「お!?」
僕は目を剥いて驚いているソイツに近づいていって、思い切り頭をぶん殴った。
それから動く方の足で力いっぱい蹴り飛ばした。
「わっ!ちょ!イテッ!痛ぇよバカッ!おいっ!やめろよっ!いきなりなんなんだよ!!」
「うるさいなっ!散々僕を心配させた罰だよ!このバカ!」
ウルサい口に拳をヒットさせて、問答無用で完膚なきまでに叩きのめす。
「誰がっバ、カだ…っ痛ぇっつの!おい!おき、た!」
段々抗議の声が弱々しい呻き声に変わってきたところで、僕はようやく手を止め、床に伸びた彼の隣に腰を下ろした。
「………何で君がここにいるのさ」
息も絶え絶えに聞けば、うす汚い彼―――井吹君は、弱々しく口を開いた。
「…組織の連中に捕まりそうになってあちこち逃げ回ってたら、あの芹沢って奴に拾われたんだよ」
「いつ!?」
「さぁ…?つい最近だけど……」
「ぷくく………君ってしょっちゅう拾われてるよね。ていうか生きてたんだね。ほんと奇跡だよね。君ってもしかして不死身?頭撃ち抜いても死なないんじゃないの?」
「んなわけねぇだろうが!つーか俺だって沖田のこと散々心配したんだからな!」
「僕だって散々心配させられたよ?」
「だからそれは俺のセリフだ!『君のことは忘れないから』なんて格好つけやがって!片足撃たれてんのに全っ然決まってねぇんだよ!このバカ沖田!」
「それを言うなら君だってバカ龍でしょ?龍じゃなくてミミズなんじゃないの?」
「ミミズって……いくらなんでもそりゃあ酷くねぇか?」
「君には当然だよ」
井吹君が生きていてくれた。
その事実が、僕の心の隅で常にくすぶっていた黒い靄のようなものを払拭していく。
僕の所為で…とずっと思っていた。
だから、今は心から嬉しい。
だけど素直に言うのは癪だから、嬉しさはひた隠す。
「ほんとに……死んじゃったかと思ったんだから…」
井吹くんを見たら泣きそうだったから下を向いたまま言えば、彼がふっと微笑んだのが分かった。
「本当に、な。生きてて良かったよ」
「へぇ…君でもそういうこと思うんだ……」
「ほら、また沖田に会えたしよ」
「なっ…!!!?」
「芹沢さんから聞いたぜ?お前、実は土方さんの弟だったんだってな。それ知った時、もうお前とは身分も何もかも違うし、二度と逢うことはないかもしれないって思ったら、何だか悲しくてさ」
「……………」
「結局さ、レジスタンスをしてようが、雑用係をしてようが、誰かから逃げ惑っていようが、一番心にあるのは大事な奴のことばっかなんだよな〜」
遠い目をして話す井吹君は、何だか一回りも二回りも大きく見える。
何さ何さ、カッコつけちゃって。
ついうっかりドキッとしちゃったじゃないか。
「………あのさ、井吹君にはそういうかっこつけた演説は似合わないから、やめた方がいいと思うよ」
「何だよ人がせっかくしみじみしてる時に!水差すなよ!」
「君、いつからそんな生意気言うようになったの」
肘で小突いたら小突き返された。
ムカついてペシッと腕を叩いてやったら叩き返された。
またムカついて今度は動く方の足で蹴ろうとしたら、突然部屋のドアが開いた。
メイドに案内されて入ってきたのは、これまたよく見知った顔。
「……あんたは何をやっているのだ」
「っ一君!!」
「はじめくん、だと……?」
げ。土方家からのお迎えにあまりにホッとして、ついいつも頭の中で呼んでいる呼び方が出てしまった。
「あ、いや……………何でもない」
はじ……斎藤君は、驚いたのか固まってしまっている。
そりゃそうだよね。
いきなり馴れ馴れしくそんな呼ばれ方したら誰だって…。
それに、そう。
僕は斎藤君の敬愛する土方さんを、作戦上仕方なかったとはいえ撃ってしまったんだから。
もう二度と合わせる顔がないと思ってたのに。
井吹君に再会して、はしゃいでいた心が一気に冷えていく。
「……まず報告しておくが、土方さんは無事だ。明日には家に戻って、そちらで療養できるらしい」
「ほんと!?」
「あぁ。今は麻酔が効いて眠っていらっしゃるが、手術も簡単なもので済んだようだ」
「よかった…………」
「これもあんたの腕が良かったおかげだな」
皮肉のように言われて、僕は思わずハッとした。
どんな理由であれ、土方さんを傷つけてしまった僕を、斎藤君はどう思っているのだろう?
