「む……それとこれとは話が…」

「違わねぇよ」


ちらりと沖田を見やると、沖田は思い通りにならないことに焦っているように見えた。

唇を噛んでそっぽを向き、何やら考えこんでいる。

暫く見守っていれば、やがて沖田は吹っ切れたようにあっけらかんとして言った。


「じゃあ、いいです。副長ともなれば、この僕に言えないような任務だっていっぱい抱え込んでますもんねー。失礼しました」


………案の定という感じではあるが、拗ねている。

構ってもらえない、相手にされないと分かれば、沖田は拗ねるか怒るかしかできない奴だ。

土方は敢えてそこを狙った。


「……………」

「……………」

「…………土方さん」

「……何だ、俺は仕事中だ」

「…………はぁ、もういいです。気分転換に出かけてきます」

「あぁ、そうしろ」


土方は出て行く沖田の後ろ姿をじっと伺い見た。

ここまで全て思い通りの展開だ。


ややあってから、音もなく山崎が入ってきた。


「副長、」

「あぁ。総司が出かけたぞ」

「は、……では行って参ります」

「おう、宜しく頼む」


総司をわざと外出させて、泳がせる。

それを山崎がつける。

たった今、土方が立てた作戦だった。


悪い知らせが何もなければいいが……

そんなことを思いながら、土方は部屋を出て行く山崎を、落ち着かずに見送ったのだった。




―|toptsugi#




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