…斎藤君の大事な土方さんを傷つけてごめん。
素直にそう言えれば良かったんだけど。
「………腕が悪かったんじゃない?レジスタンスに寝返って、土方さんの心臓を狙っても良かったのにさ」
僕は、棘で自分の心を覆うことでしか、自分を守れない。
少しでも牙を剥かれたら、何十倍も尖った棘で相手を威嚇する。
それ以外の術を知らないし、今までずっとそうやって生きてきた。
誰も近寄らなくなって、一人になれば、もうそれ以上は傷つかずに済むから。
だから自嘲気味にそう言うと、斎藤君は途端に険しい顔になった。
「総司、あんたはまだそんなことを……!あんたは土方さんの弟だろう!」
「だから何?僕は兄さんだろうと何だろうと、撃とうと思えば平気で撃つけど」
「なら、何故泣いている」
言われてハッとした。
嘘。泣いてなんか。
慌てて手の甲で目をゴシゴシすると、何てことだ、濡れた感触がした。
「総司、あんたは土方さんを撃ったことを悔いているのではないのか?」
「…………………」
「俺は、仕方のなかったことだと聞いている。あんたが悪意でしたことではないというのも聞いている」
「だから、なに………」
「いい加減、強がるのは止めたらどうだ。それともあんたにとって俺は、弱さをさらけ出すこともできぬほど信用ならぬ存在なのか?」
ギクリと体が強張る。
違うよ、違う。そうじゃなくて。
僕は、君にそんなことを言ってもらう資格なんてないんだよ。
「総司、あんたは悪くない」
「さいと、くん………」
「一でいい」
「え?」
「だから、名前でいいと言っている」
そう言って、彼は僕の傍にしゃがみ込んだ。
「あんたは、土方さんのことを守ろうとしてくれたのだろう?」
「それ、は………」
「あんたも怖い思いをしたのだろうな。有り難う、総司」
ありがとう。
今の僕が、一番欲しかった言葉。
その言葉はいつだって、僕の心を弱くする。
心を覆う棘を溶かして、代わりに優しく包んでくれる。
「っぅ……ひ…っく…」
膝に顔を埋めて泣き出した僕の頭を、一君はぎこちなく撫でてくれた。
土方さんよりもだいぶ辿々しいものだったけど、僕のガチガチに強張った心を溶かすには充分だった。
土方さんも一君も、僕の棘を平気で鷲掴む人たちだ。
自分の手が傷だらけになっても、それでも僕を包もうとしてくれる、本当に優しい人。
「……あ、あの、お取り込み中のとこ申し訳ないんだけど、…あの、俺、話に全くついていけてなくて、…」
そうしてしんみりしていると、空気の読めない井吹君が口を挟んできた。
「あの、沖田って、ひ、じかた、さんのこと、撃ったのか……?」
「………あんたが井吹か」
一君が井吹君を眺め回す。
「あ、あなたさまは誰ですか?」
「…土方さんの番犬だよ。前に言ったでしょ」
少し元気を取り戻して教えてあげれば、井吹君は噛みつかれるとでも思ったのだろうか、ギョッとしたように目を見開いた。
「あ、あぁ……それは…ど、どうも」
斎藤君は此方に凍るような視線を投げかけてくる。
「俺は斎藤一だ。土方さんの"秘書を"している」
「お、俺は井吹龍之介」
「僕沖田総司」
「総司、余計な口をきくな。それから井吹、あんたは一緒に土方家に来てもらう」
「はぁ!?何でだよ!?」
「土方さんが、あんたのことを芹沢さんから貰い受けたからだ」
「貰い受けたって…俺、物じゃねぇんだけど」
「確かにそうだな。あんたは土方家の雑用係だ」
「はぁぁ!?!?また雑用かよ!?」
「何か文句でもあるのか?」
「…何で井吹君を?」
驚いて肝心なことを聞けない井吹君のために、僕が代わりに質問する。
「土方さんは、あんたのためだとおっしゃっていた」
「僕、の?」
「井吹はあんたの友達なのだろう?」
「…!!」
まさか井吹君がいることを知っていて、土方さんはここへやってきたのだろうか?
僕と友達を再会させるために?
「沖田……?」
じわりと涙を滲ませた僕を、井吹君が心配そうに覗き込んできた。
ほんとにもう……何なんだろう。
どうして僕が、こんなに優しくしてもらえるんだろう。
僕は、いつだって僕のことだけを考えてくれていた土方さんを傷つけてしまったというのに。
手術をしなくちゃいけない程の怪我を負わせて、斎藤君たちにも迷惑をかけて。
本当に、どうしようもない馬鹿だ。
あの時土方さんを撃つ以外の方法は、本当に一つもなかっただろうか?
例えば僕が犠牲になるとか、他にも何かしら道を見つけられたかもしれないのに。
思考はどんどん暗がりへと沈んでいく。
「……もう二度とこのバカ龍と離れられないのかと思ったら辛くて涙出てきた」
誤魔化してそう言えば、バカとはなんだと井吹君に小突かれた。
土方さん、僕のこと怒ってないかな。
頭にフラッシュバックするのは、担架で運ばれていく土方さんばかり。
会ったら、真っ先に謝りたい。
撃ったりしてごめんなさい。
どうか僕を嫌いにならないで、まだ傍に置いてくださいって、素直に頼みたい。
いつだったか土方さんが僕に言ってくれたように、いつの間にか僕も土方さんを愛してみたいと思えるようになった。
土方さんが死にかけて初めて自覚するなんてバカみたいだけど。
僕は、土方さんを撃ったっていうその重荷を一生背負い続けていくから。
それでもずっと傍にいたいんだ。
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